ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

丸3日

2011-03-14 | 経済・政治・社会
11日の地震発生以来、丸3日が経ってしまいました。


地震後1日で1.5kgも体重が減ってしまったワタクシ。
いつものように寝る前に体重計に乗って、驚いてしまいました。
食欲はなかったもののいつものように食事をしていたのに・・・・
身体の中の「気」が消耗してしまったんでしょうね。


地震後2晩はヨガもできず、倒れこむようにベッドに入ってしまいました。
報道に接しているだけで、ヘトヘトでした。こんなときこそ、ヨガで気を養うべきだとわかっていても、できませんでした。


3日目の昨晩はやっとヨガをすることができました。

4日目の今日は4日ぶりにランニングへ。



ささやかなことではありますが、小さな「日常」が戻ってきました。
(あっ、体重も


走っていると、一歩ごとにいろいろなものが振り落とされていくようで、
逆にいろいろなものが“憑いて”いたことを思い知らされた気がしました。


起きてしまったことは変えられないけれど、
これから起きることは変えられるかもしれない!



と、前向きに考えて、しっかりやっていこうと改めて思いました。


地震関連では日経サイトがスゴくがんばっていたように思いました。
地震発生当初は文字の大きさでニュースの大小を分け、見やすく、読みやすく、原発関連の記事もわかりやすくて「さすが!」でした。


また、こんなサイトには思わず目が潤んでしまいました。
すごいよ、ニッポン


最後にちょくちょくリンクさせてもらっているmiminet あきこさんの記事「心をおちつかせる ひとつのワーク」
まさに必要なときにドンピシャリなタイミングでUPされ、とても助かりました。報道を見続けてプラーナ流出状態でしたら、ぜひお試しを。


計画停電も始まりましたね。
対象となる地域の皆さま、がんばってください

(福島の人たちは関東の灯りを絶やさないために、原発を受け入れてくれていたのですね。お恥ずかしながら、地震でこの事実を初めて知りました)

Life is Gift

2011-03-13 | 経済・政治・社会
東北・関東大震災から2日目。
覚悟をしていたこととは言え、被害者の拡大は燎原に火を放つような勢いで、とうとう「万人単位」という関係者の予測が出てしまいましたね。

おとといの夜、ラグビーの生中継を観ようとテレビをつけると、そのままになっていたNHKが映し出され、画面の下をテロップが流れていました。一目で異常事態が発生したことが見て取れ、「津波」の文字に緊張しました。

日本時間で午後3時25~30分ぐらいのことで、最初の地震発生後30分足らずの時間でした。


画面はすぐに巨大津波が押し寄せる、まるで映画の一コマのようなシーンに変わり、私たちはこの歴史的な現場をNZに居ながらライブで目撃したのです。

次々と飲み込まれる家々、大きな漁船が丘に向かって波頭を走り続け、ミニカーのように見える避難するクルマがあっと言う間に波間に消え、それでも津波の勢いはまったく衰えず、奥へ奥へとまるで意思があるように、躊躇うことなく進んでいきました。


あの映像を見たとき、
「犠牲者は万単位になるだろう」
と思いました。それは決して認めたくはない辛く冷酷な現実でした。


今日やっと電話で話せた敬愛する叔母は、
「東京大空襲よりひどい。空襲は焼け残った場所もあるけれど、津波はすべてを襲った。」
と感想を漏らしていました。あの地獄を生き延び、そこを起点にその後の人生を生きる叔母にとり、あれ以上の地獄を見た初めての経験だったようです。


避難したものの、まだ建物の屋上などで孤立している方が大勢いて、3日目の夜を迎えようとしています。屋内でも朝晩の寒さが厳しい場所で、暖房も多分食料もなく迎える夜はどんなに辛く苦しいことか。一刻も早く、こうした孤立した方々が救出されますように。


そして、福島第一原発1号機の爆発以降、放射線漏れが最大の二次災害として浮上してきましたが、政府の発表を信じる限り、今のところ、チェルノブイリのような最悪の事態は回避できているようですね。


「爆発」という二文字には足がすくみましたが、その後の慎重かつ冷静な対応には拍手を送りたいと思います。特に枝野官房長官の記者会見での対応は久々に日本の政治家を見直す、貴重な機会となりました。


クライストチャーチ地震でもボブ・パーカー市長、ジョン・キー首相と要人の記者会見を何度も見ましたが、まったく遜色がありませんでした。書いたものを読み上げるのではなく、報道陣を見据えながら自分の言葉で語り質問に答える、日本の政治家には稀な姿に希望を感じました。


