みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

犬の共感能力?

2009-06-28 | かりいぬ
     愛読新聞NZZ(新チューリヒ新聞)の月刊誌NZZFolio2009年6月号に載っていた記事です。

     タイトルは「あくびする犬の謎」



     


     以下、記事の要点です。

     「あくび」は日常的な現象ですが、原因や効用についでは殆ど解明されていません。

     「酸欠」が原因という仮説は、今では実証的に覆されているそうです。

     最近では「脳を冷やすため」という仮説もあります。

     その他色々「独創的」な推論がありますが、いずれも憶測の域を出ないそうです。

     確かなことは、あくびが「感染」すること。感情移入(共感)能力に関係があるのか?

     ある研究チームが、自閉症児24人を含む49人に「あくびする人物」の映像を見せて

     観察した結果、自閉症児の「あくび感染率」は、他の子供たちの三分の一でした。

     この場合事前に、画面の女性と男性の人数を数えるよう指示が与えられていました。

     続いて研究チームは29頭の犬を観察。この場合、子供たちに与えた指示はできないので

     研究チームの一人がそれぞれの犬と1対1で向き合ってあくびをし、犬の反応を観察。

     人間の口の動きを真似しているのではないことを確認するため、この人は別に

     ただ口を大きく開けて試しましたが、犬の皆さんには一切反応なし。

     29頭のうち21頭にあくびが感染して、その「感染率」は72パーセント

     ヒトからヒトへの感染率45~50%、チンパンジーへの33%に比べ遥かに高率

     もし「あくびの感染」が「共感」によるのだとすると
     犬の方が人間より、他の人間に対する共感能力が高いのか

     NZZFolio記事の要点は以上です。


     残念ながら、この研究チームでは猫については、観察研究していないようです

     この研究は、千住淳博士がロンドン大学で行ったものです。千住博士のHPはこちら


     Wikipedia:あくび
     Wikipediaのあくび画像
     猫さん
     犬さん
     ライオンさん
     馬さん
     猿さん(あまり、あくびらしくないのは、目をカッと見開いているせい?)

     逆に動物の皆さんのあくびも人間に感染するものでしょうかね



     上の記事が載っていたNZZFolioの表紙
     

     表紙の写真は潜望鏡です。この号の特集が「黒海沿岸」だったからで

     毎号、動物に関する記事が必ずひとつあります。

     この雑誌は、NZZの定期購読者に届けられる「別冊」です


     上記記事の筆者は、極めて独創的な(狂気の!)科学実験を収集。そのHPはこちら(英語)


ナポレオン♀

2009-06-26 | おきにいり
       気の違ったメンドリが、自分はジャンヌダルクだと思い込んでいました。

       仲間のメンドリたちは「ふんふん、そうかね」と、あしらっていました。

       ところが、気の違ったメンドリはジャンヌダルクでいるのに疲れ

       自分はナポレオンだと言い出しました。仲間のメンドリたちは

       「それは無理だよ。ナポレオンは男だよ」と申しました。

       気の違ったメンドリ曰く「誰でも気が違った瞬間から、

       何者だろうと、自分がなりたい者になっていいんだよ。

       私は自分がナポレオンの銅像だと思ってもいいんだよ。」

       仲間のメンドリたちは、この論理を認めざるを得ませんでした。

       それ以来、気の違ったメンドリは1日中鶏舎の真ん中に立って

       ナポレオンの銅像になりましたとさ。


   


       これはルイジ・マレルバの「思慮深いメンドリたち」の笑い話のひとつです。

       この本は131の短い笑い話を集めたもので、登場人物?は皆メンドリです。

       中性名詞のあるドイツ語訳では、中性名詞のニワトリになっていますが

       原文のイタリア語には男性名詞・女性名詞しかありません。

       この場合やはり「思慮深いメンドリたち」の方が、愛嬌があって良いと思います。

       Wikipedia:Luigi Malerba(英語)




       上のイラストは、イタリアのエウナウディ出版社の本の表紙です。

       新しいソフトでの縮小に慣れず、画像のサイズがばらばらでスンマセン



追記:「気の違った」という言葉、あまり良くないのですが、ほかに「頭のおかしい」「気のふれた」「頭の狂った」「気の狂った」など、あれこれ考えても、結局大差ないようにも思えます。「発狂したメンドリ」とか「狂気のメンドリ」と言うと、ちょっと笑い話には向かないような・・・というわけで、そのままにしておきます





まひ(まとめ)

2009-06-24 | その他
   以前に書いた「思い出話」の退屈なまとめです。

   つくづく感じたのは「麻痺」ということなのです


       


