みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

ちょびっとニャン

2016-06-25 | かりねこ

時々紹介している自然史博物館には、ちょびっと猫さんの剥製もあります。


ネズミさんを狙う三毛猫さん


ブレブレですが赤猫さん


野生猫さん

イリオモテヤマネコさんの親戚筋かも

オオヤマネコさん



イエネコさん以外でネコ科の皆さんは、大型(ライオンさんトラさんなど)から中・小型(オオヤマネコさんイリオモテヤマネコさんなど)まで、絶滅の危機に瀕している方々ばかり
皆、これからも地球の生きた宝物として生存し続けてほしいと思います。
それには私たち人類に大きな責任があります

ついでに何年も前、駅で見かけたシーバのポスター




毎年今頃恒例のドタバタ期が始まります
まばら更新になりますが、たまに覗いてみてくださいませ でも乞無期待


 追記:サッカー欧州選手権のステキなエピソード

友達から聞いた話です。絶対書いておきたいステキな内容だったので、ここに追加
友達の親戚の若者が、オーストリア・チームを応援するため、その友達と2人でパリへ向かいましたが、途中でフランスの鉄道ストに遭遇、先に進めず、泊まるところもないという窮地に・・・ところが、私の家においでなさいと言ってくれる人がいて、ついて行ったところイスラム教徒の家族でした。そこで夕食をご馳走になり1泊、翌日朝にはお弁当も持たせて送り出してくれたそうです。
宗教、人種、国籍など関係なく、こういう善意の人たちは世界中に存在すると思います





大学に行きたかった人

2016-06-23 | その他

前々回の続きです。

マイヤーリンク事件で知られるルドルフ皇太子の家具だけを選びました。


1)ベビーベッド


2)子供時代のルドルフの水彩画


3)これもルドルフの水彩画

想像力豊か、それとも本当の場面?

4)ルドルフが使っていたピアノ

王侯貴族が身につけるべき教養のひとつとして楽器演奏がありました

5)ルドルフの机

彼は優れた鳥類学者でした

6)ルドルフの使っていたインテリア

当時のオリエンタリズムの一例

7)マイヤーリンクにあったルドルフのベッド


8)マイヤーリンクの寝室前に飾られていた木彫


9)一見、大型の箪笥に見えますが・・・


10)・・・実は秘密の出入り口



拘束された生活が嫌いだった母(エリーザベト)も、宮殿からの秘密の出入り口をもっていました。
母エリーザベトは息子ルドルフとの接触を放棄していましたが、家庭教師は彼女自らが選び、その結果、進歩的な家庭教師の影響で、ルドルフ自身も共和国を理想とする自由主義者になりました。
当時、ドイツ帝国のフリードリヒ・ウィルヘルム皇太子が嫌々ながら大学へ行かされたのに対し、ルドルフ皇太子の場合は大学へ行きたかったのに、伝統的な教育方針で、家庭教師から教育を受けたのです。
しかしルドルフは自由主義者との交友が多く、匿名でリベラルな新聞に論評記事も書いています。リベラルな進歩主義者にはユダヤ系市民が多かったのです。
父親のフランツ・ヨーゼフもユダヤ人に寛容だったので、父子は反ユダヤ主義者から「ユダヤ人の下僕」と呼ばれていました。
更にルドルフはオーストリアの地理や自然を網羅したオーストリア百科事典を編纂、これは「皇太子の作品」と呼ばれています。

当時の進歩的自由主義の教育を受けたルドルフは当然の帰結として君主制を嫌い、皇帝になるよりは、選出された大統領になりたいと考えていました。

ルドルフ皇太子のひとり娘であるエリーザベト女大公は、父の進歩主義を受け継いだのか、後年、社会民主党に入り「赤い女大公」と呼ばれました。






虹行列

2016-06-21 | そこらへん

家具博物館最終回の前に、いつもの教会とその前の広場に寄り道
6月18日に今年度のアラビア語コース終了式があり、午前中に、いつもの教会の前を通りました。この日は、午後から恒例のレインボーパレードがあり、広場はレインボーパークになっています
ウィーンの場合、年に1回のこのイベントには10万人が集まると言うことで、人混み苦手の私は、1度も見たことがありません。

まだ静かなレインボーパークのピンボケ写真を少し並べます。





ステージもあります(後ろはウィーン大学本館)










この近くに住む友達は、レインボーパレードの日は騒々しくて耐えられないので、パレードの時間中、どこかに避難すると言っていました。
騒音を規制できないかと警察に電話したところ「許可したパレードの音量は規制できない」と言われたそうです。


