諏訪大社は主に上社が狩猟神的で・下社が農耕神的だといわれております。江戸時代には、社嶺千五百石が与えられていました。諏訪大社は 上社と下社を合わせて一社を形作っているのです。諏訪大社では、天下の奇祭と呼ばれている「御柱祭」があります。この勇壮な木落とし川越しの難事を経て、独特の木遣唄(きやりうた)を歌いながら奉仕されるのです。伐採から洩建(ひきたて)まですべて昔は人力でした。
御柱祭は、桓武天皇の御代から始まったと言われています。もちろん洩建は上社の山出しが四月の最初の寅・申の日の里洩(さとびき)は五月初めの寅・申の日の同じく前後二~三日間で、下社は、上社の一週間遅れで行われるのです。
御柱祭は、桓武天皇の御代から始まったと言われています。もちろん洩建は上社の山出しが四月の最初の寅・申の日の里洩(さとびき)は五月初めの寅・申の日の同じく前後二~三日間で、下社は、上社の一週間遅れで行われるのです。