豊臣秀吉が建立した方広寺は、松永秀繁によって焼かれた奈良の大仏が再興されなかったのでここに大仏殿を建立したのです。9年の歳月を費やして建て大仏千人供養をしたのですが、慶長元年(1596)の大地震で焼失してしまいました。
のちに秀頼が再建しましたが、火災で焼失してしまいました。梵鐘に刻まれた銘文が家康の怒りにふれ、大坂冬の陣、夏の陣をひきおすことになり豊臣家滅亡のきっかけとなりました。現在は、大鐘が吊られた鐘楼、諸将の名が刻まれた石塁や石塔だけが残っています。
のちに秀頼が再建しましたが、火災で焼失してしまいました。梵鐘に刻まれた銘文が家康の怒りにふれ、大坂冬の陣、夏の陣をひきおすことになり豊臣家滅亡のきっかけとなりました。現在は、大鐘が吊られた鐘楼、諸将の名が刻まれた石塁や石塔だけが残っています。