被害の規模の大きさ、未曾有の原発事故という国家としてよりも、人類として前人未踏の難局にありながらも、慎重かつ丁寧に舵捌きを続けていることは、一国を預かる政治家の役割としては当然でありながら、決して容易なことではないでしょう。なにが最適なのか、誰にも答えはありません。


そんなとき、一番連絡がほしかった友人からメールが入りました。


まだ余震がすごいので安心できませんが、猫もわたしも今のところ生きています。

海岸は死体の山と聞き、体が震えています。

拾った命、これからです。

安否の確認ができない親戚もいます。
日本沈没、そんなことが現実に思えます。

でも、目の前のことをひとつずつ。

Life is Gift. これほど実感したことはありません。



仙台に住む、20年来の友人からの消息です。
目の前のことをひとつずつ
本当にそうですね。


「ここから何ができるだろう?」
と思ったとき、出てきた答えは2つ。

寄付

自分の生を一生懸命、丁寧に生きること


生きたくても生きられなかった人たちを想いながら、与えられた人生を精一杯生きることで、遠くからでも犠牲者を弔いたいと思います。

がんばりましょう!



ご無事で

2011-03-12 | 経済・政治・社会
巨大地震から一夜明けて、大勢の方が眠れぬ夜を過したことでしょう。
こんなに遠く離れているNZにいても、うつらうつらで朝を迎えました。


幸いなことに日本時間の朝6時に妹に電話ができ、両親の無事を確認。
その後、叔父叔母からひょこっとファックスが入って彼らと両親の無事を
再確認することができました。


ただし、義母には相変わらず連絡が取れず、電話の呼び出し音が鳴っても誰も出ないので、近所の小学校に避難したのかと市のウェブサイトをチェックすると、37人が避難中!
「この中の1人なのか?」


妹と夫の兄1人とは昨日からメールで連絡が取り合えたのですが、電話の不通は響きました。今どきの電話なので停電なら使えませんし、電話線自体も込み合っていたようで、日本語や英語で、
「ただ今、大変混雑しております・・・」
のメッセージが流れるか、まったく音がしないかでした。


幸いNZ時間のお昼になって、義母ともファックスと電話で連絡が取れ、無事が確認できました。


皆さまのお気遣いに感謝いたします


義母はずーっと家にいたそうで、停電にもならず、本棚の本が落ちたのと掛け時計が壊れた以外は被害もなく、
「洗濯しようかしら?」
と、『洗濯・命』の義母は健在でした´m`A


義母に関してはその昔、長い長―い嫁姑記メルマガを書き、今でも彼女の隠れファンが少なからずいるようなので、個人的なことですが、あえてお知らせしておきます。


「真夜中の一番風呂」の連載
「真夜中の一番風呂」
「真夜中の一番風呂 その2」
「真夜中の一番風呂 その3」
「真夜中の一番風呂 その4」
「真夜中の一番風呂 その5」
「真夜中の一番風呂 その6」
「真夜中の一番風呂 その7」
「真夜中の一番風呂 最終回」
「真夜中の一番風呂 完結編」
(NZに来たときの逸話はコチラでも。とにかくみょう~に強運の人です


震源地付近ではお亡くなりになった方、行方不明者が多数に上り、市町村ごと冠水してしまったりと、映像を見ていても信じがたい不幸が多数起きてしまい、言葉もありません。


皆さまにおかれましても、一刻も早く愛する人の安否が確認され、ライフラインが復旧し、少しでも元の生活に近づけるようお祈りいたします。


また、かけがえのない方を失った方々には心よりお悔やみ申し上げます。


少しでも早く余震が止み、この地震が現在形ではなく、過去形になることを祈り続けています。

お見舞い申し上げます。

2011-03-11 | 経済・政治・社会
三陸沖大地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。
まだまだ余震や津波が続いているようで、危険地域の方々が一刻も早く安全な場所に避難できますように。

関東地方でもかなり大きな揺れが観測されているようで、とても心配しています。
家族とも連絡が取れない状態で不安な思いで報道を追っています。

こちらの報道機関もすべて日本の地震報道です。

まだまだ予測できないことが起きるかもしれませんが(NZも!)
お互い気を引き締めて、乗り越えて行きましょう。


ALP

2011-03-09 | 海外子育て
今日は夫婦で学校へ。
(別に夫婦でなくてもいいのですが、学校行事は夫婦で参加する家)


