みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

ししがしら

2008-08-25 | 猫の里親募集
         近世の面影でアップした民家の中庭には中世(ゴシック)の居住塔があります。
         外から中庭への通路には「ししがしら」が

         と言っても、獅子頭付きの冑や金魚ではありません


         

         もっと近寄ると・・・

         

         今は使われていませんが、各戸別の水道普及前は

         獅子頭から水が流れ、ここから水を汲んでいたのでしょう。

         獅子頭「そんなに見つめても何も出ないぜ。」



            福ちゃんの里親さん募集中


         


         福ちゃんは兄弟猫と仲良く幸せに暮していたのに、今年の4月から

         激しい喧嘩をするようになり、別々にしていてもストレスを感じているそうです。

         福ちゃんが、のんびり幸せに暮せるよう、緊急に里親さん募集中

         詳しくはこちらをご覧ください。


            

         Kotokoさん家の寄宿生、椿ちゃんと舞ちゃんの母娘は、お家が決まりそう。
         香(かおる)ちゃんと祥(さち)ちゃんは、お家が決まりました。幸せにね




         
         向こう1週間急ぎの仕事があり、更新できるかどうか
         その後も、ちょっとゴタゴタで不定期更新になるかもしれません。
         こんな、おんぼろブログですが、時たま覗いてみてください、ませませ
         カテゴリーも少し変え「京都リンク」を設けました


夢の浮島

2008-08-23 | 猫の里親募集
         源氏物語の最終章である第54帖は「夢浮橋」ですが

         ヴェネ猫さんがお住まいのヴェネチアは「夢の浮島」

         何故かと言うと、もともと大規模な埋め立てによって人工的に創られた島なので

         いつかは水没する運命。つまり常設蜃気楼の親玉なのです


         常設蜃気楼=夢の浮島を俯瞰してみると・・・

         

         古い絵葉書をスキャンし、ペイントメニューで番号を書き込みました

         1)ヴェネチア本島(つまり狭義でのヴェネチア)
         2)テーラ・フェルマと呼ばれる陸地(本土=ヨーロッパ大陸)
           メストレと呼ばれるヴェネチアの新市街(後方に霞むのはアルプス)
         3)ヴェネ猫でアップした塔からの写真に見える地区
         4)ヴェネチアの墓地の島サン・ミケレ
         5)ガラスで有名なムラノ島
         6)サンマルコから向かい側に見える細長い島ジューデッカ
         7)サン・ジョルジョ・マッジョーレ島(ヴェネチア・サミットの会場)
         8)手前に伸びてヴェネチア諸島をアドリア海から隔てるリド(映画祭会場)
         9)私の好きな小島サン・ラッザロ(18世紀アルメニアから入植した
           修道僧の尽力で、不毛の島が緑豊かな修道院の島に)
          私の好きな怪物の島は絵葉書の右外側で少し離れています。


         ヴェネチアの航空写真:昔のヴェネチアは本当に島で、船で渡るより方法がありませんでしたが、
         19世紀半ば以降、列車用の鉄橋、一般の橋が架けられ、ヨーロッパ大陸と結ばれています。



蛇足
ヴェネチアを愛したオーストリアの作家ヘルツマノフスキー・オルランドは「ヴェネチア市民は、外出するたび迷子になる」と書いています。もちろん、これは大袈裟ですが、よそ者にとって迷路の街であることは確か。私も数回滞在するうちに、かなりスイスイ歩けるようになりましたが、その後も、うっかり油断すると「脱線」しています。
逆に、あるホテルのレセプションの人は「ヴェネチアの端から端まで上手に近道、抜け道を使えば約1時間で歩ける」と話していました。



           

         Kotokoさん家の寄宿生、も一度紹介します

         超ファッショナブルな毛皮の裕(みち)ちゃん
         

         立ち上がるとメルヘン猫そのもの
         
         左の祥(さち)ちゃんも可愛いですよ

         愛らしい香ちゃん(ちょびヒゲはモダンな女性のファッション)
         

         小さなレディー舞ちゃん
         


         
         詳しくは「猫と犬と」および「あなたと共に」をご覧ください


近世の面影

2008-08-21 | 旧市街

         中世の面影の階段のところに、古い建物があります

         かなり古びていて「時代物」とわかります

         

         旗が飾ってあるのは歴史的建築なのですが、注目する人は僅かです。

         

