ちょっと遅くなりましたが、
東京大空襲(ここでは1945年3月10日のもの)70周年の前日
NZZ(新チューリヒ新聞)に東京大空襲に関する1ページの特集記事が載りました。
タイトルは「炎の地獄を逃れて」
上の写真をちょっとアップ
写真の女性は当時8才で、爆撃から逃げる途中家族とはぐれ、意識を失い、気がついたときには折り重なった死体の下にいました。上の人たちの身体が火を防いだため生き残ったのです。幸いにも空襲後、家族が再会、全員の無事が分かりました。直撃を受けた地域では幸運な例外かもしれません。
8才の少女が前日一緒に遊んだ近所の友達とは2度と会えなかったということです。
彼女は今、東京大空襲が忘れられることのないよう、ボランティアで体験談を語っているそうです。大人よりも小学生に話しているときの方が、しっかりとした手ごたえがあるそうです。8才の少女の体験ということで、感情移入しやすいのかも知れませんが、あるいは大人には、暗い話煩わしい話は面倒だという意識があるのかも知れません。
爆撃を受けた地域の地図をちょっとアップ
ちょっと見分けがつきにくいですが
藤色のところが1944年11月から1945年1月までに爆撃されたところ
灰色が1945年4月
黄土色が1945年5月
ピンク色の濃いところが1945年3月10日の大空襲
それまでの爆撃目的地は軍事施設のある都市だったのですが、東京の空襲では一般市街地が爆撃目標で、市民が大勢犠牲になることは当初から明確でした。
しかも、アメリカ軍は東京のどこに燃えやすい木造住宅が多いかなども詳しく分析した地図によって爆撃目標を決めていたのです。
市民(いわゆる非戦闘員)が犠牲になっても、1日も早く戦争を終わらせるためには正当である、というのがアメリカ軍の基本姿勢でした。
以上が記事の内容(一部割愛)ですが、原爆投下の場合にも同じ「正当化」が行われています。「戦争が1日でも早く終わるように。」
これは明らかに詭弁(屁理屈)ですね。
本当の人道的立場からは「終戦が1日遅れても、一般市民からは犠牲を出さない」というのが正しいと思います。
もちろん、一般市民の犠牲者が無ければ、いくら戦争しても宜しい、などということは絶対ありません。
東京大空襲に関するWikipedia記事は、
ドイツ語版の方が
英語版よりも詳しく、写真もドイツ語版の方が多いです。
東京大空襲・戦災資料センターHP
東京大空襲と同じような被害を受けたのが
ドレスデンです。ドレスデン空爆は1944年秋から始まりましたが、1945年2月13日から15日の空爆が最大規模で、つまりドレスデン大空襲です。
この場合は、既に戦局は明白で、連合軍側でも反対者がいたのですが、第二次大戦末期は既に
冷戦時代の前夜で、ソ連軍に占領されそうな重要都市は破壊しておこうという下心があったようです。
しかしドイツ全域の重要都市は殆ど漏れなく大規模な空爆を受けています。
Wikipedia:
ドレスデン爆撃
現在のドレスデン中心部は、バロック時代の景観を取り戻しています