みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

脇道を通って

2016-05-30 | 旧市街

前回は歩いた順序に関係なくアップしましたが
やっぱり歩いた順のピンボケ写真もアップいたします


1)進行方向の脇道:突き当たりに見えるのはブルク劇場


2)フライウンクという名の広場


3)この広場にはよく市が立ちます

クリスマス市、イースター市も人気

4)広場で発見

なんと、こんなところに憲法裁判所

日本語ウィキの憲法裁判所記事では、オーストリア憲法裁判所の以前の所在地写真が載っています(写真16参照)。

5)先へ進むと次の広場があります


6)その手前に私の好きなナグラーガッセの入り口


7)フライウンクを振り返ったところ


8)これはアム・ホーフ広場

ここも定期的に市が立ちます

ここにバーベンベルク王朝時代の宮廷(ホーフ)があったので、アム・ホーフという名前になっています。

9)突き当たりには歴史的な市民の武器庫


外敵の侵攻があった場合には、宮廷の兵士に加え、市民も武器をとって戦いました。
特にオスマントルコとの戦争が続いた時代には、この武器庫が重要でした。1848年の三月革命では市民軍がここに本営を置きました。現在の市庁舎が建てられると武器も移され、それ以降はウィーン市の中央消防署となっています。

10)消防署の車庫


11)広場の一角を行くフィアカー(馬車)


12)広場の隅の目立たない小路の入り口


13)その小路を通ると・・・


14)以前にもアップしたユーデンプラッツ(ユダヤ広場)


中央にはホロコースト記念碑があります。ホロコースト
この記念碑は、犠牲者を象徴して、背表紙を内側にして並べた読めない本の図書館を表しています。

15)広場の眺め


16)広場の一角にある旧ボヘミア政庁


ハプスブルク王朝内のボヘミア王国に関する政庁でしたが、1946年から2012年までは憲法裁判所がありました。

17)更に先へ進みます


18)この先にグラーベンがあります


19)グラーベンには出ず脇道を通ります

奥に見えるのはペーター教会

20)私の好きなヨジェ・プレチニックのビル


21)突き当たりにシュテファン寺院


22)迫ってきました


23)シュテファン広場に出て・・・


・・・ここから地下鉄で帰りました。





出ているもの

2016-05-28 | 旧市街

前々回の続きです。いつもは歩いていく順にピンボケ写真を並べていますが、今回は先ず「出ているもの」だけピックアップ

出ているもの、というのは看板、ランプ、お顔、散歩の犬さんです

1)手袋屋さん?


2)ひと目で分かる薬屋さん


3)ハーブ専門店

薬草や調理用など網羅していると思う

4)


5)


6)レストランのランプ


7)


8)笑う人


9)真面目


10)ビーグル・コンビ


11)三毛犬さん



まだ続きます でも乞無期待


 今日の蛇足:警官とスリ

ちょっと前にオーストリアの新聞HPで見た記事です。

ウィーンでドジなスリが狙ったのが、非番で外出中の私服の警官。警官はスリに気付き、ズボンのポケットを押さえたので、スリは諦めて立ち去りました。が、警官は諦めずにスリの後をつけ、次の被害者のサイフを盗もうとする瞬間に現行犯逮捕したそうです。
スリがドジなのか、警官が有能なのか・・・多分両方なのでしょう


オバマ大統領が現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問したことは、こちらでも大々的に報道されています。
他の大統領にはできなかったオバマ大統領らしい行動だと思います。






例外速報

2016-05-26 | その他

このボログは、いつも、もう古くなった話題を持ち出す遅報が普通なのですが、今回は例外的に速報です。
オーストリア大統領選挙のことが、日本のHPにも出てきたのでビックリ・・・でもなかったのですが「なるほど、やっぱり」という感じ
オーストリアは言わば文化大国で、政治的ニュースには、めったに出てきません。今回は例外でした。

オーストリア政府はもう長年、国民党と社会民主党の連合政権。その両与党が立てた2人の候補(二人とも経験豊富な政治家)が大統領選挙で惨敗、立候補者の誰も過半数以上の得票が得られず決選投票となりました。決選投票に進出したのは、環境保護を重点としている「緑の党」と、ネオナチとの関係もある排外的な「自由党」の候補でした。決選投票は5月22日でしたが、当日の開票では決着がつかず、今回特に多かった郵送投票が翌日開票され、漸く「緑の党」の候補が新大統領となりました。
この経過は、2002年フランスの大統領選挙にも似ています。
オーストリアの緑の党についてはこちら

ヨーロッパ中で注目されていたので、私が定期購読しているスイスのNZZ(新チューリヒ新聞)にも大々的に報道されました。


火曜日のNZZ

1面右側に「ファン・デァ・ベレンが新大統領」

水曜日のNZZ

これも1面右側に「オーストリアが選んだソフトなチェンジ」

同日の3ページ目に解説記事


記事の中にオーストリア地図が見られます。得票優勢の地域を「緑の党」は緑、「自由党」は青で表した地図。ちょっと見難いですが、「緑の党」候補優勢なのは都市部で、農村部は「自由党」優勢でした。