    「17世紀の民家で18世紀の外装を残し、中庭にはゴシックの居住塔がある」という表示。

         階段を上がったところ
         

         バロックらしい彫刻
         

         中庭への扉が開いていたので、ちょっと入ってみると・・・

         中世つっかえ棒がここにも
         

         ゴシック、つまり中世の居住塔
         


         世界中どこでも、大半の一般民家は老朽化すれば姿を消してゆきます。

         とりわけ中世ともなれば建築技術も未熟で、こうして残っているのは希少価値。

         でも、シンプルで、ただ立っているという感じは否めません



  

つっかえ棒についても中世の面影中世の亡霊をご覧ください。
Wikipedia:ゴシック建築
Wikipedia:バロック美術


ヴェネ猫

2008-08-19 | かりねこ
         ヴェネチアの裏通りの猫さんです 全然そう見えませんね

         でも本当にヴェネチアです。場所はフンダメンタ・ヌォーヴェ近くの小路。

         シエナと同様、ヴェネチアも小路の街です(小路なみに狭い水路も沢山)


         
         首輪が見えるので、窓の開いているお家のコかな


         大体どの辺か分かる画像
         
         大きい画像はこちら


         この写真はサンマルコ広場にあるカンパニーレ(鐘楼)から北東方向を見たもの。

         手前にポコポコ集まった丸屋根はサンマルコ寺院です。

         左端後方の大きな建物がサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ(通称ツァニポロ)教会。

         右後方に見える斜塔?はサン・フランチェスコ・デラ・ヴィーニャ教会。

         私の好きな怪物の島へ行くには、サンマルコから船に乗るか、

         画像奥、セスティエーレ・カナレッジョの船着場から船に乗ります。

         猫さんのお家は、画像左半分のどこかにあります(船着場近くの小路)



         みみずブログでヴェネチアに関する以前の記事
         旅行者のいない・・・
         怪物の島その2
         怪物の島・絵葉書
         怪物の島・脇道
         常設蜃気楼
         挨拶カード


  

Wikipedia画像ツァニポロ教会:右端が教会、広場にはコッレオーネ騎馬像が見えます。正面にはスコーラ・グランデ・ディ・サンマルコ(昔は信徒組合、今は病院)、この建物横の細道フンダメンタ・デイ・メンディカンティ(直訳すると乞食通り)をずっと行くと、セスティエーレ・カナレッジョ(カナレッジョ地区)に出ます。
フンダメンタ・ヌォーヴェ(直訳すると新土台、新海岸通といったところ)、セスティエーレ・カナレッジョ、フンダメンタ・デイ・メンディカンティの地図はこちら
Wikipedia:ヴェネチア
Wikipedia:サンマルコ寺院

Wikipedia:英語
スコーラ・グランデ・ディ・サンマルコ
カンパニーレ・ディ・サンマルコ
サン・フランチェスコ・デラ・ヴィーニャ教会
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会
カンポ・サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ(ヴェロッキオ作のコッレオーニ騎馬像がある広場)

リンクを付けているときりが無いので、後は省略


追記:美術の教科書にもよく出てくるヴェロッキオのコッレオーニ騎馬像


騎士ペンギン

2008-08-17 | その他
         王様ペンギン皇帝ペンギンは、ペンギン一族の「大物」として知られています。

         ところで「騎士ペンギン」もいるんです。恐らく世界唯一
         この場合も、眼鏡ウシ同様、ペンギンさん自身が騎士なのです


         NZZ(新チューリヒ新聞)8月15日、左が騎士ペンギン
         


         このペンギン騎士はエジンバラ動物園にお住まいの王様ペンギン

         ことの始まりは1961年、エジンバラでの軍楽隊フェスティバル。

         参加したノルウェー軍の近衛少尉がエジンバラ動物園のペンギンに惚れこみました。

         1972年に同じ部隊がエジンバラを再訪したおり、このペンギン氏は

         ノルウェー王国近衛部隊のマスコットに選ばれ、その名もニルス・オラフ

         これは、当時の近衛少尉(多分その後昇進)のニルスと、前国王オラフ5世の組み合わせ。

         初代ニルス・オラフ氏は伍長に昇進した後、世を去りましたが

         二代目ニルス・オラフ氏は伍長を受け継ぎ、三代目ニルス・オラフ氏は

         2005年、名誉大佐に昇進、これを記念してブロンズ像も除幕されました。

         そしてオラフ大佐は遂にノルウェー近衛部隊から騎士に叙任されたのです

         現ニルス・オラフ大佐は、既に閲兵式などのパレードには慣れていますが、

         騎士叙任を記念するBBCのインタビューには応じませんでした。

         彼は「父親になった」という「想像妊娠?」で巣にこもり想像上の卵を暖めていたそうな


          蛇足 私個人としては、小柄で「庶民的」なアデリーペンギンがお気に入り



           


