フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月2日(火) 雨、降ったり止んだり

2006-05-03 02:25:57 | Weblog
  初夏から早春へ季節が逆戻りしたような一日だった。午後、近所のコンビニに買い物(アメリカンドッグ、ストロベリーチョコレート、ドトールコーヒー)に出た以外は、終日、自宅で過ごす。
  夜更け、昨日中央図書館で借りた坂口安吾『教祖の文学』に入っている小説「暗い青春」を読む。元々借りるつもりのなかった本で、地下1階の研究書庫でお目当ての専門書を手に取って、出口に向かう途中、文学の書架の間を歩いていて、ふと目にとまって借りた本である。昭和23年4月に草野書房から出た初版本である。定価は百円。「暗い青春」の書き出しはこんなふうである。

 「まつたく暗い家だつた。いつも陽当たりがいいくせに、どうして、あんなに暗かつたのだらう。
 それは芥川龍之介の家であつた。私があの家へ行くやうになつたのは、あるじの自殺後二三年すぎてゐたが、あるじの苦悶がまだしみついてゐるやうに暗かつた。私はいつもその暗さを呪ひ、死を蔑み、そして、あるじを憎んでいた。
 私は生きてゐる芥川龍之介を知らなかつた。私がこの家を訪れたのは、同人雑誌をだしたとき、同人の一人に芥川の甥の葛巻義敏がゐて、彼と私が編輯をやり、芥川家を編輯室にしてゐたからであつた。葛巻は芥川家に寄宿し、芥川全集の出版など、もつぱら彼が芥川家を代表してやつてゐたのである。
 葛巻の部屋は二階の八畳だ。陽当たりの良い部屋で、私は今でも、この部屋の陽射しばかりを記憶して、それはまるで、この家では、雨の日も、曇つた日もなかつたやうに、光の中の家を思ひだす。そのくせ、どうして、かう暗い家なのだろう。」

  魅力的な書き出しである。話はここから、当時、同人雑誌の仲間で、その後若くして亡くなった(ただし戦死ではなく病死)3人の男たちのエピソードに移っていく。さらに安吾のエキセントリックな就職活動のエピソード(神田のカフェーの支配人志願、サーカスの一座の構成作家志願)に話は展開し、暗い谷間の時代の流行思想(共産主義)への批判、そして勇気も自信もなく生きてきた自分への批判に至る。「暗い青春」の末尾はこんなふうである。

 「私は思ひ出す。あの家を。いつも陽当たりの良い、そして、暗い家。戦争はあの家も小気味よく灰にしてしまつたさうだが、私の暗い家は灰にならない。その家に私の青春がとぢこめられてゐる。暗さ以外に何もない青春が。思ひ出しても、暗くなるばかりだ。」

  虚ろに明るい、サプリメントのような文章が氾濫する時代に、こういう暗い文章はかえって心地よい。光と闇のコントラストが人間の造形に深みを与えることを、安吾に限らず、文士はみんな知っていた。
  そうそう、社会学専修の卒業生で電通マンのF君から次男誕生を知らせるメールが届いた。母子共に順調とのこと。生まれるのは仔猫だけではないのだ。