   強烈に記憶に残るのは、例外もありますが、だいたい怖い話・・・

   それが、現在のことでなく何百年も前に起こったことでも

   突然、リアルに恐怖を感じることがあります。

   その例が、2回にわたるオスマントルコの攻囲。

   第一回が1529年。第二回が1683年。その間に154年・・・

   と言っても、当時のオスマントルコはハンガリーも占領していたので

   軍勢は小アジア半島まで引き上げたわけでなく、

   いつ又攻めてくるか分からない方々との境界は目と鼻の先。

   あるとき突然それを実感してゾーッ

   当時、この辺りに住んでいた人たちは、さぞ怖かったろうと思いました。

   ところが、その後、色々怖い話を聞いたり読んだり

   とりわけ1991年の湾岸戦争は、東欧開放で大喜びの直後だったので

   特にショックが強かったのです。それから、国境から見える戦争があったり

   かれこれするうち、最初の「ゾーッ」感覚が麻痺していました。

   ひょっとすると、この方がもっと怖いことかも知れません

   ついでに、もうひとつゾーッとしたのは、東西ドイツ再統一のとき。

   ヒャー、またデッカイ国が出来ちゃったな~、このドイツに

   またヒトラーのようなのが登場したら怖かろうな~と思ったものです。

   あの頃、フランスの新聞「ル・モンド」には、風刺漫画として

   「ドイツ再統一後、毎晩、防空壕に入るサッチャー首相」が登場しました。

   でも、今のドイツは民主主義国家。安心していて大丈夫だろうと思います


   ヨーロッパ現代史に関する思い出話
   「紛失」した書類
   1968年の引越し計画
   国境から見える戦争
   帰らない人
   無国籍証明


   Wikipedia:オスマントルコの第一次ウィーン包囲
   Wikipedia:オスマントルコの第二次ウィーン包囲

   Wikipedia:オスマン帝国
   (右の地図に領土の拡張と縮小が緑で、現在のトルコ共和国が赤で示されます)



        
  

   このところ梅雨のような空模様

   街中に住んでいるので分かりませんが、地方によっては50年に1度の豪雨とか。


   新聞のHPに載ったシュタイアーの様子
   画像下半分は増水したシュタイアー川です
   


夏至の街角

2009-06-22 | そこらへん
       学校の夏休みも近づき、気の早い人は、もうバカンスに出掛けています

       そんな夏至の頃、大学付近の点景です(相変わらずのピンボケ写真


       木立の向こうに大学前の教会
       


       これも大学の校舎のひとつ
       


       教会は一部修復中(柱を飾る寄せ植えの花)
       


       大学脇の芝生で日光浴する人たち
       


       大学本校舎と市電ターミナル
       



       おんぼろカメラでは写せない本校舎正面の「ほぼ全貌」はこちら





色と音の饗宴

2009-06-20 | おきにいり
         友達の画家イワンは、長年コンピューター・グラフィックを手がけていますが

         最近は、更に進んで、マルチメディア芸術にも取り組んでいます。

         芸術週間の一環として、市庁舎のホールで、マルチメディア・ショーがありました。



         



         コンピューター・グラフィックのスライド・ショーですが、

         彼の作曲したBGMが流れ、グラフィックの一部はアニメになっています。



         


         


         



         腕もカメラも悪いし、まだ新ソフトでの加工がうまく出来ません

         イワンのサイトは、どんどん充実しているので、そちらをご覧ください


         イワンのホームページ
         イワンが指導している子供たちの作品



         以前の記事
         YMOの調べ
         芸術の秋追加
         芸術の秋
         コンピューターグラフィックその2
         コンピューターグラフィック


夏休み開始

2009-06-18 | おきにいり
         夏休みが始まりました

         と言っても、私の通っているアラビア語コースの話です。

         一般の学校の夏休みは7月からです。


         コース終了式の様子
         


         コースは毎年9月末から6月半ばまでで、今回は欠席が多かった

         出席してても、全然進歩はありません



         それでも終了証と粗品がいただけます
         

         マウスパッドと絵本です。面白そうなので、合間に読んでみよう


         以前のアラビア語記事
         アラ絵本
         私の先生

         Wikipedia:アラビア語


           

         私のクラスの顔ぶれは多彩です。ご主人がシリア人という母娘(娘さんは
         もうすぐ医学博士)、イラク出身の女子学生、父親がシリア人で母親が
         ブルガリア人という大学生、イラン出身の女性(ミフラザードという名前が、
         シェヘラザードを思い出させます)、パレスチナ人、アルジェリア人など。
         皆、ヨーロッパで育って改めてアラビア語を習おうという人たち。
         他のクラスにはアフリカの人もいます。もちろん「地元民」の参加者も・・・


