前回 の続き(補足)です
その1
I am the enemy you killed, my friend
オーエンの詩「Strange Meeting(奇妙な出会い)」では、ある兵士(自分=オーエン)が、謎の暗闇で別の兵士に出会うのです。それが自分が殺した敵兵であると分かるのが、「
私は君が殺した敵だよ、我が友よ 」で始まる前回引用した最後の部分です。
何故なら
すぐに君だとわかった。君の暗い眼差しは
昨日、私を突き殺したときのように暗いからだ
私は防戦しようとしたが、私の手は動かず、冷たかった
さあ、もう眠ろう・・・・
この暗闇は冥界で、自分が今日殺されて、昨日殺した敵兵と出会ったと解釈することもできます。そして、ふたりは永遠の眠りにつくのです・・・
あるいは、自分が殺した敵兵に夢の中で再会したとも解釈できます。
戦争でやむを得ず人を殺した経験のある人、あるいは恐ろしい戦闘シーンを間近で見たは、大半の場合、戦後も長年、繰り返し、その場面の夢を見て苦しむようです。大災害でも同じことが言えるでしょう。
私は昔、戦争中に上官の命令で捕虜を撃ち殺した人から、いつまでも、同じ殺す場面の夢を見ると聞いたことがあります。戦争のトラウマは、長らく、場合によっては生涯、その人を苦しめることになるのでしょう。
その2
The Middle Parts of Fortune
フレデリック・マニングの小説のタイトルを直訳すると「運命の中ほど」ですが、本来は「運命の女神(幸運の女神)の腰(ヘソ?)のあたり」。もともと「
ハムレット 」の中に、ハムレットとローゼンクランツ、ギルデンスターンが、運命の女神(幸運の女神)について無駄話をする短いシーンがあり、ギルデンスターンが「我等は彼女(女神)の私兵である(her privates, we)」と言います。マニングの小説の最初のタイトルは「Her Privates, We」でした。
「ハムレット」を読んでいる人でも、こんな細かい部分まで記憶している人は少ないはずで、あまりにオタクなタイトルと思ったのか、批判されたのか、著者が後年、現行のタイトルに変えたのです。それでも「運命の中ほど」は抽象的ですが、「女神の腰(ヘソ?)のあたり」と分かれば、前線兵士の猥談のようにも聞こえます。
Strange Meeting朗読のYouTube
VIDEO
オーエンの「奇妙な出会い」の詳しい解説(英語)は
こちら
第一次大戦をテーマにした文学を紹介する個人のHPを見つけました。制作者はフランス人ですがHPは英語です。時間と興味のある方は
こちら
フレデリック・マニングの「女神のヘソ」も出てきます。