ファン・デァ・ベレンという姓からも分かるように、先祖はオランダ出身で、ロシア帝国に移住、ロシア革命の後エストニアに逃れ、更に両親がウィーンに移って、ここで1944年、アレクサンダー・ファン・デァ・ベレン新大統領が生まれましたが、ソ連軍がウィーンに迫ったとき、一家はチロルに逃れました。ファン・デァ・ベレンはインスブルック大学で経済学を専攻し、インスブルック大学とウィーン大学の教授でした。
何年も前に「現在の政治家の中で大統領になってほしい人物は誰か?」というアンケート調査があり、女性回答者の中で1位だったのがファン・デァ・ベレンでした。

NHKサイトの記事が分かりやすいです。
ファン・デァ・ベレンについては英語ウィキをご覧ください


「自由党」の対立候補の発言で私が特に疑問を持ったのは「難民を受け入れるな、難民に援助を行うな」と言い、同時に「難民に就職の機会を与えるな」と言っていたことです。何が何でも「よそ者」は排除しようという感じですね。
真面目な難民が就職して、受入国に税金を納めるようになれば、受入国にとってプラスとなります。ヨーロッパの国々でも少子化・高齢化が大きな問題になっているのですから、難民が定住して新国民になるのは良いことです。


次回は旧市街に戻ります でも乞無期待ね





芝生人の繁栄

2016-05-24 | そこらへん

また芝生人の季節になりました。
いつも登場するヴォティーフ教会前のジークムント・フロイト公園にも芝生人がいっぱい


1)備え付けのデッキチェアは自由に使えます


2)小犬さんもお散歩


芝生の周りを一回りします。

3)


4)木の向こうのヴォーティフ教会


5)ベンチもあります


6)また木の間からヴォティーフ教会


7)乳母車の人たち


8)旧市街の方へ向かいます


9)教会の方を振り返ったところ


10)銀行入り口のレリーフ


11)この本屋さんには今でも時々行きます(大学指定の書店)

2階の窓ガラス部分は全て、この書店のフロア


以前の記事の一部
救うべき人々
芝生人の季節
初芝人
以下省略



これから旧市街のピンボケ写真が続きます でも乞無期待






無名所案内

2016-05-22 | その他

前々回前回の通りや広場の名前と由来のタネ本です。




この本は独アマゾンで買いました。ウィーンの全ての通りが網羅されているので便利です。でも、この頃はウィキのサイトで済ましています。
書店も、もう何年も殆ど利用していません。果たして良い傾向なのか分かりませんが便利なことは確かです。
重要だがマイナーな本というのは、以前には、何軒もの書店をまわって探したものです。それでも見つからないとガックリ疲れが出て・・・
昔、百科事典で探した項目も、今はネット検索です。便利だけど、ネット依存性が強まっているのは、手放しで喜べないような気がします


ついでの蛇足ですが・・・


観光名所以外の知られざる教会についても、この頃はネット検索で解決します。

ダマスカスには今の記憶で少なくとも200以上のモスクがあります。しかしガイドブックに出てくるのは、その中の数ヵ所です。
ダマスカスの友達が生きていた頃、小さなモスクも紹介されている本はないか?と頼んだので、探し出してくれたのが次の2冊。
いすれもダマスカスの歴史の本で、観光化していない歴史的モスクは紹介されています。








彼女に頼んでから、我が身を振り返って、果たしてウィーンの無名教会を網羅した本なんてあるだろうかと反省したものです。
多分「ウィーンの無名教会総覧」なんて本は無いでしょうが、恐らく全ての教会はネット検索で分かるようです






広場と公園続き

2016-05-19 | そこらへん

前回に続いて歩いていきます


先ずシュタットハレ東側にある三月公園(メルツパーク)
1848年の三月革命のときの犠牲者を記念した名前で、公園の中に記念碑があります。
シュタットハレを英語に直訳するとシティホールですが、米英語のシティホールは市役所。シュタットハレはイベント会場です。

1)


2)


3)紫の花が咲いていました


4)


5)ここにはバスケットボール用のコートがあります


6)


7)シュタットハレと三月公園を後にします


8)途中の脇道


9)とっても赤い外壁(レストランのようです)


10)途中の並木道


11)シンプルだけど可愛いラクガキ



続いてライトホッッファー広場:ライトホッファーは現在も存在するタイヤ・メーカーの創設者です。

12)


13)花粉症の原料供給元みたいな木


14)ここにも遊び場


15)気持ち良さそうなベンチの列


16)


17)ゴルトシュラークシュトラーセ(シュトラーセはストリートです)

通りの名前は既に1375年に記録が残るゴルトシュラーゲンというブドウ園に因むもの

18)カール・ポパー学校(ウィーン市立の中等学校)

名前はもちろんカール・ポパーに因むものです

カール・ポパーの「開放社会とその敵」は、実に面白い本です。いつか紹介するかも・・・

19)シュメルツ橋

この橋の下にはオーストリア国鉄の西部路線(ウェストバーン)の線路が通っています


近くから地下鉄に乗って帰りました。


付け足し

公共建築でも個人の住まいでも、どこにあるかを明確にするのがアドレスです。その場合、道路に名前を付け、番地との組み合わせで示す方法と、地域に名前を付けて、番地と組み合わせる方法があります。住民にとっては問題ないでしょうが、よそ者(旅行者など)が目的地を探す場合、道路名と番地の方が探しやすいと思います。