         画像右側の写真は、同じ日のNZZの別のページで、

         国連の反人種差別委員会がスイスに対し、

         更に一層包括的な差別禁止法を制定するよう勧告したという内容。

         ペンギンさんが騎士になったり、動物園のパンダが、大抵の人間より

         高級な住まいで暮している一方で、肌の色、信仰、性別などを理由に

         多くの人が差別されているのは実に奇妙なことです


ぶたんこの思い出6 夏姿

2008-08-15 | ぶたんこ
         猫野みみさんが、新しい「猫野家カルテット+ぶたんこ」を作ってくださいました。


         
                                  大きい画像はこちら


         日本庭園の見える縁側で、金魚鉢にじゃれるのは、チビニャン時代のふうた君

         右端にはぺこ姉さん、外から眺めるのが、ぴよひこ君とまりんちゃん

         ぶたんこには、黄色い首輪をしていただきました。良く似合ってます

         猫野みみさん、いつもステキな画像、本当に有難うございます

         これまでの「猫野家カルテット+ぶたんこ」画像もご覧ください



           


         ちょっと遅くなりましたが、まりんちゃんが猫野家にやってきて7周年

         
         みみさんのブログからお借りした縦画像を横にしました


         まだ小さい仔猫のとき交通事故に遭い、偶然通りかかった猫野姉さんに

         助けられました。7才になった永遠の乙女猫まりんちゃんについてはこちら


中世の亡霊

2008-08-13 | おきにいり
         「中世の面影」のところで、中世はあまり残っていないと書きましたが

         時たま、残り過ぎているところもあります。言わば「中世のかたまり」

         その一例が、前回、猫さんをアップしたシエナです

         しまい込んだ写真が見つからないので、古い絵葉書をスキャンしました


         シエナのパノラマ
         
         右が市庁舎(パラッツォ・プブリコ)のマンジャの塔
         左がドゥオモ(カテドラル)と塔

         ヴィア・デラ・ガルッツァ(通りの名前)
         
         絵葉書になるほど有名な?
         つっかえ棒オンパレード
          つっかえ棒については中世の面影参照

         パリオのパレード(イストリーチェ)
         

         パリオに関する本の表紙
         
         市庁舎から見た当日の広場


         旧市街(城壁に囲まれた典型的な中世都市)
         
         大きめの地図はこちら


シエナは中世に極めて繁栄し、当時の大都市となりましたが、フィレンツェとの覇権争いに負けてルネサンス期以降は凋落、このため、城壁に囲まれた中世の街並みが、ほぼ完全に残されました。もちろん、近代化に伴う都市の拡大はありますが、新市街は、中世都市の城壁外に広がっています。あまり、中世都市の完成度が高いため、そのまま生き延びたのです。おかげで、ユネスコ世界文化遺産になっています。

シエナは大好きな街のひとつで、これまでに4回滞在しています。何年も前にはイタリア語集中コースで、1ヵ月シエナに滞在しました。このとき地図を片手に、旧市街を歩き回りました。非常に迫力のある街で、言わば中世の亡霊の中で生きている感じ。コースの終わり頃には、このまま住んでいたら気が狂うのではないかと思うほどでした。が、帰りの列車が動き出した途端、シエナを離れるのが残念でたまりませんでした。

 シエナはパリオで有名です。コントラーダと呼ばれる各区の代表が鞍をつけない裸馬で競馬をします。普通の競馬は騎手が落馬すると失格ですが、パリオでは、馬だけでもトップなら優勝になります。
 私が住んでいたのはイストリーチェ(ヤマアラシ)区です。この区はフィレンツェとの戦争時代、いつも真っ先に攻められるので、住みたがる市民が減り、助成金を出して「住んでいただいた」ということです。いつも真っ先に攻められて防衛にあたり、我々はヤマアラシみたいだというわけで、ヤマアラシ区になったそうです

ドゥオモの前に巨大なゲートのようなものが見えます。これは中世の繁栄期に人口が急増、世界最大の教会を建てようというわけで、工事が始まったのですが、当時の建築技術には大き過ぎて、結局この壁だけで終わり。しかもペストの大流行で人口も激減、大教会は不要になりました

