みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

三兄弟のCD

2013-10-31 | おきにいり

ぴんぼけ写真が続いているので、ちょっと気分転換に「美しい音」の紹介です

カトリックのラジオ放送Radio Stephansdom(ドイツ語)では、放送とウエブサイトで毎週「今週のCD」が紹介されます。そこで紹介され、早速ドイツ・アマゾンで買ったのが、このCD。



三日月はイスラム教、十字架はキリスト教、下のダビデの星はユダヤ教のシンボル。

モーゼを指導者とするユダヤ教を出発点に、それを改革しようとして新たな宗教の始祖となったキリスト、そして、その両者から影響を受け(ネストリウス派キリスト教の影響が強いと言われる)ムハンマドを始祖とするイスラム教。こうして見ると、モーゼとキリストとムハンマドは言わば同じ神を信仰する三兄弟であり、当然、共に音楽を奏でることができる(いや、その方が望ましく正しい)という考え方から作られたCDで、3つの宗教の音楽が交互に登場します。三兄弟の子孫たちは、当然仲良く暮らさなければいけないという願いの込められたCDと言えるでしょう。

YouTubeに沢山アップされていますが、その1例




このCDのプロモーション映像



ペラ・アンサンブル主催者のメフメット・イェシルチャイがドイツ語で説明しています。
ここでは、3つの文化(宗教)圏の人々が共に音楽を演奏している。3つの世界宗教は、いずれも関連しており、3宗教が共存し影響しあった時代があった。教会とモスクが隣接して存在していた。当時はキリスト教徒の作曲家がイスラムのためスーフィー音楽を作曲したりしている。そうした雰囲気に最も相応しいのはバロック音楽だと思うので、バロック音楽も登場する。音楽とは、創造主=神の言葉である。互いに良いところを真似しあうことによってダイアモンドが生み出される。

ペラはイスタンブールの一地域の名称で、このアンサンブルのミュージシャンの少なくとも一部がイスタンブール(あるいはトルコ)出身であることを示しています。本拠地は多分ベルリンです(CDはドイツ製)。これも当然のことで、ドイツ帝国時代からドイツとトルコには深い結び付きがあるのです。トルコはイスラエルとの外交関係も正常で、三大一神教を結び付けるまとめ役たる基盤を持っていると言えます。

ついでに言えば、上記三大一神教以外に殆ど一神教はなく、世界各国各地の殆どの宗教は多神教です。一神教と多神教に見られる神をもたない仏教は、世界の宗教の中で極めて特殊な存在と言えるでしょう。仏教は「無神論的宗教だ」とか「宗教と言うより哲学だ」という意見を聞いたことがあり、私も、そう思います。


この三兄弟CD以前にドイツ・アマゾンで見つけ購入した、もうひとつのCDがあります。




ペラ・アンサンブルのCDは日本アマゾンでも扱われています。三兄弟のCD「Trialog」は新しいせいか、まだ日本アマゾンには載っていません。そのうち登場するでしょう





接近戦

2013-10-29 | 旧市街

タイトルに期待された方にはごめんなさい

前回の満員の広場では、展示されているヘリコプターや戦車など
ちょうど良い距離から全体を撮ることなど不可能で半端な接近画像ばかりなのであります

では又ぴんぼけ写真を並べます


1)中も見られるので見学者が大勢


2)


3)戦車には超接近戦(撮影)のみ可能でした


4)


5)消火作業の実演

テロ事件などで車が燃えている場合を想定したものでしょう

6)装甲車の細部(しか撮れなかった)


7)

ブンド・エシャーではなく「ブンデスヘール(連邦軍)」と読みます

8)


背景に見える建物は全てホーフブルク王宮です。

9)案内テントの中で説明する兵隊さん



詳しくは英語ウィキで
Austrian Armed Forces
Hofburg Palace


まだ続きます   乞無期待 





満員の広場

2013-10-27 | 旧市街

いつも、このボログにアップしたぴんぼけ写真について「人が少ない」とコメントをいただきますが、たまに例外の日があります。例えば10月26日「国民の祝日」

ナチス・ドイツに併合され1度地図から姿を消したオーストリア。第二次世界大戦後、戦勝4ヵ国(米・英・仏・ソ)に共同占領されました(ドイツも同じ)。時は冷戦時代、西側も東側も戦略上重要な位置にあるオーストリアを譲りたがらず、10年間の長い交渉の末、オーストリアを永世中立国とするという条件で東西が妥協、1955年5月15日オーストリアと4ヵ国が調印した国家条約によって漸くオーストリアは再び独立。同年10月25日までには占領軍が全て引き上げ、翌10月26日には公式に永世中立国となりました。その後、国民の祝日を何月何日にするかの議論があり、永世中立国を強調する10月26日が選ばれ、1967年から国民の祝日(休日)となりました。この日には、オーストリア軍の新兵宣誓式があり、広場に軍用車などが展示されます。