善(13歳)が今年からALP (Advanced Learning Programmes)という一種の選別クラスに入ったので、その説明会でした。


善は日本でいえば中3で、NZの実質中高一貫校でのジュニア(=中学部)最後の年になる10年生。入学した9年生ではALPに入れず(入学前に選別試験があります)、普通のクラスに。


しかし、9年生を通じていろいろがんばり(特にコレ)、数学は学年でもトップに近かったそうで(「うっそ~なんですが・・・)、その努力が認められて今年からALPへ。


ALPとさらにその上のアクセレレート(得意科目によっては飛び級のあるクラス。全教科1学年上の授業を学ぶ生徒もいるそうです)は2クラス、上限60人なので、実質的には入れ替え制。善は今年から繰り上げになった4人のうちの1人に入りました。


温(17歳)のときはまったくご縁がなかったので、なにをしているクラスなのかも知らなかったのですが、善がお世話になることになり、かーなーり手厚い学校の対応にややビツクリ。
(こんな世界があったのね~。でもダメだったらすぐ落とされます


善は次男で、長男・温が割と面倒見が良かったこともあり、小さい頃から、
ルック・アット・ミー
「はいはーい
と残り3人がベビーシッター状態で従っていた感じ?(こんな光景も)


長い間、
「誰かアイツを黙らせろ!」
と言いたいほどのおしゃべりで(例えばこんな話)、これまた3人で、
「へいへーい
と聞いていました。

(今は温が無敵のおしゃべりになってしまいました
日本に行ったら、「男は黙ってサッポロビールだよ、温!)


それが去年、今の高校に9年生として入った頃から、すっかりティーンエイジャーらしくなり、
話さない
部屋にこもる
声を掛けても反応しない(これは即、注意)
イライラする
面倒くさがる
朝寝坊をする(週末だけですが)
などなど、


青春 
━━━(゜∀゜)━━━キター




ちょうど温の日本の高校お受験でガタガタガタガタしていた時期でもあり、
「善まで手がまわんな~い
というタイミングで、結果的に・・・・・







放置プレー


それでも善なりに、アニキの紆余曲折、それに伴う親の右往左往を横目で見ながら、いろいろと学ぶところがあったようで、
ブスっとしながらも、コツコツがんばっていたようです。
(親、知らなんだ


それ以外にカードゲーム「マジック」のおかげで、大学生や社会人の友だちがたくさんいて(親よりいます)、学校の課題や工作の宿題にいろいろ知恵を授けてくれたり(学校の先生や議員もいたはず)、道具を貸してくれようとしたり、温かいサポートがたくさんありました。


こういう、家でも学校でもない「第3の世界」を持っていることは、「ガラスの十代」を通り抜けるのに、非常に重要だと思います。
(温の場合はそれがスカウトだったり、水中ホッケーだったりしました)



放置プレーだった親は、気が付けば、
自分たちが放置されているという


先日も、ちょうど仕事が終わったので夜ご飯を外食で済ませようとしたら、
「ボクたち宿題あるんだけど、ホントにお外でご飯食べなきゃダメ?」
と念押しされ、渋々キッチンに立ったワタクシ


うちの子育て、完ぺきに終わってます


今や懐かしい、3年前のこんな光景。
毎日毎日、学校から帰ると繰り広げられた卓球大会。
最初は大笑い、そのうちケンカで終わっていましたっけ
もっと写真を撮っておけばよかった~


キッチン強化週間

2011-03-07 | 家事・家計・リサイクル
日付を打ち込んで、
「おや、今日で49歳になって満1ヶ月
「だからなんだ」という話なんですが、49歳もどんどん過ぎていきます。


今日は朝ご飯を終えるや、キッチンの保存食の整理整頓~
缶詰のようにある程度大きさが揃ったものばかりだったらいいのですが、乾物となると、大きさバラバラ。


しかも、大袋の方がお得なので、1回で使い切らない口を閉めた中華系乾物があるある~
(木耳も原型のものと細く切ったもの、春雨も原料が緑豆のものとそうでないもの・・・などなど、なんだかんだと種類が増えてしまいます~)


使い勝手を考えて場所を移動しているうちに、予定外の棚もいじりだし、
片付けのドミノ倒しになってしまいました~
(棚や引き出しの中の水拭きも平行してやっていたので、けっきょくのところ、入っているものを全部出してはしまいの繰り返し