 油絵の具のバーントシェンナ(焼けたシエナ)は赤土色で、シエナ周辺の土を焼いて生産します。

Wikipedia日本語版はあまり詳しくありません。以下は英語版
Wikipedia:Siena
Wikipedia:Palio di Siena
Wikipedia画像:世界で最も美しい広場のひとつと言われるピアッツァ・デル・カンポ


シエナ猫

2008-08-11 | かりねこ
         ドイツ、オーストリア、スイスというドイツ語圏3国(特に都会)では

         外にいる猫さんを見る機会が殆どありません。ラテン系諸国、地中海沿岸地方では

         外猫さん(散歩中の飼い猫さんや本職の外猫さん)に良く出会います


         シエナの駐車場にいた猫さん 綺麗で飼い猫さんらしい
         
         見事な美猫さんですが、カメラも腕も悪くピンボケ

         シエナの裏通りで見た猫さんおふたり
         
         「なんじゃありゃ?」という表情は、こちらでどうぞ

         2枚ともイタリアかどうか分かりませんね でも本当にイタリアです

          シエナについては次回少し追加(乞う無期待)



           


         Kotokoさん家に新しい寄宿生が加わりました

         もちろん、ずっと住ませてもらえるお家を探しています


         蓮(れん)君、1ヵ月~1ヵ月半
         
         ガソリンスタンドで車のボンネットから飛び出した冒険少年

         蕗(ふき)君、1ヵ月くらい
         
         Kotokoさんの息子さんに助けられました


         ほかにも可愛い寄宿生がいますよ
         詳しくは「猫と犬と」および「あなたと共に」をご覧ください


平和の鐘

2008-08-09 | その他
         8月8日、国連ビルで、広島・長崎被爆者追悼のセレモニーがありました。

         始まる時刻を間違え早く着いたので、そばの公園を歩きました


         ドナウ傍流を隔てて見た国連ビル
         
         数人泳いでいました。魚も泳いでいました
         (「正規の」水泳場も数ヵ所にあります)

         この南は、こんな水郷風景が広がるドナウ水郷国立公園
         
         コンラート・ローレンツが愛犬とともに暑い夏の日
         水につかって過ごしたのも、こういう水郷でした


         国連ビル第一ゲート(一般の入り口)
         

         ビルの谷間の中庭
         

         国連加盟国の国旗を飾った会場
         

         バン・ギムン国連事務総長からのメッセージもありました。

         挨拶されるはずの被爆者の方は、病気で来られませんでした

         ピアニスト祐子・グルダさんの挨拶
         

         国際原子力機関代表の挨拶
         

         核戦争防止国際医師会議(IPPNW)代表のアピール
         

         最後に中庭の平和の鐘を撞きます。
         
         この鐘は1995年に日本から贈られたものです。


         私もゴーンと撞いてきました


ヒロシマとモクテスマ

2008-08-07 | その他
    毎年8月6日には旧市街で、ヒロシマデーの記念行事があります。

    昨年は燈篭流しまで参加しましたが、目下ちょっと忙しいため、様子だけ見てきました。

         去年の燈篭流し  ヒロシマという名の少女


         hiroshima&nagasakiの文字が見えます。
         

         毎年必ず登場するお坊さん(日本人)
         前に並んでいるのは原爆投下当時の広島の写真
         
         8月9日の原爆犠牲者慰霊祭は、この方が住職の
         パゴダで行われ、燈篭はドナウの傍流に流されます。

         会場の様子
         
         広場の石畳には、数多くのメッセージが貼り出されます。


                         


         別の場所ではメキシコ人がデモンストレーション
         

         アステカ王国の羽根の王冠(多分レプリカ)
         


これは何故かと言うと、ずっと以前に本で読んだため知っているのですが、アステカ王国のモクテスマ2世が使用していた羽根の王冠がウィーンの民族学博物館にあり、その返還を要求するメキシコ人のアピール行動は長年繰り返し行われているようです。なぜ8月6日なのか、それとも、ここ数日続くのかは不明。その王冠が何故ウィーンに辿り着いたかと言うと・・・コンキスタドールエルナン・コルテスがモクテスマ2世から受け取り、それをカルロス1世(ハプスブルク家のカール5世)に献上したからとされます。歴史学者は、これを、アステカの王冠所蔵を正当化するため後から作られたエピソードと評価しているようです


                          


         そして観光馬車も通っていました