パレードの様子はYouTubeでご覧ください。




LGBTそのものは、個々人のキャラクターや嗜好であり、決して犯罪ではないのに、今でも犯罪として取り締まられる国や、死刑に該当する国があるのは、基本的人権に反するものです。






椅子の違い

2016-06-19 | そこらへん

前回の続き、宮廷家具博物館の展示品です。但し、フランツ・ヨーゼフ没後100周年特別展は何故か撮影禁止でしたので、常設展の部分のみ

今回は椅子の違い。

1)足台や祈祷台がズラーッ

あまり面白くありません

2)豪華な車椅子


3)フランツⅡ/Ⅰ世(1768~1835)の椅子(だったと思う)

肘を掛けにくそうな肘掛

フランツ皇帝は神聖ローマ皇帝としてはⅡ世、オーストリア皇帝としてはⅠ世。ナポレオン戦争で苦労した人です。

4)フランツ・ヨーゼフⅠ世(1830~1916)の椅子


5)ヨーゼフⅡ世(1741~1790)の椅子

質素を旨とした皇帝らしい椅子ですがモダンでもあります

6)ヨーゼフⅡ世の肖像


この人は典型的な啓蒙専制君主でした。上からの近代化を行おうと数々の進歩的な改革を実施しましたが、臣民がその思想についていけず猛反対をしたため、晩年には殆どの改革を撤回しなければなりませんでした。
臣下から「下々の者ばかりと付き合わず、身分の高い人々と付き合ってください」と言われ、「自分と同等の者と付き合おうとしたら、一日中カプツィーナ墓所(ハプスブルク家の墓所)に篭もっていなければならない」と答えたというエピソードがあります。
モーツァルトをバックアップし、このため皇帝の急逝はモーツァルトにとっても大きな打撃でした(モーツァルト自身も翌年没)。

7)ヨーゼフⅡ世の書斎調度


8)ソフィー女大公(1805~1872)の椅子

これもモダンです

エリーザベトとの対比で悪役にされている人ですが、実際は実行力に富む毅然とした人物だったようです。ナポレオンⅡ世を看取った人です。
ドイツ・ドイツ語ではゾフィー、オーストリア・ドイツ語ではソフィーとなります。

9)ソフィー女大公の書斎調度


ついでに・・・

10)フランツ・ヨーゼフの弟でメキシコ皇帝となったマクシミリアンの銃殺

マネ作品のコピーが飾られています

11)その棺


息子を銃殺された大きなショックはソフィー女大公の命を縮めたのではないかと思われます。



まだ続きます 乞無期待





宮廷家具博物館

2016-06-17 | そこらへん

今年はフランツ・ヨーゼフ皇帝没後100周年で幾つかの会場で特別展が開催されています。
既に行ってきた友達が、メイン会場のシェーンブルン宮殿から始めるとチケット窓口に行列ができているから、先に見学者の少ない会場でコンビチケットを買うのが良いと言うので、あまり知られていない宮廷家具博物館から始めました。

今回は外側だけです


ウィーン7区アンドレアスガッセ7番地の入り口

特別展の「フランツ・ヨーゼフ」が読めます

入り口を入ると中庭があります




ここが博物館の入り口


振り返ったらギャッ

中庭に向いているけどストリートアートの一例

館内には宮廷で使われていた家具・インテリアが展示されています


まあ、骨董品展示館とも言えますが、家具を使っていた個人の人柄や意識が反映されています。

あ、それからシシィ三部作と呼ばれる映画では、ここの家具が撮影に使われました。登場人物は皆ニセもの(俳優)ですが、家具類は「本物」だったわけです。


続きます いつもの通り乞無期待





教会へ行く人行かない人

2016-06-12 | その他

オーストリアはカトリックの国で、従来は80~90%かそれ以上がカトリック教徒とされていましたが、この数十年で大分変化しているようです。

新聞HPに載ったイラスト・グラフ

ウィーンの場合


上から
めったにミサに行かない、あるいは全く行かない人:70%
年に数回はミサに出席する人:13%
月に1度か、それ以上教会へ行く人:17%


ウィーン以外の各地


上から
めったにミサに行かない、あるいは全く行かない人:45%
年に数回はミサに行く人:25%
月に1度か、それ以上教会へ行く人:30%


私にとっても驚いたことに、ウィーンではカトリック教徒が半数以下の43%、信仰無しが30%、イスラム教徒11%、その他4%、プロテスタント3%
ウィーンのような国際都市には色々な国の外国人及び外国出身者も多いので多種多様になるのは当然ですが、カトリック教徒が半分以下、無信仰の増加にはビックリ。
過去20年くらいの大きな特色として、国内外のカトリック教会での不祥事が続き、多くの人がカトリック教会を脱会していることです。
私の友達のひとりは、近年の脱会ラッシュ以前に「カトリックは女性差別だ」という理由で脱会しています。しかし、彼女は今でもキリスト教徒だろうと思います。
加えて、ウィーンなど大都市では、教会に行く以外の方法で自分の信仰を実践している人も多いと思われます。