大慌てで納豆ソバを作って遅いランチをとり、再び続行。
やーっと床の物がなくなり、大方終わったところで子どもたち帰宅。
はっ、早すぎる~


おやつを出して、午後ランに行き、戻ってからアボカドの種を植え、
ちょっと草むしり。


慌ててシャワーを浴びて、超特急の夜ご飯作り
マカロニサラダ
ポークソテー
トマトの酢醤油煮
味噌汁
(庭がトマトジャングルと化し、毎日ノルマ10個で消化中

書き出すだに簡単さがバレバレなメニューですが、子どもには大うけ。
(子どもは簡単なものが好き これかなり真実では?)



午後になって気温が上がってきたからか、片付けながらも水をゴクゴク
「夢中でやってるから?」
と思いつつ、コップを脇に置いて湯冷まし飲みまくり。


走ったあともいつも以上に喉が渇き、
「今日ってそんなに乾燥してたっけ?」

当然トイレに行く回数もうなぎ登り~


夜ご飯の後も後片付けをしながら、さらに水をガブ飲み
「ねぇねぇ。今日ってそんなに乾燥してる?喉が渇いてしょうがないんだけど。なにか塩分強いもの食べたっけ?」
と、1日一緒にいた夫に聞いてみると、
「いや、別に。」



そのとき、
ハッ


昼に時間がなかったのでソバつゆを自分で作らずに、冷蔵庫の片隅でほとんど出番のなかった「白だし」を使ってしまったのでした。


典型的な、
中華料理店症候群
(化学調味料への拒否反応。前にもこんなことがありました)


1日の充実感が吹き飛ぶガッカリさ。


身体がこんなにも受付けない異物を、時間を惜しでつい使ってしまったら
この通り┐(  ̄ー ̄)┌


家族は「コンソメ」も「ほんだし」も大丈夫なので、急いで3人のものを作る時に(あまり機会はないのですが)、ときどき使っていた「白だし」。 

家族はOKでも「やっぱり恐いな~と改めて思いつつ、充実した日だっただけに、かなりガッカリな夕べに


でも、今週はキッチン強化週間なので、明日も引き続きがんばります

午後ラン

2011-03-06 | ランニング&ウォーキング
今年に入ってから実行していることのひとつ、
午後ラン




水上に掛かる橋のコース。夏場は路上より涼しくて助かりました~


44歳の誕生日から走り始め、なんだかんだと早5年。
1年半前に股関節の外側を故障していまだに尾を引いているものの、
4、5kmを軽く走る分には問題がないので、走り続けています。
(でも準備運動はまじめにするようになりました。非常に重要だそう)


今まではずっと朝走っていたのですが(走っていると、まだバス停に子どもたちがいたりして)、一度だけ行った漢方マッサージの先生に
「朝歩くことを勧める。どうしても走りたいなら午後」
と言われたこともあり、午後に切り替えました。


実際走ってみると、関節が柔らかくなっているので問題の股関節にも良さそうです。シャワーを浴びてすっきりする頃には副交感神経優位のリラックス・タイムに~


そのままゆっくりできたら身体には最高にいいのでしょうが、
いかんせん、主婦なもので・・・・

そのまま怒涛の夜ご飯作りに突入~
(かと言って、真昼間から夕食を作っておくわけにもいかないし)


まだまだ試行錯誤の途中ですが、しばらくは午後ランで行こうと思います。
これから涼しくなると、距離も自然と伸びてくると思うので(汗もかかないし、なんとなく物足らなくなってくるんですよね~)、股関節と相談しつつ、今の自分にあった時間帯・距離を探していきたいと思います。


今の理想は「2、3日走って1日休み」ぐらいで週4、5ぐらいかな~?
と思います。もちろんヨガともバランスをとって。


5年経ってもまだまだ楽しいご近所ランなのです。
(ウォーキングも試してみましたが、飽きてしまってどうも続かず・・・
もうちょっと大人になったら楽しめるかもしれない)

