夕方、散歩に出る。気持のいい風が吹いていたので、本屋とか喫茶店とかに入るのはやめにして、ただ歩くことにした。環八の陸橋の下をくぐって、JRの線路際の道を川崎方面に向かって歩く。普段、歩かない道だ。松本清張の小説『砂の器』で和賀英良と三木謙一はおそらくこの道を歩いたはずである。
二つ目の踏み切りのところで右に折れて、志茂田中学の前を通過し、交番のある角を右に曲がると蒲田操車場だ。三木謙一の他殺死体(ただし当初は身元不明)はここで発見されたのだった。
道塚本通り商店街を蒲田方面に向かって歩く。多摩川線と池上線の踏切の脇の古いアパートの二階には、和賀英良の愛人が住んでいたに違いない。
たまには、ただ歩くだけの散歩も悪くない。
二つ目の踏み切りのところで右に折れて、志茂田中学の前を通過し、交番のある角を右に曲がると蒲田操車場だ。三木謙一の他殺死体(ただし当初は身元不明)はここで発見されたのだった。
道塚本通り商店街を蒲田方面に向かって歩く。多摩川線と池上線の踏切の脇の古いアパートの二階には、和賀英良の愛人が住んでいたに違いない。
たまには、ただ歩くだけの散歩も悪くない。