許暁敏さんコメント有り難うございました。中国には何回も行っていますがまだ世界の旅にアップされていません。近いうちに載せますのでご期待下さい。西安の兵馬俑は素晴らしいものでした。北京よりも上海の方が私に合っている感じがします。中国人のバイタリティはすごいものがあると思います。
三十三間堂は、正式には蓮華王院(天台宗)といい、内陣の柱間が33あることに由来しています。長寛2年(1164)、後白河上皇の勅願で平清盛が院御所法住寺殿(ほうじゅうじどの)西側に千体観音堂を建立したのがはじまりです。
その後、焼失しましたが、鎌倉時代の文永3年(1266)に現在の本堂が再建されました。柱間の数が33ある横長のお堂は総檜造りで約120m。あります。
国宝 蓮華王院本堂(三十三間堂)は国宝に指定されています。三門跡のひとつの妙法院の仏堂なのです。中央壇上には鎌倉時代の仏師、湛慶(たんけい)が82才の時に手がけたという国宝の千手観音坐像があります。見る者を圧倒させます。全長335cmの大作です。左右に合わせて千体の千手観音立像が並んでいます。平安から鎌倉時代のもので実際には1001体あるそうです。これらは重要文化財に指定されています。
国宝に指定されている二十八部衆立像は火災時に全部運び出されたと記録されていますが、諸説有るようです。
「通し矢」は、毎年1月15日に一番近い日曜日に催されています。また頭痛封じの楊枝の(やなぎ)加持も行われています。宮本武蔵が吉岡と立ち会った場所でもあります。
三十三間堂は、正式には蓮華王院(天台宗)といい、内陣の柱間が33あることに由来しています。長寛2年(1164)、後白河上皇の勅願で平清盛が院御所法住寺殿(ほうじゅうじどの)西側に千体観音堂を建立したのがはじまりです。
その後、焼失しましたが、鎌倉時代の文永3年(1266)に現在の本堂が再建されました。柱間の数が33ある横長のお堂は総檜造りで約120m。あります。
国宝 蓮華王院本堂(三十三間堂)は国宝に指定されています。三門跡のひとつの妙法院の仏堂なのです。中央壇上には鎌倉時代の仏師、湛慶(たんけい)が82才の時に手がけたという国宝の千手観音坐像があります。見る者を圧倒させます。全長335cmの大作です。左右に合わせて千体の千手観音立像が並んでいます。平安から鎌倉時代のもので実際には1001体あるそうです。これらは重要文化財に指定されています。
国宝に指定されている二十八部衆立像は火災時に全部運び出されたと記録されていますが、諸説有るようです。
「通し矢」は、毎年1月15日に一番近い日曜日に催されています。また頭痛封じの楊枝の(やなぎ)加持も行われています。宮本武蔵が吉岡と立ち会った場所でもあります。