卒業

2011-03-05 | 私事・リタイア・人生
日本人にとって3月は卒業の季節ですね。
今日、一足お先に「卒業」しました。

ワタクシが卒業したのは、ここ数年していた債券のお仕事です。


「なんで元株屋が債券?」
なんですが、ひょんなことから元同僚に声を掛けてもらい、ここ数年一緒に仕事をさせてもらっていました。


私たちが同僚だったのは十数年前の香港なので、お互い所在がわかるだけでも儲けものだったのに、また一緒に働けるとは


しかも、同僚だった期間は確か数ヶ月で、仕事も債券と株式という別の部署であり、たまに一緒にランチに行くのが精一杯でした。お互いサラリーママだったので、話題は「子育て」か「仕事」かの両極端


30代女子らしい、ファッションだのグルメだのという話はとんとなかったようで(サラリーママは往々にしてそうでした)、その手の話をまったく思い出せないんですよね~。今はなき「ローズノワール」というお気に入りだったフレンチによく行っていたかな~?
(それもオフィスの下にあったという理由からかも


違う部署でありながら、なぜかワタクシは、
「彼女と働いてみたい!」
と強く思っていたので、10年経ってその望みがひょっこりかなったのです。
なんでも念じてみるものですね~



それも移住当初の収入が不安定な時期だったので(あっ、今も十分不安定です)、望みがかなうわ、収入にはなるわで、本当にありがたかったです。


さらに1人でしている在宅業なので(夫婦でまったく違う仕事をしています)、時に煮詰まり、時にマンネリ化し、時に△△、時に□□・・・・
というところを、メールを通じてとは言え、キャッチボールができ、
“同僚気分”を味わえたことはありがたかったです。


でも、この春(NZは秋ですが~)をもって、お互いこの仕事を「卒業」し、また別の道を歩んでいくことになりました。特にワタクシは他の仕事も順次「終了」(すべて取引先都合で)してきており、
2003年から始まったフリーランス業そのものから「卒業」しつつあります。


昨年末のご挨拶でも言っていたように、ワタクシは年齢に「9」が付く歳に人生の大転換を迎えるので(NZ移住も39歳に決定しました)、49歳の誕生日を迎えるや、次ぎ次ぎに起きる「卒業」を偶然と片付けられないのです。
(まぁ、「世の中に偶然というものはない」と信じている身ですが


「来年の今頃は、まったく想像できない毎日を送っていることでしょう。」
と年末に言っていた気持ちが、ますます強くなってきました。


もちろん、これからの10年がどういう年になるのか、今は五里霧中ですが、運命を信じて、身の回りに起きる変化を楽しんでいこうと思います。


まずは遠くの友人に、「心からのありがとうを。
お互い別の道でがんばりましょう!


(「雲の棚引く国、NZより愛をこめて)

レッド&ブラック・デー

2011-03-04 | 経済・政治・社会
はい~
この手の話は即参加。


今日は全国ネットのクライストチャーチ支援、
レッド&ブラック・デー


この色はチャーチのラグビーチーム「クルセイダース」のチームカラーで、

チャーチのシンボルカラー



ワタクシは地震の数日前にゲットしていたレッドのショーパンに、ブラックのTシャツ+靴でボランティアへGO~


子どもたちも制服ではなく黒いTシャツで登校。(赤は持ってなかった

赤十字に続いて、学校の募金にも参加し、温(18歳)は10ドル、善は5ドル供出。

「でも、クラスで10ドル(650円)出したのボクだけだったよ!」
とやや悔しがる温。他の生徒数3、4000人の高校で4万ドル集めたところがあったそうで、
「1人10ドル」
と期待していたようです。


いーの、いーの。人のことは気にしないの。
こういうことは「自分の気持ちがブレないこと」が大事なのさぁ~


ワタクシのボランティア先でも赤のトップスが目立つ、目立つ。
ピアスを赤にしてた人も多数
「平均60歳!」みたいな場所なんですが・・・


家の窓からも駅に向かう人が真っ赤なTシャツだったり、夕方ランニングに出たら、帰宅する赤いトップスの人たちとすれ違ったり・・・・


とある髭を蓄えた紳士など、黒のスラックスに多分それしか赤を持っていなかったんであろう、真っ赤なアディダスのスポーツウェアでご帰宅中。
いいじゃないの~、このミスマッチ
とにかくチャーチのために「赤を着よう!」という心意気


ボランティア先ではこんな光景も。
朝のお客も疎らな時間にレジ付近を通りかかると、きちんとした身なりの中東系(トルコとか?)に見える男性がどっさり古着を腕に掛け、中古のテレビ4、5台に囲まれてに立っていました。

