フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月21日(日) 快晴

2006-05-22 03:03:10 | Weblog
  午後、母と仏具店に行く。父の位牌を作るのを機に新しい仏壇を購入したいと母が言い出したからである。これまで仏壇の値段など気に留めたこともなかったが、ピンからキリまで、ずいぶんと幅のあるものである。結局、仏具一式と併せて、私の一月分の給料に相当するものを購入した。2割引きとのことだったが、仏具というのは定価があってないようなものだと感じた。
  仏具店を出て、母は帰宅し、私はそのまま散歩へ。有隣堂で、リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』(新潮文庫)、アリス・マンロー『イラクサ』(新潮クレスト・ブックス)を購入。シャノアールで『アメリカの鱒釣り』を読む。断片の集積という方法論が、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(1979)や高橋源一郎のデビュー作『さようなら、ギャングたち』(1981)を連想させる。「『アメリカの鱒釣り』革命」というタイトルの「解説」の中で、柴田元幸はこう書いている。

  「いまから三十年前の一九七五年、リチャード・ブローティガン著、藤本和子訳の『アメリカの鱒釣り』を初めて読んだときに感じた解放感を、自分がどんな言葉にしたのか、いまではもう思い出せない。たぶん、本を読んだ興奮を友だちと語りあうような習慣もなかったから、ただ単に胸のうちで「カッコいいなー」と呟いただけだったのだろう。でもその「カッコいいなー」は、本当に心の底から湧いてきた言葉だったと断言できる。
      …(中略)…
  一九七五年当時は、現代アメリカ文学の翻訳といえば、ノーマン・メイラーやソール・ベローといった作家たちの重厚な作品が中心で、しかも我々日本の読者には-いや、そうやって一般化するのはよそう、僕には-まだまだアメリカを「仰ぎ見る」視線が残っていたから、アメリカ小説からいわゆる「人生の意味」なり「作者の教え」なりを読み取らねばという強迫観念があった。本国アメリカではすでにポストモダン小説が主流になっていて、人生の意味を問うだけが小説ではないという思いはある程度拡がっていただろうが、何しろポストモダン小説は難物揃いであり、翻訳はまだほとんど出ていなかった。…(中略)…
  そんなわけで、『アメリカの鱒釣り』邦訳が書店に並んだときは、ほかの人たちはともかく、僕は、小説から「人生の意味」「作者の教え」を読み取らねばならないという思いにいまだ囚われていた。そういうなかで、こんなふうに、作品を意味に還元するよりも、まずは一行一行の奇想ぶり、変化に富んだ語り口の面白さ、その背後に見える憂鬱などに耽溺するように誘ってくれているように思える小説に出会って、ものすごい解放感を感じたものだった。」

  柴田が藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』を読んで解放感を感じていた1975年、私は早稲田大学第一文学部の3年生で、英語の授業で、D.H.ロレンスやトマス・ハーディーやバーナード・マラマッドを読まされていて、ものすごい閉塞感を感じていた。ああ、藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』に自分もあの頃出会えていたら!

  「このように、『アメリカの鱒釣り』邦訳刊行は、僕個人にとって、何とも解放的にあたらしい作品が理想的な翻訳で登場したという、大きな事件、ほとんど革命だったのである。そして、翻訳史ということで考えるなら、僕一人の問題ではなく、翻訳史上の革命的事件だったと言ってよいと思う。この後に登場するアメリカ文学の名翻訳者村上春樹の翻訳にしても-そして個々の言葉や比喩の使い方といった次元で考えれば、作家村上春樹の作品でさえ-『アメリカの鱒釣り』をはじめとする藤本和子の訳業抜きでは考えられない。」

  実際、私の感じていた閉塞感に風穴を開けてくれたのが村上春樹の『風の歌を聴け』だった。それは本当に気持ちのよい風だった。