フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月9日(火) 曇り、夜に小雨

2006-05-10 12:58:08 | Weblog
  午前中に会議を一つ済ませてから、昼休み、教育学部(16号館)に出かけていく。教育実習協力教員の打合せ会のためである。教育実習協力教員というのは、教育実習に出かけていく学生にアドバイスをしたり、実習先の学校に挨拶に行ったり、研究授業を参観したり、といったことを行う。今回、私は大田区立矢口中学校で教育実習を行う学生の協力教員を務めることになった。矢口中学校は蒲田から多摩川線で2つ目の武蔵新田が最寄り駅で、自宅から自転車で行ける距離である(だから私が担当することになったのであろう)。学生時代、蒲田と武蔵新田の間の矢口渡(やぐちのわたし)にあった「F塾」という学習塾で講師のアルバイトをしていたが、矢口中学の生徒も教えた記憶がある。彼らもいまは40代の半ばになっている。地元で暮らしていれば彼らの子どもたちが矢口中学の生徒になっている年齢だ。光陰矢の如し。

  本部キャンパスに来たついでに生協の書店を覗く。街の大型書店並の本の量である。以下の本を購入。  
  絲山秋子『袋小路の男』(講談社)
  同『海の仙人』(新潮社)
  中原昌也『KKKベストセラー』(朝日新聞社)
  長嶋有『夕子ちゃんの近道』(新潮社)
  加納朋子『てるてるあした』(幻冬舎)
  向井透史『早稲田古本屋日録』(右文書院)
  大竹文雄『日本の不平等』(日本経済新聞社)
  白波瀬佐和子『変化する社会の不平等』(東京大学出版会)
  金子勇『少子化する高齢社会』(NHKブックス)
  『KAWADE道の手帖 丸山真男』(河出書房新社)

教員用カウンターに持っていって伝票処理をしてもらっていたら、さきほどの教育実習協力教員打合せ会でご一緒した社会学の長田先生も両腕に本を抱えてやってこられた。まるで買い出し部隊である。この後の時間はどうされるのですかと尋ねたら、奥様、娘さんと待ち合わせて竹橋の近代美術館でやっている藤田嗣治展を観に行かれるとのこと。今年は彼の生誕120年である。ということは、彼は清水幾太郎より21歳年上ということになるわけだ、といつもの癖で考えてしまう。

  文学部キャンパスに戻る途中、喫茶店(初めの店で名前は忘れた)で一服。購入したばかりの中原昌也『KKKベストセラー』を読む。薄い本なので30分ほどで読めてしまった。実は、彼の本は今日初めて読んだ。今朝の読売新聞で、今春米国で創刊された文芸誌「A PUBLIC SPACE」が日本特集を組み、村上春樹のインタビューと、阿部重和、中原昌也、小川洋子の短篇小説を掲載したという記事を読んだのだが、短篇小説の選定と翻訳を担当したローランド・ケルツはとくに中原昌也の才能に注目していると書かれていて、ならば読んでみよと思ったのである。読んで驚いた。文章を書くことの苦痛さ、作家という仕事のくだならさについて、綿々と語っているだけなのである。いつになっても物語が始まらない。(終戦直後の)太宰治のパロディーかと思いつつ読んでいたら、途中で連載(書き下ろしではなく雑誌の連載を単行本化したものなのだ)の中止が表明され、「あとがき」で島田雅彦批判を展開し、島田のような作家がもてはやされているような業界で仕事をするのは金輪際お断りだと作家廃業宣言(?)がなされているのである。なにしろ彼の本を読むのは今回が初めてなので、この本が彼の作品全体の中でどういう位置づけにあるのか、彼の特徴をよく表した典型的な作品なのか、例外的な作品なのか、まるでわからない。わかるのは、太宰治との類似性(直感に過ぎない)を別にすれば、「こんな文章を書く作家は初めて」ということである。魅力的なのか、馬鹿げているのか、それさえも判然としない。ケルツが選んだ「血で描かれた野獣の自画像」という作品を読んでみようと思う。

  午後3時から新学部の基礎演習に関するワーキンググループの会合。夕方には終わり、「ごんべえ」でカレー南蛮を食べてから、日比谷のシャンテシネに『ブロークン・フラワーズ』を観に行く。地下鉄の日比谷駅からシャンテシネ前の広場に出るときに、三信ビルという古いビルの中を歩いたのだが、改築なり新築の工事があるのだろうか、テナントがほとんで出てしまっていて、そこだけ時間が止まったような不思議な空間になっていた。

       

  『ブロークン・フラワーズ』は、若い頃からドンファンで、経済的には裕福だが、同棲していた女性(ジュリー・デルピー)に愛想を尽かされて出ていかれたばかりの50代の独身男(ジャン・マレー)の元に差出人不明の手紙が届くところから話が始まる。

  人生ってフシギないたずらをするものね。
  あなたと別れて20年が経ちました。
  息子はもうすぐ19歳になります。
  あなたの子です。
  別れたあと、妊娠に気づいたの。
  現実を受け入れ、ひとりで育てました。
  内気で秘密主義の子だけど、想像力は豊かです。
  彼は二日前、急に旅に出ました。
  きっと父親を探すつもりでしょう・・・・。

彼はお節介焼きの隣人(ジェフリー・ライト)のアドバイスに従って20年前に別れた5人の女性をリストアップし(うち一人は5年前に交通事故で死亡していることが判明)、彼女たちの元を訪ねる旅に出る。そのかつての恋人たちを演じるのは、ジャロン・ストーン、フランセツ・コンロイ、ジェシカ・ラング、ティルダ・セイントンである。現在の境遇も容色の衰えの程度もさまざまである。ロードムービーでもあり(空間的移動)、センチメンタルジャニーでもある(時間的移動)。当然、しみじみと切ない。しかし、監督のジム・ジャームッシュはそこに無機質のユーモア(主人公はバスター・キートンのように無表情なのである)と、小市民的なエロチズム(空港のロビーで隣り合わせた若い女性、露出趣味のある小娘、ミニスカートの受付嬢、清純な花屋の売り子への主人公のまなざし)を加えて、作品全体の湿度の上昇を抑えている。それでもやはりしみじみしてしまうのは、私が主人公と同年配だからであろう。主人公が移動中の車中で聴くCD(エチオピアン・ジャズ)はまるで演歌のようであった。映画が終わって外に出ると小雨が降っていた。