フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月31日(火) 快晴

2006-05-31 23:59:59 | Weblog
 夕方、散歩に出る。気持のいい風が吹いていたので、本屋とか喫茶店とかに入るのはやめにして、ただ歩くことにした。環八の陸橋の下をくぐって、JRの線路際の道を川崎方面に向かって歩く。普段、歩かない道だ。松本清張の小説『砂の器』で和賀英良と三木謙一はおそらくこの道を歩いたはずである。

         


 二つ目の踏み切りのところで右に折れて、志茂田中学の前を通過し、交番のある角を右に曲がると蒲田操車場だ。三木謙一の他殺死体(ただし当初は身元不明)はここで発見されたのだった。

         

 道塚本通り商店街を蒲田方面に向かって歩く。多摩川線と池上線の踏切の脇の古いアパートの二階には、和賀英良の愛人が住んでいたに違いない。

         

 たまには、ただ歩くだけの散歩も悪くない。

5月30日(火) 晴れ

2006-05-31 01:28:17 | Weblog
  会議の予定のない、したがって大学に出る必要のない火曜日は、久しぶりだ。火曜日に大学に出ないと、日・月・火・水と4日連続で自宅で仕事ができる(4日連続の休日ではありませんので。念のため)。新しい服務規程によると、週に4日は大学に出なくてはならないらしい。バカみたい(どうも理工系の教員を念頭に置いて一般モデルが組み立てられているように思われる)。まあ、自宅に置いてある本を運んでも大丈夫なくらい広い研究室(現状の3倍)を用意していただけるなら、考えないでもありませんけど、無理でしょ。いまの研究室は「研究室」という名のミニ演習室、ないし(授業という舞台の)楽屋です。だから授業のない日に研究室に出向くなんて、もう一度言うけど、バカみたい。ただし、大学が自宅から徒歩圏内の教員や、自宅に書斎や書庫がないという教員や、何らかの事情で家に居づらい教員は、話が別です。バカじゃありません(と慌てて補足)。
  午後、昨日レンタルした『僕の生きる道』と『ラストプレゼント』のDVDを観ながら、「近代社会における死(の告知)」というテーマについて考える(近々、講義で取りあげる予定のテーマ)。どちらのTVドラマも放送当時に観たものであるが、『僕の生きる道』は改めて観てもやはり傑作だと思った。
  夜、サローヤン『パパ・ユア クレージー』を読む。「あとがき」の中で訳者(役者ではなく!)の伊丹十三はこう書いている。

  「西欧人というものは確立した自我を持っているから、その言語において主語を省略しないのか、それとも、逆に主語を省略せぬような言葉を持ってしまったことが彼らをコギトの世界へ追いやるのかは、私にはよく判らないが、いずれにせよ、西欧人における自我の確立と、省略されぬ人称代名詞とが、どこかで深く結びついていることだけは確かであろうと思う。
  そこで私はこの小説を翻訳するに当って、自分に一つのルールを課すことにした。すなわち、原文の人称代名詞を可能な限り省略しない、というのがそれである。
  『僕の父は僕の母に、彼女が僕と僕の父を彼女の車で送ることを断った』というような文章に読者がどこまで耐えうるかは私にも自信はないが、しかし、仮にこれを『ママは車で送ってくれるといったがパパは断った』というふうに訳すなら、この小説はそのような積み重ねの結果、遂には、少少風変わりではあるが、やさしくて物判りのいいお父さんの子育て日記という水準にとどまってしまっただろうと思われる。
  英語で育てられるということは生ま易しいことではない、と私は思う。どんなにやさしかろうが、物判りがよかろうが、それは親が自分の自我を小さくして子供と一体化してくれるということではないのだ。親と子供の間といえども、ことごとにアイやユーが立ちはだかる、差異と対立の世界であり、父親はそのような言語の世界の代理人であるがゆえにこそ、その存在そのものが、母親と幼児を容赦なく引き裂くものとして機能するのだ。」

