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弘法山の落ち葉と秦野の煙草栽培

2014-12-09 | 景色
秦野の弘法山から権現山に続く尾根道に 煙草栽培に関する 石碑がありました
少し読みづらいのですが 根気よく読んでみると なかなか面白いことが書いてあります



秦野とたばこの歴史

秦野は、江戸時代初期から、「秦野たばこ」の産地としてその名声を全国に及ほし、
味の軽いことから吉原のおいらんに好まれるなど、高く評価されていました。

薩摩たばこは天候で作り、秦野たばこは技術で作る
水府(水戸藩)たばこは肥料で作り、野州たばこは丹精で作る。
と歌にも謳われたように、秦野たばこの特色は優れた耕作技術にありました

特に苗床は、秦野式改良苗床として、全国の産地に普及したほど優秀なものでした。
この苗床には 弘法山をはじめ各地区の里山から 落ち葉がかき集められ、堆肥として使用されました。
秦野盆地を囲む山林は たばこの栽培に欠かすことのできない場所でした

明治時代には、秦野煙草試験場や葉煙草専売所が設置され、たばこの町秦野が発展しました。
秦野たばこは 水車きざみ機の開発により、大いに生産が拡大しました。
また品質の高さから、御料用葉煙草も栽培されました。

昭和に入って両切りたばこの需要が増えると、次第に秦野葉の栽培は減少していきました。
秦野市が誕生してからは都市化が進み、昭和59年にはたばこ耕作そのものが終わりを告げました。
秦野のたばこ栽培は300年以上の長い歴史を持ち、多くの篤農家や技術者を生み出し、
その高い農業技術には今日に今なお継承され、秦野地方を埋め尽くしたたばこ畑はなくなっても、
優秀な葉たばこを作った先人たちの心意気はこの土地にしっかりと息づいています。
 (秦野市)


「秦野たばこ」の一生
たばこの里、秦野のたばこ作りは江戸時代初期からの歴史があり、
その最盛期には、ほとんどの農家がたばこを作りました。
「秦野たばこは技術で作る」といわれ全国に名声を博すほどになりましたが、
時の移り変わりとともに衰退し、昭和59年には、ついにその幕を閉じることとなりました。

秦野の経済発展の源となった「たばこ耕作」が、時とともに人々の心から失われぬよう、
たばこ耕作終息10周年に当たり、秦野の「たばこ作り」をここに記します。
なお、たばこの廃作に当たっては、「秦野たばこ作りの火を消すな」と耕作の継続を希望する多数の農家があったことを付記します。
 (昭和59年度廃作者一同)


家庭菜園をする人達の中には 落ち葉を集めて 自分で堆肥を作っている方も多いようですが
現在 農家さんで そういう手間暇をかけていらっしゃる方は どのくらいいらっしゃるのでしょうかね~?

昔は 里山の落ち葉をかき集め 堆肥として活用してきたのに 
今では 農家でもなかなか そういう手間を掛けられないようですね。
そうなると 堆肥も買うものになってしまうのでしょうか?

弘法山の落葉を踏みながら歩きつつ 考えさせられました。






コメント

弘法山と権現山

2014-12-09 | 景色
天気が良いので 秦野の弘法山に行こうと 相談がまとまり 9時に出発
秦野駅の方から登る所が いきなり急な山道で嫌だな~と言ったら 
第一駐車場からなら あっという間に 弘法山だと 夫が言うので 車で行きました

ここが 第一駐車場



少し行くと めんようの里



羊がいます





そこから ほんのわずか歩けば もう弘法山山頂
いくらなんでも 近過ぎます

弘法山からの 富士山





尾根続きの 権現山まで 歩きました
権現山には 展望塔があって 秦野盆地が 一望に見渡せます
富士山には 少し雲がかかってしまいました



ブラブラ歩きで 駐車場に戻って 約1時間
歩行数もわずかなので もう少し車を走らせて 秦野戸川公園へ


(小さく見える人が うちの夫)

山がきれい~!



近くの蕎麦屋で お昼を食べて 帰ってきました   帰宅は2時


2晩浸しておいて 今朝2時間煮た 黒豆



去年の豆が1kgも残っていたので 勿体ないから煮ました
花豆を煮た後なので なんだか小さく感じてしまいますが
ちゃんと やわらかく煮えました

あと2回煮ないと 新しい豆が買えません
おかずでなく おやつのお菓子代わりに食べます



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