プロテスタント人口が大変少ないですが、これは宗教改革期にオーストリア地域(当時は神聖ローマ帝国の1地域)もプロテスタントに圧倒され、対抗宗教改革期以降に、何人かの皇帝の意向で、プロテスタントが徹底的に弾圧・国外追放されたためです。

もちろん今は、基本的人権として信仰の自由が保障されています。








森の一角

2016-06-10 | そこらへん

前回の続きです

ティアガルテンは直訳すれば動物園ですが、このラインツァー・ティアガルテンは自然保護区域です。ラインツは、この地域の地名。
元々は皇帝家の狩猟場でしたが、王朝崩壊後の1919年から一般公開されました。広さは24.50平方キロメートルです。

詳しくは英語ウィキでご覧ください。
写真が多く、天皇ご夫妻訪問の記念の銘板の写真もあります。

恒例、私のピンボケ写真を並べます

1)入り口「ニコライ門」

門の奥に案内所もあります

2)ニコライ門付近の散策ルート見取り図


3)


4)門の名前の由来ニコライ礼拝堂


この礼拝堂は12世紀末に建てられ、ウィーンで最も古い礼拝堂のひとつで、聖ニコラウスに献堂されましたが、1833年の修復に際して聖エウスタキウスに献堂されました。マイナーな建物なのでドイツ語ウィキの記事しかありません。

5)イノシシさん


6)子供用の遊び場


7)


8)見難いですが、向こうの丘にシュタインホーフ教会のドーム


シュタインホーフ教会の以前の記事:病院の教会

ラインツへ戻りまして・・・

9)


10)草原もあります


11)森で暮らす動物たちの説明


12)


この日は入り口確認が目的で、夕方になったため、森の入り口付近をウロウロして帰路へ・・・

13)駅への道に戻ってきました


14)腰掛用みたいな木がありました







森への道

2016-06-08 | そこらへん

ウィーン市内には、ウィーンの森の一部だった森があちこちに残っています。今回は南部に向かいました

その森はラインツァー・ティアガルテン(Lainzer Tiergarten)


南東の入り口が「中央入り口」なのですが、遠いので、北東端の入り口を探すのが目的です。

最寄り駅から国鉄で3駅。但し終点一つ前の駅と終点の間が離れています。


1)駅前に歩道橋があり、その上から見た駅舎


歩道橋は景観を損ねるというわけで、めったに造られませんが、ここは交通量が多いため例外的に設けられたようです。

2)ウィーン川郊外方向


3)ウィーン川市街地方向


4)橋の上


5)岸辺のプロムナードを行くスケーター


ウィーン川というのは小さな川で、市街地では大半が暗渠となっており、ドナウ運河に流れ込み、ドナウ川に合流します。都市としてのウィーンは中性名詞ですが、川としてのウィーンは女性名詞です。

6)ぽっかり白い雲


7)駅の向こうにもウィーンの森


8)歩道橋は自転車でも利用できるようになっています


9)こんな道が続いています


一番左に歩行者用のルートがあり、草地を隔てて右側に自転車用、透明の塀を隔てて自動車道があります。

10)これが歩行者用


11)草地の向こうに自転車ルート、塀の向こうが自動車道


12)ちょっと面白い家


13)門もおしゃれ


14)そろそろ別の道に移ります


15)別の道に出ました


16)可愛いお家


17)伸びすぎて剪定されたのかな?


18)ラインツァー・ティアガルテンの表示



続きます でも恒例乞無期待






ねこなめ

2016-06-06 | かりねこ

昔どこかで読んだのですが・・・「犬が人に噛みついても大ニュースにはならないが、人が犬に噛みついたら大ニュースだ!」


もう30年以上前「なめ猫」というキュートなニャンコさんが大人気を博しましたが、これは「ねこなめ」です。既にご存知の方、既にご利用の方もいらっしゃるかもしれませんが、私はオーストリアの新聞HPで初めて見ました
猫さん同士がお互い舐めあうように、あなたも愛猫を舐めてあげましょう!という「猫舐め」商品


BGM入りです



猫さんたちは大人しく「舐められて」いますが、従来通りの手でのブラッシングより嬉しいかどうかは疑問だなぁ