以前に1度、10月26日のぴんぼけ写真の数々をアップしましたが、今回は晴天だったため、当時にも増す混雑で、王宮前広場は超満員
ぴんぼけ写真の前半(混み具合)を羅列します

1)王宮前広場(ヘルデンプラッツ)への入り口も人でいっぱい


2)それでもワンコ連れも


3)綺麗なゴールデンさん


4)中へ入っても人でいっぱい


5)やっと画面の隅に捉えたテリアさん


6)2頭連れの人も

お口にカゴをつけていても猛犬とは限りません

7)普段は全然見かけない兵隊さん


8)新王宮の前も満杯


9)


10)新王宮車寄せも人でいっぱい



11)色々な展示やスナックのテントがいっぱい



オーストリア国家条約(英語)


これも続きます  乞無期待 


今日の蛇足

ラジオのビゼー誕生日記念カルメン特集の最後はドイツ語版「カルメン」でした。ドイツ語も角張ってはいるけど美しい言葉です。でも、これまでの英語、スウェーデン語、ロシア語に比べ、一番「カルメン」に向いていないと思いました。

10月26日で今年のサマータイムは終り、時計を1時間戻します。当然のことながら、27日から一挙に日没が早くなります。来年のサマータイムは3月末から





西山の秋2

2013-10-25 | そこらへん

前回の続きです


1)同じ人ではないと思いますが又昼寝人

以前の昼寝人はこの記事の下の方に登場

2)あの小屋が前回立て札のレストランかも


3)草原の小道を行くサイクリング・グループ


4)秋空と黄葉・紅葉のコラボ


5)


6)


7)


8)


9)


ここまで来て、以前、動画を撮ったと思いつきまして、久々「とことこピンボケ動画」
夫々の動画をつなぎ合わせる方法を知らないのでバラバラのまま











10)青空に輝く黄金のドーム


11)


この教会については病院の教会をご覧ください



今日の蛇足

10月25日はジョルジュ・ビゼーの誕生日です。これを記念してラジオでカルメン特集がありました。原語はフランス語ですが、この特集では1週刊に英語版、スウェーデン語版、ロシア語版が放送されました。このオペラは普通に喋る会話が多いので、会話部分の雰囲気の違いが愉快です

ビゼーの「真珠採り」については続涼音にアップしました



西山の秋1

2013-10-23 | そこらへん

ウィーンの西山の黄葉(ときどき紅葉)ぴんぼけ写真です
京都の「東山、北山、西山」に真似て、私が勝手に名付けた地名です

1週間前ですが、この日も秋晴れで、散策の人が沢山(でも混みません)。


1)市営プールより4つ先のバス停を降りたところ

乗った停留所から10分か15分

2)バス通り

駐車できるので、散策の人が駐車しているようです

3)バス停

車は右側通行なので、右のバス停は上から下ってくるバスの停留所

4)消防署

この右側の目立たない門を入ると・・・

5)この道を通って・・・

森のある広い草原に出ます

6)入り口近くで薪を作っていました


7)メインストリートをはずれて散策する人も


8)


9)


10)家畜の水のみ場だった丸木


11)脇へ行く広い道も


12)脇道の先にレストランという表示

初めて気がついた

13)ウィーンの森のスカイライン


14)



続く・・・でも、乞無期待


みみずボログの西山記事
帰り道
病院の教会
病院農場跡
西山農場跡
西山の森





60年

2013-10-21 | その他

10月9日付けのNZZ(新チューリヒ新聞)に2ページの特集記事が載りました。
水俣病水俣条約に関する非常に丁寧で分かりやすい記事です。


ちょっと見難いですが左本文中央に地図もあります


ちょっとアップすると・・・


タイトル犠牲者は苦しみ「くまもん」は踊る

タイトルの下には「化学工場周辺の住民数千人が有機水銀中毒の犠牲者となって既に60年近く、責任者と公的機関は未だに責任を果たすのが困難である」とあります。

記事では、1950年代からの発病、最初の犠牲者、その後の経過の概略を説明、現状を紹介しています。
青字は、記事のごく一部をピックアップしたものです。

当初は、感染性の奇病と疑う人も多く、最初の被害者は村八分的迫害を受けた。
漸く1968年、チッソ水俣工場は生産工程を変え、有機水銀の流出が止まった。
有機水銀の堆積した海底の汚泥は吸い上げられ、特定個所に集められ、汚染の強い魚も埋められた。
多額の費用を使って水俣湾浄化が進められ、1997年には、公式に、水俣湾での漁業が許可された。
国家が公式に認定した被害者は約3000人だが、水俣病被害者団体では7万~8万人と見積もっている。
若い認定被害者は、胎児性水俣病に罹った人たちである。
これまでの歳月に亡くなった人々について、有機水銀が、どれだけ寿命を縮めたか、などの研究は一切行われていない。
この間、水俣市の人口は、公害病発生当時の半分に減少した。
国家と公的機関は今も、事態に対する完全な責任を取ることができずにいる。
有機水銀規制条約に関する国際会議に先立って行われた催しでも、質疑応答は簡単に打ち切られ、「くまもん」が登場して踊ったりするのは、犠牲者・被害者に対する配慮の欠如である。
ある水俣病被害者は昨年12月に福島の原発事故被害地を訪れ、福島の被害者も、水俣の被害者と同じように扱われていることを確認した。