         Wikipedia:シェヘラザード
         

ハリネズミ

2009-06-15 | おきにいり
   5月に終わらせるつもりだった「思い出話」が長引いたので

   そろそろ「地元ネタ」に戻らせていただきますが、その前に・・・




   ルーマニアの友達からメールで送られてきたハリネズミの写真をご覧ください



   


   この友達の愛猫ヘルベルトは今も元気だそうです


   以前のハリネズミ記事
   ハリネズミSOS

   Wikipedia:ハリネズミ



     


   「思い出話」のつまらない締めくくりは、近々書きます


講演・雷雨・タクシー

2009-06-11 | その他
   三題噺ではありません


   5月にアップする予定だった「思い出シリーズ」は

   ヨーロッパ現代史の出来事に関する思い出の予定でしたが

   前回、ちょっと脱線してしまったので、ついでに、もう一度ダマスカス


         


   夏の4~5ヵ月一滴も雨の降らないダマスカスですが

   秋・冬・春には、雨も雪も降り、雷を伴う豪雨もあります。春先のある日、

   ダマスカス大学で講演を見た後(全然聞き取れなかったので見ただけ
   外へ出ると、ドッと暗くなり激しい雷雨

   友達はバスで帰ると言い、私は大学前の舗道でタクシー待ち。

   突然の豪雨なので、舗道にはタクシー待ちの人たちがズラーッ・・・・・・・

   皆、タクシーの来る方向を見ているので「後ろ」に誰がいるかは知りません。

   私の前に2人の男性が、やはりタクシーを待っていて、やっと1台確保

   彼らはタクシーに座って初めて、私がタクシーを待っているのを「発見」。

   2人はせっかくひろったタクシーから降りてきて、その車を私に譲ってくれたのです。

   おかげで、あまり濡れずに帰宅できました


         


   家族・親戚・友人・知人同士の助け合いは世界中どこでもありますが、

   路上での赤の他人のこういう親切は、一生忘れられません。


         


   ダマスカスやシリアの写真は、別ブログにアップするはずですが

   このお話の現場については、当然ながら写真がありません。

   まだ、あまり進展していませんが、シリアとダマスカスの写真は

   ビラードシャームでご覧ください

   Wikipedia:ダマスカス


よそ者の顔

2009-06-09 | その他
   「よそ者の顔」っていうのがあるようです


   この街に住むようになってから1年半くらいは

   外出中、時々、通りかかりの人から話しかけられました。

   と言っても、親切な人たちなのです。

   「何かお探しですか?」「何かお手伝いしましょうか?」といった類。

   話しかけてから「何語がいいですか?英語?フランス語?ドイツ語?」

   なんて尋ねる人もありました


         


   ここに住むようになって3年目くらいからは、逆に、通りかかりの人から

   道を尋ねられるようになりました。「土地者」の顔になったようです。


         


   ダマスカスには今まで5回、合計で半年くらい滞在しています。

   最初の滞在中は、やっぱり「お手伝いしましょうか?」と話しかけられました。

   親切に、滞在中の家まで送ってくれた人も何人かありました。


         


   次の滞在からは「大丈夫ですか?」と話しかけられることはなくなりました。

   ダマスカスでも「土地者」の顔になったようです。


         


「紛失」した書類

2009-06-06 | その他
   5月にアップする予定だったお話の続きです。


         


   友達のお父さんは高名な彫刻家でした。

   彼は美術アカデミー教授で、試験官も務めていました。

   その頃、アドルフ・ヒトラーという名の貧乏な画家志望青年が

   2回、美術アカデミーの試験を受け、2回とも落第しました。

   友達のお父さんも、ヒトラーを落第させた試験官のひとりです。

   友達に言わせると「私の父も、ちょっと第二次世界大戦に責任がある」そうな。

   確かに、ヒトラーがアカデミーに受かっていたら

   無名の画家で一生を終わったかもしれません・・・


   お父さんは、その責任を感じてか、反ナチスのレジスタンスに参加し

   ゲシュタポに逮捕されて、強制収容所へ送られるはずでした。

   ところが「収容所送り候補者」の書類を扱った担当官は

   お父さんの彫刻のファンで、当該の書類を意図的に「紛失」させたのです。

   それで、ヒトラーを落第させた彫刻家は、無事、終戦を迎えたのでした。



         


   Wikipedia:アドルフ・ヒトラー
   Wikipedia:ゲシュタポ
   Wikipedia:マウトハウゼン強制収容所(お父さんが行きそこなった強制収容所)

   「アドルフ」に関する以前の記事
   アドルフその1ドイツ
   アドルフその2スイス