「なに、なに、どうしたの?」
と仲間に聞いてみると、
「チャーチから避難してきた人たちを支援していて、
『生活を始めるのに必要なものが全部ほしい』
と言ってるの。今みんなで、それらしいものをかき集めてるところなのよ。」
とのこと。

テレビや服の数から見て、4、5人というよりも、4、5世帯をサポートしているのでは?彼を中心にボランティアたちが商品を探したり、配達用のトラックに積み込んだり右往左往・・・・
ワタクシは持ち場が違うのでお手伝いには加われませんでしたが、美しい光景でした。

彼が買ったものばかりか、使ってくれたお金もそのまま人助けに。
誰かの不用品がこんな風に役立つなんて、美しい連鎖だと思いました。


これから一時的な増税や社会保障手当ての削減など、支援がお金に換算され、自分の生活に直接影響してくるようになっても、
今の気持ちを忘れずにいたいと思います


新聞のある読者の声にあった、
「手当てが削られるなら、それに合わせて家計を見直せばいいだけのこと。すでに400ドル(約2万5,000円)寄付したけれど、家計をやりくりした。」
と淡々と答えていたマイクという人のコメントが心に残りました。

4ドルでも40ドルでも400ドルでも40万ドルでも、金額の大小は各人次第。その金額にこめられた想いこそが大事で、それが息の長い支援になっていくんだと思います。


今日はさっそく、毎週金曜日の夫とのランチデートは中止にしました
そう、西蘭家もマイクさんのように家計を見直します。お金の使い方を考えるだけでも、気持ちがチャーチとつながっているような気になります。
(忘れないさ~)
ささやかなことではありますが、共同購入サイトのグラブワンも地震以来、
自・粛・中。


地震税にワーキング・フォー・ファミリーズ(18歳未満の子どもがいる家庭への在職子ども福祉手当。所得によって対象になる年はもらっています)のカットだって?(などがあるかもしれません)



受けて立とうじゃないの



"This is a time for all of New Zealand to get behind Christchurch."
今こそNZは一丸となってチャーチを支援する―野党労働党ゴフ党首


好きなことをしなさい

2011-03-03 | 海外子育て
西蘭家の子どもたちは、ある程度分別がつくようになってからは、
「自分が一番好きなことをしなさい」
と言われ続けて育ちました。


「好きなこと」だったら・・・・
飽きない
長続きする


さらに、
自分で選んだことなので、上手くいかなくても文句が言えない
上手くいかなくても好きなので、やっぱり続ける努力をする
好きなことを通じて友だちの輪が学校以外にも広がる
好きなことをするために、他のこと(宿題とか)も手際よくやる(←理想)
他の人(特に親)が「好きなこと」をしているのも理解できる(←コレ重要)


ともかく、
やってて楽しい!


なので、
気分はいつもHAPPY


結果的に、
家内安全



でも、この方針、「好きなこと」が見つかるまでは、あまり意味をなしません。むしろ、「アレしたら?」「コレしたら?」と親が優しく導いてくれるほうが、楽だったかもしれません。(しませんでしたが)



でも、親は待ちました
(というか放っておきました。「好きなこと」なんていつ見つかるかわからないし)


いったん「好きなこと」が見つかると、長らく吹き込まれてきているので、
ドーーーーーっと突き進みます



結果的に温(17歳)は水中ホッケーで2009年に全国優勝

こんな海女さんスタイルでまったくモテ系スポーツではありませんが


善(13歳)はオタク系カードゲームでNZ代表の1人に

(人口が少ない国、人がやらないマイナーなことの利もありますが・・・)



う~ん、何が起きるかわからない。
(どっちにも親は無関心。というか親も「好きなこと」で忙しいので



温はヘビメタも大好きで、夏休みにワタクシのボランティア先に手伝いにきた時、超~~レアなヘビメタのTシャツを見つけて大喜び

アイアン・メイデン


後はこんな



温はコンサートにも駆けつけた大ファン

コンサートで買ってきたNZツアーT。 かなりベタなデザイン



しかもこれ、
1984/85年のツアーT!(ワタクシが大学&日本を出た年
こんなに古いのに新品。誰かのコレクションだったようで、他にもヘビメタのツアーTがたくさんありました。(ほぼ全部、温がお買い上げ





しっかし、

なんなのコレ



でもね、やっぱり、
好きなことをしなさいねっ
(ママもパパもするからさ~)

善が名古屋へ

2011-03-02 | 海外子育て
ランチ⇒ 80ドル相当の商品⇒ 日本往復航空券


これはアメリカのカードゲーム「マジック」にどっぷりハマっている善(13歳)がゲットしてきた景品です!


