みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

汀のマリア再び

2023-01-27 | 旧市街


以前に紹介した汀のマリア。私のお気に入りの教会です
ドイツ語ではMaria am Gestade(マリア・アム・ゲシュターデ)。
最近、独語Wikiでユニークなアングルの画像を発見したので再度登場してもらいます
どっちみち腕もカメラもプロ級以上でないと撮れない場所にあります



シュテファン寺院の塔から見たマリア・アム・ゲシュターデ教会の尖塔と屋根




後方にはフンデルトヴァッサー設計のゴミ焼却施設の塔、更に後方はウィーンの森の丘陵が見えます。



狭い路地にひっそり立っている汀のマリア





当時の記事には「そのうち写真を撮る」とか書いたものの、すっかり忘れていたというか、早々と諦めたというか・・・
基本的な情報は既に当時の記事にあるので、上のリンクから古記事をご覧ください


マリア・アム・ゲシュターデ教会の写真を撮るのは忘れて(諦めて)いましたが・・・
ウクライナが勝利して平和が訪れるまで、忘れず応援を続けましょう  




無いという贅沢

2022-06-10 | 旧市街


久々に旧市街です
ウィーン歴史地区

旧市街には名所が多く、主な通りは賑やかなのが普通ですが、ちょっと脇道に入れば大抵は静寂そのものです




例えばこの通り






人通りも殆どなく、観光名所は全くありません。それでも手入れが行き届いているのは良く分ります
旧市街でも最も古い部分で、17~18世紀の民家が残っています。この「何も無い空間」が、古いウィーンを現代に伝える史跡とも言えます。

通りの名はクンプフガッセ(Kumpfgasse)で、ウィーン歴史Wiki(独語サイト何故かリンクできず)によればクンプフはヴァルクトロク(Walktrog)と同義語。
いずれも使用頻度の少ない単語ですが、中世に布作り職人や毛織物職人が縮絨工程で使った長方形の桶だそうです。
近くには、毛織物職人や毛織物商が多かったWollzeile(ヴォルツァイレ=文字通り毛織物通り)があるため、クンプフガッセには桶作り職人が住んでいたと推定されています。


都市の公共壁面はストリートアートのカンバスです。
ドナウ運河の一角に最近プートラーが現れました:Stop Putler

本当に一刻も早くストップしてほしいです





棟梁の肖像

2022-04-22 | 旧市街


 ハッと気づいてみれば「2日おき」の更新を、すっかり忘れていました 
確かにウクライナは気になっていますが、それ以外には忙しかったわけでもなく、ただ忘れただけ 

このところ暫く旧市街にご無沙汰だったので、久々にシュテファン寺院です
・・・と言っても、今回は建物を建てた人。工事の指揮をした人で、つまり棟梁ですね

古い時代には「個人」という存在は殆ど意識されず、従って誰が建てたかも記録されていません。
しかし中世末期にシュテファン寺院の建設工事を指揮したアントン・ピルグラムは、教会の中に自分の肖像を残しました。
近世における自我への先駆けと言えるでしょう。


幾つかあるオルガンのひとつの基部にあるレリーフ




その全体(暗くて見にくい写真ですが・・・)




壁のラクガキみたいなのが面白いですね。「マイスター・アントン・ピルグラム1513」ではないかと推定



説教壇の下にもピルグラムの肖像があります。
「窓から覗く人Fenstergucker=フェンスターグッカー」という通称があります。




1880というのは、改修か何かの年と思われますが、忘れなかったら、そのうち行って調べてみましょう


左側に見える複雑な装飾彫刻の上が説教壇




さて肝心のピルグラムさんは、どんな人か英語Wikiに紹介されています(丸投げ)






眉毛のない家

2021-12-28 | 旧市街


前回の延長線上で「眉毛のない家」を紹介します。
ワーグナーは「芸術は必要にのみ従う」と述べましたが、1世代後のアドルフ・ロースは更に進んで「装飾は犯罪である」と言い切っています。
Wikisouce:Ornament und Verbrechen(ドイツ語「装飾と犯罪」)

