私のボログは、いつも遅報でして・・・
昨年、日本にいるとき、放送大学で初めて、この本の存在を知りました
2012年3月発行なので既に6年近く前の本ですが、その現代的価値は全く変わっていないと思います。
私は歴史書を読むのが好きなのですが、ポツダム宣言で戦後の日本の領土が日本列島4島と周辺小島に限定されていたということは知りませんでした。
この事実抜きにしても、私としては以前から、サハリンと「北方領土」と呼ばれる4島については、ロシアと話し合って、日本人も自由に往来でき、資源なども共同で開発し互いに利益を分かち合うのが良いのではと思っていました。
尖閣諸島、
竹島についても同様です。短絡的にけんか腰になるのでなく、ここでも共同利用で共に利益を分かち合うのが大切だと思います。
著者が指摘しているのは、日本側の情報源に、中国や韓国の分析や判断・主張が殆ど紹介されていないということです。
もし日本の主張が正しいのであれば、それこそ他の当事国の見解を明らかにして、その問題点を指摘すべきでしょう。
とりわけ中国の正しい評価と位置付けが大切だと思います。
そこで思い出すのは前に
別項目で紹介した平家物語。
壇ノ浦の合戦で、
二位の尼が
安徳天皇を抱いて入水する間際に「この国は
粟散辺土と申して、ものうき境にて候」と語ります。
遣隋使・
遣唐使の昔から中国は憧れの大国で、日本列島は日本人にとっても辺境だったのです。鎌倉政権内部の権力争いに絶望した
源実朝は中国(当時は
宋)へ行こう(移民のつもりだったのでしょうか?)と船を建造させましたが、この船が水に浮かばず、結局、
公暁に殺されることになりました。
その後も長らく「中国は大国、日本は粟散辺土」という意識が江戸時代まで続き、
解体新書の頃から中国について疑問が持たれるようになりました。どの国でも隆盛期や衰退期があり、当時の中国が問題を抱えていたことは確かだと思います。それでも、列強のアジア進出が明白になってきた幕末、国際情勢を多少は知る日本人でも「先ず日本が攻められ、それから日本を足がかりに中国が攻められる」と考えていました。それが
阿片戦争と
アロー戦争で中国が惨敗し、驚愕した日本人の目は中国から欧米に向けられます。
明治になって
脱亜論なるものがありました。この論文の中国と朝鮮半島評価は当時にだけ当てはまるものだと思いますが、どうも、この偏った近視眼的イメージが今日まで残留しているように思います。
現代の中国と韓国が国家として世界的にも高く評価されるようになったことは喜ばしいことです。中国がアメリカを追い越したとしても、それ自体は明快な現実に過ぎません。外交というのは国同士の「おつきあい」ですから、傲慢にならず、へりくだらず、礼節をつくし友好的に交流していくことが大切だと思います。
中国には政治的な面で色々批判がありますが、同時に、中国のように大きくて数々の少数民族が存在し複雑な問題をかかえる国が四分五裂せず何とかまとまっているのは重要なことだと思います。
不愉快な現実:
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「解体新書」の経緯でも分かるように、鎖国日本に世界の新鮮な風を届けてくれた
オランダです。日本人は、もっとオランダに感謝すべきだと思います。