そうなんです、先日行われたオークランド大会でとうとう優勝してしまい、
NZ代表の1人として、
世界大会が行われる名古屋に招待されました~


(善の勝負着 これもいつかの景品)



「なんなのそれっ
って感じですが、並み居る大人のプレーヤーをゴボウ抜きにし、最年少参加者だったらしいのですが、長丁場の試合にもプレッシャーにも耐え、
見事優勝~
だったんだそうです。


去年8月に子どもの大会34人中、優勝。
20ドル(1300円)相当のランチが提供され、本人ホクホク。
テレビの取材もあって、その後放映されたのですが、我が家は誰も観ることなく、たまたま観ていた友人に放映されたのを教えてもらいました。


12月にはワイカト(オークランドからクルマで1時間以上の場所)であった有志の大会で60数人中2位。こちらは大人ばかりのかなり本格的な大会で、景品は80ドル相当のマジックのカードでした。


そして今回、オークランド大会、優勝。
これはマジックが主催する世界大会出場者の選抜大会。出場者70~80人。他にクライストチャーチとウェリントンでも開催され、計3人が名古屋に乗り込むはずでしたが、チャーチは地震のため中止になりました(哀)


実際は相当な数のプレーヤーが3大会すべてに出場するそうで(好きだよね~、みんな)、オークランドにも他地域の人がたくさん来ていたそう。


子どもの善に他の都市まで飛行機で行く財力はなく、
オークランド大会に全力投球
だったようです。
(後で聞かされた親たち な~んにも知りませんでした)


中学生ということで主催者が名古屋行きに保護者の同行を求めていて、
「自腹で名古屋4泊5日~(そんなの勘弁だよー)
と思っていたら、一緒に行ってくれる人が見つかりそうな気配。


カード仲間の1人で、自腹で世界大会を観に行く奇特な人がいるそうで、
イケオタ(イケてるオタク)だわ


もしもウェリントン大会の優勝者がオークランド在住のカード仲間だったら、ワイカトに続いて、
善クン、ベビーシッターズに囲まれるの図
になるかもしれない


勉強もスカッシュも新聞配達もがんばっているので、親としては出る幕もなく、
せいぜい、がんばってちょ


(世界大会はそれこそ世界各地で開かれるものらしく、名古屋だったのはラッキー

3月

2011-03-01 | 外出・買い物
今年も2ヵ月が過ぎてしまいましたね~
なんて早いんでしょう。
年齢のせいなのか、地球の自転が早くなっているのか
(多分、前者だと思います


今日はボランティア仲間で仲間の家に集まりました~
ボランティア先以外で会うのは初めてなので、みんなワクワク。


ランチが始められないほどワイン片手に寛いでしまい、機関銃のような
ガールズトーク炸裂~
(平均年齢65歳ですが ワタクシだけがみんなの娘の年齢)


や~っとランチに
ガーデン・サラダ

こういう時の生ネギって、なーんておいしいんでしょ!


コンデンスミルク+マスタード+ビネガーという、
「Very Kiwi
とみんなが言っていたドレッシングがおいしかったです。
とっても古いレシピだそうで、平均70歳たちが
「昔のキウイはこれがドレッシングだったのよね~」
と懐かしがってました。
(どんだけ古いんだ


アスパラガスのキッシュ

「失敗なしレシピ」なんだそうです (聞き忘れましたが
これも優しいお味で、最高に好みでした。


塵一つない完ぺきなお部屋、隅から隅まで手入れされたお庭。
(みんなで雑草を探してしまったほど!やっと見つけた時はときの声~


そして心のこもった、こなれたおもてなし。

まだ、まだ、まだ、まーーーーーだの未熟者ですが、
「いつかこんな風になりたい
と心に決めてしまうほど、ステキなひと時でした。



食事の途中で1週間前に地震が起きた12時51分になり、
ラジオから流れる国歌を聴きつつ、みんなで2分間の黙祷を捧げました。
(黙祷は全国一斉に行われ、子どもたちも学校でしてきました)


ほんの1週間前までは何事も起きていなかったのかと思うと、目頭が熱くなりました。
誰も先の事はわからないだけで、生と死は紙一重。

毎日どころか、ほんのひと時でも大切に大切に過したいと切に思います。