しかし、ロースも完全に装飾を排除したわけではなく、時代の先端を行くモチーフによる装飾を取り入れています。ユーゲントシュティルに加えてキュビズム建築やバウハウスへ繋がるものと言えるでしょう。



ロースの代表作であるロースハウス正面ファサード



この建物は、今でこそ建築史上の金字塔と評価されていますが、当時は一大スキャンダルとなり「眉毛のない家」と呼ばれました。
歴史主義建築時代に「ネオ」という接頭辞を付けてルネサンスやバロックを真似したネオルネサンスやネオバロックでは、窓の上に装飾(眉毛)があったからです。


眉毛のある家の例



これは花のワーグナーに紹介した2番目の写真でマジョリカハウスの左側に少し見えている典型的な歴史主義建築の正面ファサードです。
「眉毛」が沢山ありますね


ロースハウスの全貌(左端に少し見えるのがミヒャエル宮)



ホーフブルク宮殿の正門ミヒャエル門のあるミヒャエル広場に面し、当然のことながら、皇帝が居住していたミヒャエル宮と向かい合っていました。フランツ・ヨーゼフ皇帝は生涯、自動車も電話も使わない徹底した保守派だったため、「眉毛のない家」を嫌い、ロースハウスの見える窓のカーテンは常に閉めたままだったということです。






肉屋通り

2021-09-20 | 旧市街


久々に旧市街です







この通りはFleischmarkt(フライシュマルクト)で、直訳すれば肉屋通り🍖
中世、ここには多くの肉屋と肉屋組合の建物があり、既に1220年の古文書にも「フライシュマルクト」の名前があるそうです。
ドイツ語Wikiの記事
左手前で一見してユーゲントシュティルと分かる建物は、1910年に建てられました。

突き当りに見える赤レンガの建物は、ギリシャ正教の聖三位一体教会です。
設計者は歴史主義建築の代表的な建築家テオフィル・ハンセンで、ビザンツ様式で建てられています。

教会の左からギリシャ小路が始まります。私の大好きな小路で、これまで数回、紹介しています。そのうち2回は「ギリシャ小路」というタイトル。
ギリシャ小路
ギリシャ小路








金細工師小路

2021-07-10 | 旧市街

久々にちょっと旧市街


シュテファン広場は、最近では西洋除夜の鐘で触れました。




シュテファン寺院の斜め向かいに、歴史的建築群の中で異彩を放つハースハウスがあります。上の写真はシュテファン寺院の側から撮ったもので、「西洋除夜の鐘」で触れたシュトック・イム・アイゼンは、この画面の左外にあります。


ハースハウス下の右角には地下鉄ホームに通じるエレベーターがあります。
その右側から始まっているのがGoldschmiedgasseゴルトシュミートガッセ(金細工師小路)です。




中世、この通りには金細工師の工房があったので、この名前が付けられました。
突き当りに見えるのはペーター教会です。
短い小路ですが、今の旧市街だけがウィーン市街だった頃には、普通の通りだったと思います。


4番地の建物の外壁を飾るアトラス。上に鳩さんが1羽休憩しているようです。





この建物は文化財保護指定されています。この小路は良く通るのですが、ただ通り過ぎるだけで、左右をよく見ることはありませんでした。
次に行ったときには、ゆっくり眺めてみようと思います。



      



行きつけのホームドクター(のアシスタント)から電話があり、2回目のワクチン接種は14日と知らされました。
4月28日に1回目の接種を受けたときには「2回目は7月21日」ということでしたが、1週間早くなったようです。
大規模な接種センターで長蛇の列に並ぶのではなく、近くのお医者さんで接種してもらえるのは楽です






ドナウのクジラ

2021-06-01 | 旧市街

昔々はドナウ川にもクジラが棲んでいたのです・・・というのは勿論ウソです



ドナウ運河ストリートアートのクジラさん登場






このクジラさん、仰向けのように見えますが・・・
クジラさんの「へそ天」もあるんでしょうか



      