更に記事の最後には次の付記があります。
この取材旅行は、熊本県と日本の外国プレスセンターが組織し、大部分を出資したものである。

2ページのうち右ページ下には2つの囲み記事があり、ひとつでは、有機水銀(メチル水銀)が生命体に及ぼす恐るべき作用が説明され、もうひとつでは、水俣条約の内容が紹介されています。水俣条約成立のためイニシャチブをとったのはスウェーデンとスイスだということで、日本が最大の推進者になっていないのは不思議な気がします。

原発推進国だったスイスは、福島原発事故の後、反原発運動が起こり、国民投票で脱原発を決めました。その記事はこちら

記事の写真を少しアップ

現在の水俣

右下は水俣病被害者のための施設

1971年の水俣湾

水俣病に関する写真集を出したユージン・スミスの写真


NZZ(新チューリヒ新聞)には、こうした歴史的事象の特集記事が良く載ります。
みみずボログで紹介した夢50年
最近では、200周年ということでライプツィヒ諸国民戦争の特集記事が登場しています。





秋の脇役

2013-10-18 | そこらへん

前回の主役をめぐる「ステキな脇役(動植物鉱物など)」のぴんぼけ写真です


1)鴨のご夫婦が水辺で休憩


2)いつも重要な脇役の滝


3)秋の小川もサラサラ


4)滝への水が湧き出る井筒のまわりはまだ緑


5)つくばい


6)日光浴の人々


7)ちびっ子も秋のファッション


8)水鏡の隅にも鴨さん


9)青空の下で泳ぐ鯉さん


10)睡蓮と青空


11)秋の小川その2


12)石塔も大切な脇役


13)変わった色合いの黄葉


14)


15)茶室前で紅葉・黄葉を眺める人たち


この日(10月12日)は天気も良く、紅葉・黄葉も見頃で、散歩の人たちも多かったのですが、ここでは決して「人が多すぎて騒々しい」ということはなく、いつも静かです。そういう落ち着いた気分にしてくれる庭園なのです。

いつも撮影しているカメさんたち、今回は紅葉・黄葉に見とれて、カメさんに気付きませんでした。ひょっとしたら、もう、市の公園局の暖かい温室か何かに引っ越したかも。


世田谷公園は11月から3月まで冬眠(休園)です






秋の主役

2013-10-16 | そこらへん

ウィーンの世田谷公園も、春は桜、秋はモミジが主役です
また、ぴんぼけ写真を羅列します


1)ちょうどモミジが完全紅葉したところ


2)散歩の老夫婦


3)金魚が沢山


4)


5)


6)


7)


8)茶室とモミジ


9)モミジと青空


10)


11)


12)


13)


14)



続きます ・・・恒例、乞無期待



みみずボログの世田谷公園
春の庭
満開
まだつぼみ
池まわり
花の雲
その他



3分と2分

2013-10-14 | その他

日本史から出発して西洋史を専攻したので、読書の主要分野も歴史書です。
但し歴史小説なるものは好きではありません。主人公(歴史上の人物)を美化して、血沸き肉踊る波瀾のストーリーにする傾向があるからです。
(以前にアップした「平家物語」は、むしろ軍記で現代の歴史小説とは違い、辻邦生の「嵯峨野明月記」は例外のひとつです)

しかし最近読んだ3冊は、そういう傾向が全くなく、非常に好感が持てました。しかし「おきにいり」カテゴリーに入れるには、描かれている歴史的事実が悲惨なので「その他」にしてしまいました。


その1

雪の中に放置された駕籠が事件を象徴しています

あまりにも有名な歴史的事件です。誰でも学校の授業で「安政の大獄があって、その反動として井伊直弼が桜田門外で殺された」という事実は教わっているはずです。事件そのものは3分で終わったようです。しかし、その集約的な3分に至る長い過程と、その後の長い過程があります。この2冊は、それを記録に基づいて誇張なく美化せず、淡々と描いています。井伊直弼の側からではなく、襲撃した側に焦点を合わせています。犠牲者の側からだと突発事件ですが、襲撃者側からは、暗殺を決意し準備する過程、決行後の後続計画の齟齬や失望・困難などが描けるので、事件を見つめる奥行きも幅も広がります。

