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おいしい野菜をつくろう

採れたて野菜は おいしい!

塩小路橋の所で 地上に現れた琵琶湖疏水

2015-12-07 | 旅行
地図を見ていると 鴨川にかかる 塩小路橋の 手前には 高瀬川があり  少し進むと鴨川
そのすぐ先では そこまで暗渠だった 琵琶湖疏水が 地上に姿を現します

高瀬川にかかる橋


鴨川にかかる橋


琵琶湖疏水が 現れた


かなりの水量で流れる 琵琶湖疏水


この琵琶湖疏水の脇で 年配の女性に「これは琵琶湖疏水ですね?」と確認したら OKでした
「これから 東福寺さんに いらっしゃいますか?」と 聞かれたので
「いいえ 琵琶湖疏水を見に来ました」と答えたら 不思議そうな顔をしておいででした(笑)

ちょっと勘違いをして 八条口に出て 東へ向かって歩きましたが
帰りに 駅に向かったら 烏丸口の前を通る道が 塩小路通りでした

高瀬川・鴨川・琵琶湖疏水の 3つの流れが 近くで見られる場所は 駅からでも たいした距離ではなかったです

この3川を見に行ったのは 12/1です
翌 12/2に 三条で写した 高瀬川です



五代才助(友厚)が琵琶湖疏水に反対した訳

2015-12-07 | 趣味
朝ドラに 五代才助が出てきたことと 五代才助が 琵琶湖疏水を造ることに反対したこととが
私の頭の中では 妙に 絡まり合って 「なぜなのかな~?」と 不思議に思っていました

読んでいた本によれば 琵琶湖疏水を造ると 大阪に洪水の被害が出るっていうのが 反対の理由だそうで…
でも 琵琶湖疏水ができると なぜ 大阪に洪水が起きるのか~???


大阪には 琵琶湖から流れてきた 淀川という川があることは 知っていますが…
琵琶湖疏水も 同じ 琵琶湖から取水するのだけれど…

琵琶湖疏水 京都市南部の 伏見(日本酒で有名)の辺りで 宇治川に注ぎます
宇治川は 最終的には 鴨川・桂川などと同様 全て 淀川に合流します


※ちなみに 伏見の辺りには 朝ドラの あささんの実家があった 油小路があります


琵琶湖⇒瀬田川⇒宇治川⇒淀川⇒大阪というルートで 船で物を運ぶ水運は 早くから発展していたようです
だから 大阪としては 新たに 琵琶湖疏水を造る意味が ないのかもしれません

それ以外にも 明治の初期は 薩摩・長州・土佐などの 人脈などが 影響している部分もあるらしい…?
その辺は 私の理解を超えるので こだわっても わからないのですが…


結論を言ってしまえば 五代才助の意見は 入れられず 琵琶湖疏水の工事が始まります
実際に 工事が始まったのが 明治18年

奇しくも 五代才助は 明治18年には 49才で死んでいます(糖尿病?)


まぁ 淀川の治水のことを調べると 秀吉の時代まで遡らなければならないので 
今 これ以上 調べるのは 無理です

しかし 京都市の南部(伏見区)の辺りは 全然知らないです
少し 伏見の辺りを 歩いてみたくなりました


あと 関係ないんですが 先週だったか 朝ドラで 大阪⇔京都に 鉄道が通ったと言ってましたね
あれは 明治7年のことです  

東京の 新橋⇔横浜の鉄道開設は 明治5年ですから 2年後には 京阪神地区にも鉄道が通ったんですね
朝ドラ“あささん”の 炭鉱の石炭も じゃんじゃん売れたことでしょう(?)


話が どんどん すっ飛びますが この阪神地区の鉄道建設についても
五代才助は なにやら発言したようですよ
明治初期の大阪にとっては 重要人物だったと言うことは 確かなようです


さらにさらに 話は すっ飛んで 先々週あたりの 朝ドラで
大久保利通と五代才助が 話をしてました

大久保は明治の政治では 重要人物だと言うことくらいは 知っていました
あと 同じ薩摩出身の 西郷隆盛とは 西南戦争で 袂を別ったという話くらいは 知っていました

大久保利通のことも ちょこっと調べたら 大久保は 五代よりもっと早く 明治11年に死んでいました
いわゆる 紀尾井坂の変で 暗殺されるんですね

大久保も五代も 49才という若さで 亡くなるとは…


あと 瀬田川の出発点 琵琶湖の瀬田は 琵琶湖の 最南端ですよね
すぐ近くを 新幹線が 通ります

今回京都に行く時 新幹線から 琵琶湖って見えるのかな~?と 目を凝らしていたら 見えましたよ!
京都に着く 少し前あたりから 右側の窓から 見えました!

いっぽう 琵琶湖疏水は 琵琶湖の 下の方の左側(琵琶湖西岸の南部?) 浜大津の辺りで取水しています


話が あちこち飛びましたが 琵琶湖がらみで 興味は尽きず…  失礼しました(笑)
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