旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

大徳寺です。

2006年10月11日 | Weblog
重要文化財の京都市北区紫野大徳寺町にある大徳寺三門です。大徳寺最古の建造物です。応仁の乱で焼失後、一休が一層を再建しました。60年後千利休が二層に改修し利休木像を安置したため秀吉の逆鱗に触れ切腹させられました。
 元応元年(1319)大澄国師(宗峰妙超)が創建した禅寺です。花園・後醍醐両天皇の帰依を受け嘉暦元年(1326)に大徳寺と名付けられました。京都五山の上位に列せられましたが、足利氏の時代に入ると五山から除かれてしまいます。応仁の乱で焼失してしまいました。その後一休禅師が堺の豪商の援助を得て復興させました。茶の湯との関係も深く、千利休ら堺の茶人や茶の湯好きな大名などが次々に帰依しました。塔頭が建立され大いに隆盛しました。境内は広大で南北一直線上に典型的禅宗伽藍が配置されています。
 築地塀に囲まれた中に22もの塔頭があります。方丈など国宝の堂宇にはじまり、枯山水の庭園や茶室などがあります。秀吉が信長の葬儀をここで執行したことでも有名です。
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