著者の吉村昭は、桜田門外の変二二六事件を比較し「きわめて類似した出来事」と呼んでいます。当初は、ちょっと疑問を持ちましたが、確かに実に類似した事件なのです。
大老を襲った人々も、二二六事件の将校も、手段を選ばず現在の国家体制(幕藩体制、大日本帝国)を立て直さなければならないという「信念」に燃えて決起し、その結果、8年後(1868)には幕藩体制崩壊(明治維新)となり、9年後(1945)には敗戦という破局を迎えています。

桜田門外の襲撃者は、古典的な意味のテロリストですが、多くの市民を犠牲にする現代の無差別テロと違って、彼らが「現在の危機を招いた元凶」と考える人物だけを襲っている点は、ある意味「好感」が持てます(民主主義の政治システムと違い、当時は井伊直弼を平和的に批判する方法は全くありませんでした)。
フランス革命当時のシャルロット・コルデーも古典的なテロリストのひとりですね

この小説に基づく映画化があるようですが、たった3分を中心とする歴史的経過を映画として描くのは難しいだろうと思います。恐らく事件そのものの描写も、本当の3分より不自然に「延長」せざるを得ないでしょう。



その2


日本史かぶれだった子供の頃、大日本帝国海軍の軍艦なども色々覚えていたので、陸奥が爆沈したことは知っていましたが、それ以上の興味を持ったことはありませんでした。アマゾンの解説を読んで気になり、これも読みました。

追記:陸奥が爆沈したのは、柱島泊地に停泊中で、航行中でも戦闘中でもありません。乗員は日常の業務に従事していました。

これは、著者が陸奥爆沈の原因を調査する過程を克明に記録したものです。陸奥は艦内で爆発を起し、2分で沈没、1121名の乗員が犠牲になりました。著者の執拗な調査の結果判明したのは「爆沈の前、上官に激しく叱責され、うつ状態になった水兵が爆発を引き起こした」という事実でした。この水兵が単に自殺を図ったのか、全艦の乗員を道連れにしようとしたのかは永遠に不明です。著者も書いているように、こうした「内部からの爆沈」は、日本だけでなく色々な国の海軍で起こっているようです。やや強引に簡略化して言えば、物理的な強さだけでなく、人間関係が大切だということでしょう。
ネルソン提督は、何よりも最下層の水夫の生活条件を重視し、その結果、水夫から絶大な信頼を得ていたと読んだことがあります。ネルソン艦隊の強さの秘密だったかもしれません。

この本です。



      

テロリズムクーデターなどの定義、軍隊の本質的な問題といった領域にまで立ち入ると、やたら複雑になるので全く省略しました

子供の頃、吉村昭の「冬の鷹」を読んで感動しました。最近になって、まず中編集「」を読んでみて、その淡々たる叙述を確認したので、上記の2編(3冊)も読んだわけです。





食べられる町

2013-10-11 | その他

NZZ(新チューリヒ新聞)10月8日の記事です。

数年前、ドイツの地方都市で、パンジーやチューリップの花壇と芝生という平凡な「市内装飾」を退屈に思った人が、花壇や芝生を菜園にしようと考え実行に移しました。

タイトル:「菜園としての町」


写真をちょびっとアップ


この町はアンダーナッハというラインラント=プファルツ州の都市で、人口3万人。
2010年から、1万平方メートルの公共地に、100種類に上る野菜や果樹が栽培されています。

市民は好きなときに好きなだけ、収穫を持ち帰って生食したり調理できます

以前は「立ち入り禁止」だった花壇や芝生も、今では「味わってください」という公共の無料スタンドに。キンレンカセイヨウカリンマルメロ、イチジク、ジャガイモ、トマト、カキ、オレンジ、ザクロなどなど・・・珍しいところでは、ポーポーも栽培されているそうです。

この「食べられる町」プロジェクトで、公共緑地保全のための市の予算が大幅に節約できるようになりました。これまでの年間維持費は1平方メートル当たり50ユーロだったのが、今では10ユーロ、これで毎年5万ユーロが別のプロジェクトに使えるようになりました。大量に収穫して他所で売り払うなどという不届き者はいないようです。

城址の空濠ではニワトリの放し飼いが始められ、8羽のメンドリが住んでいましたが、最近1羽のオンドリが一緒に住むようになりました。誰かが「寄付」したらしいということです

もちろん、市職員の園芸家が1人、この公共菜園を管理し、長期失業者6人が作業し、更に市民のボランティアが参加しています。アンダーナッハは、ドイツの環境保護に関する賞を受賞しています。
同様のプロジェクトは他の幾つかの都市でも実施されているそうです。


Wikipedia:Andernach(英語)