日常風景になったCovid-19ワクチン・センターの順番待ち





行列に並んで待つのはイヤですから、近くのホームドクターで接種してもらえるのは有難いです
とにかく1日も早く無マスク生活が戻ってきますように





中庭のような小路

2021-04-24 | 旧市街

前回の猫さんを発見するきっかけになった旧市街の小路


ブルーメンシュトックガッセBlumenstockgasseの通り名表示(こういう古い字体の通り名表示は残り少なく貴重な存在です)





Blumenstockは一般的には「鉢植えの花」ですが、Stockは英語のストックに当たる単語で、幅広い意味があります。
それで画像検索していたら、猫さんと花の写真を見つけたのでした。


通りの全景




短く狭い小路で、カフェやレストランが屋外席を置いているので、中庭のようです。
通り名の由来は19世紀後半にあった「古い鉢植えZum alten Blumenstock」というビアホール
今は「新しい鉢植えZum neuen Blumenstock」というレストランがあります。

City ABCというサイトによれば、道の全長62.23m、通過する所要時間は0.75分

2番地には1985年からフリーメイソン・オーストリアのグランド・ロッジがあるそうな。
5番地の家には1819年から1820年にベートーヴェンが住んでいたそうです。


 えーと、全くの蛇足ですが、フリーメイソンリーを平たく訳せば「自由左官屋組合」ですね





旧市街の鷲獅子

2021-04-06 | 旧市街

文字数を少なくするため鷲獅子(しゅうしし)と書きましたが、つまりグリフォン





旧市街のクレントガッセKurrentgasse12番地の建物外壁を飾るグリフォンプット (「鷲と子供」としているサイトもあります)
このグリフォンの写真は日本語Wikiの記事にも載っています。

クレントというのはワイン税の徴収官だそうで、中世から近世にかけて、この通りにクレントの事務所があったので、18世紀初頭から、この通り名が使われるようになりました。
建物の建築年代は不明ですが、良く保存されたバロック時代の民家です。
この辺りは中世にはユダヤ人居住地で、クレントガッセはユーデンプラッツJudenplatz(ユダヤ広場)につながっています。


ついでにユダヤ広場の写真





突き当りに3軒並んだ建物の右端(建物の部分のみ)がクレントガッセ12番地です。続く2軒のアドレスはユダヤ広場。
中央にレッシングの記念像があり、左端に一部写っているのがホロコースト記念碑です。
ここに住んでいたユダヤ人は15世紀半ばのポグロムで追放され、あるいは焼き殺されました。理由は根拠の希薄な言いがかりでした。


この広場は静かなので奥に見えるカフェテラスは快適です。






晩餐教会再び

2021-03-16 | 旧市街

随分以前に紹介したことのあるミノリーテンキルヒェ(小さな兄弟教会)。
当時も書きましたが、ウィーンで最も古い貴重な教会のひとつ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」原寸大モザイク・コピーがあります。
このことは(知っている人には)知られています(当たり前)
ウィーン在住イタリア人のための教会なので、イタリア語を聞く可能性の高い場所です。

当時は安物のバカチョン・デジカメで撮ったピンボケでしたが、今回はWikiからの写真。
教会周囲の空き地が少ないため、高級なカメラでないと良い写真は撮れません。





周辺は住宅・オフィス・官庁ばかりで店舗はなく、落ち着いて静寂を楽しめる場所です。
英語WikiのMinoritenkirche記事末尾に写真があります


以前の晩餐教会
当時仔猫ちゃんのテンプレートを使っており、その後今の無地テンプレートにしたら古い記事のレイアウトが「型崩れ」

少し直しかけたのですが、面倒なので、大半の古記事は「型崩れ」のままになっております


 教会内にはアッシジの聖フランチェスコさんを描いたフレスコ画もあります。
それで思いついたのですが、現在のローマ教皇フランシスコさんは、アッシジの聖フランチェスコを敬愛しているため、就任時に教皇名としてフランチェスコ(フランシスコ)を選んだということですが、イエズス会初のローマ教皇です。