  岸田秀との対談『哺育器の中の大人-精神分析講義』(1978)で精神分析の理論を自家薬籠中のものとしていることを見事に示して見せた伊丹十三ならではの文章である。これを読んで、私は、柴田元幸『翻訳教室』の中で、村上春樹が言っていたことを思い出した。

  「村上 J・D・サリンジャーの The Catcher in the Rye (1951)を『キャッチェー・イン・ザ・ライ』というタイトルにして2003年に訳したんですが、そこに「you」が出てきます。それを僕は意識的に「あなた」・・・・あれ? 「きみ」でしたっけ?
  柴田 「きみ」でしたね。
  村上 そうか「きみ」ですね。「きみ」って訳したんです。僕もずいぶん迷ったんだけど、それについてもいろいろ批判がありました。訳しすぎだというんです。あれは実体のない「you」だから訳すべきではないと。僕の作品を翻訳してくれているジェイ・ルービンも同じよう意見で、アメリカ人にはやはりそういう意見の人が多いようですね。でも、僕はそうは思わない。アメリカ人は「you」は実体のない「you」だと言っているけど、実体は本当はあるんですよ。あるけど彼らが気づいていないだけじゃないかと、僕は思うんです。架空の「you」は彼らの頭の中には存在しない。でも存在しているんです。日本人である僕らが見るとそれが存在しているのがわかる。でも彼らにしてみれば、もうDNAに刷り込まれているからわからない。だから僕らが日本語に訳すときは、ちょうど中間ぐらいの感覚で訳さなければいけないんだけど、中間というのは難しい。だから僕としては二回「you」を使う部分があれば、一回はなし、一回はありでいこうと決めている。でもそのへんの理解のしようは、アメリカ人にはわからないだろうな、たしかに。だから、これは僕は何度も言っていることだけど、翻訳というのはネイティブに訊けばわかるというものではないんです。」

  その通り。自分が属する社会の行為規則(すなわち文化。文法はその一種)というのは、なかなか自分では認識できないものである。自分の四肢の動きを操っている糸の存在に気づかないマリオネットのようなものだ。見えない(見えにくい)糸を見えるようにするという点において、社会学者と翻訳家の仕事は似ている。社会学者のことはひとまず措いて、伊丹の語りに戻ろう。

  「とするなら、英語で育てられることそのことを内容とする小説を日本語に移しかえようということは一体何を意味するのか? このような作業はいうまでもなくあらかじめ挫折した試みであり、従って訳者のなしうる最善のことは、距離の言語を距離否定の言語に無理矢理移しかえた時に生じる、ぎくしゃくとした軋みや歪みそのものを、ある程度訳文の中に保存して「達意の日本語」を捨ててしまうことである、というのが私の判断であったと思う。
  そうして更に告白するなら、そのことに私は徹底することができなかったのであって、結果的には直訳調もある範囲までに過ぎず、たとえば、父親の使うアイやユーと、母親の使うアイやユーと、子供の使うアイやユーと、その他の人人の使うアイやユーを、みんな同じに訳す-たとえば、すべてのアイを「私」すべてのユーを「あなた」と訳す-というような課題に対しては遂に私は何の解決をも見出すことができずに終わってしまったのである。
  要するに、日本語というものは、あらゆる言葉に、森有正氏のいうところの「汝の汝」という関係を含んでしまう言葉であり、私といおうと僕といおうと、その言葉自体、すでにして相手に対する自分の態度を含んでしまっているがゆえに、それは厳密な意味においてアイの訳語になりうるものではないのだということを悟るほかなかったのである。結局私にできたのは、人称代名詞の「数」を、できるだけ省略しない、ということにとどまったのかもしれない。」

  伊丹十三が自殺をしたとき(1997年12月20日)、あれほど自我の理論に通暁していた男が自我の病に負けてしまうとはと、私は愕然としたものである。