知恩院は大晦日の除夜の鐘の放映でお馴染みのお寺です。地元では「ちおいんさん」と呼ばれていますが正式には華頂山大谷寺知恩教院といいます。華頂山(かちょうざん)の山裾に広がる浄土宗の総本山です。 祇園の北側にある知恩院は法然がここで布教を始めたところでした。知恩院は、応仁の乱 (1467-77) で焼失し一時、近江の伊香立 (いかだち)に難を避けました。乱のあと再興しました。
大永3年(1523)、百万遍知恩寺と本山争いが起こりました。天正3年正親町(おおぎまち)天皇の綸旨(りんじ)で知恩院が本山と決定しました。信長、秀吉の援助を受けて復興に向かい、家康は徳川家の菩提所とし大伽藍の建造を発願、寺領700石を寄進して大小106棟の建物からなる現在の寺観を整えました。
大永3年(1523)、百万遍知恩寺と本山争いが起こりました。天正3年正親町(おおぎまち)天皇の綸旨(りんじ)で知恩院が本山と決定しました。信長、秀吉の援助を受けて復興に向かい、家康は徳川家の菩提所とし大伽藍の建造を発願、寺領700石を寄進して大小106棟の建物からなる現在の寺観を整えました。