ウィーンの道路名とその由来については詳しい本がある上、ドイツ語ウィキでも同様の内容のサイトがあります。





広場と公園

2016-05-17 | そこらへん

日曜日は聖霊降臨節の日曜日で、人混みの苦手な私は、地元民が平日に使うような平凡な広場と公園を歩きました


先ず16区のルド・ハルトマン広場:ルド・ハルトマン(1865~1924)は、歴史学者・外交官で国民大学も創設しています。

1)遊び場の多い広場


2)


3)大きなポプラがありました(後方)


4)遊び場の横にはサッカー練習用スペース


5)少し離れたところから振り返ってみたルド・ハルトマン広場



少し南下すると15区でフォーゲルヴァイデ公園があります。以前にもアップしたフォーゲルヴァイデは中世の詩人。

6)公園の敷地が柵で囲まれています


7)入り口:右手の写真外にはなだらかな坂道があります(バリアフリー)


8)公園の名前の説明


9)ドッグラン有りの表示(夜は閉門されます)


10)奥行きのあるドッグラン


11)


12)


13)


14)


15)公園の南隣にはシュタットハレがあります


2015年にはユーロビジョン・ソング・コンテストの会場となりました。

16)建物の横を通って先へ進みます


17)広場に置かれたベンチ(後方には次の公園が見えます)

上に座ったり寝そべったりできます

18)シュタットハレの南側



続きます けど乞無期待






ミンチョ川

2016-05-14 | そこらへん

前々回前回の続きで更に徒歩北上中


1)前回最後の写真の通り


2)この通りの名前はミンチョ通り

15は「15区」の意味、このシステムでは地図を片手に初めての番地を探すのも簡単

これは北イタリアのミンチョ川に因むもので、王朝時代末期の1912年に名づけられました。当時イタリア北部にも領土のあったオーストリア・ハンガリー帝国にとって、ミンチョ川が重要な防衛線であり、この川に沿って4つの要塞が設置されていました。

帝国時代の防衛線のことも言及されているドイツ語ウィキに載っている写真を見ると「重要な防衛線」の意味がわかります。

この辺りは、昔はウィーン郊外の町あるいは村だったわけで、その名残りが微かに感じられます。

3)


4)集合住宅(多分市営住宅)前の緑地


5)こういう風景は今でもウィーン郊外の町で見られます


6)草地のタンポポは刈り取られることはありません


7)ミンチョ通り北端にある小公園


8)ウィーン市HPでも古い大木の保存されていることが紹介されています


9)公園から見えるウィーンの森の丘陵地帯

下の通りが15区と16区の境界です

10)これから下へ降ります


11)ここの斜面にもタンポポがいっぱい


12)下の通りで見たポスター

国民大学の学習ステーション:数学、ドイツ語(つまり国語)、英語

13)入り口:この「学習塾」は無料です!


14)タマリスクがありました(ちょっとショボい)


15)更に進むともう1本タマリスク


以前のタマリスク記事:花の雲(砂漠仕様)

16)この通りを進むと以前紹介した聖霊教会があります


以前の記事
創造と想像
秘められた名作





さんぽを通過して

2016-05-12 | そこらへん

前回の続きです


1)さんぽ通り(サムポガッセ)を進みます


2)途中で見た家


3)途中で見た変な家

コンテナを乗せたような(多分)建て増し部分

4)さんぽ通りが終わり通りを渡ります

この通りは堡塁(シャンツ)があったためシャンツシュトラーセという名前

5)別の通りに入りました


6)まるで公園のようですが普通の通り


7)イプセン通り(イプセンシュトラーセ)

人形の家」や「ペール・ギュント」で知られるイプセンを記念したもの

8)


9)また別の通りに出てきました


10)庭の片隅の寄せ植え



これで14区(サムポガッセ)と15区を歩いてきました(14区の北端から15区に入ったので僅かな距離です)。


さらに16区へ続く・・・ でも乞無期待






さんぽ通り

2016-05-09 | そこらへん

やっとゴタリング終了のはずで、久々に知られざる教会を紹介しようと出掛けたのですが・・・


1)本格的に修復中でした


2)後陣もクリストの包み芸術みたい


3)教会横に「はとば」(ハト場)


4)入り口もこんな具合


5)本来ならこういう外観です

ウィキ・フリー画像

この地区(ブライテンゼー)の教区教会で聖ラウレンティウス教会。
ラウレンティウスさんは、快川和尚みたいな最期を遂げ、同じような言葉を遺しています。

周辺の様子

6)


7)


8)


教会の近くに「さんぽ通り」があります。Sampogasse(サムポガッセ)の名前は、この辺の地主だったサムポさんに因むとか・・・

9)Sampogasseの表示


10)通りの反対側の表示


11)この「さんぽ通り」を北上します



というわけで続きます でも乞無期待