フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月17日(水) 曇りのち小雨

2006-05-18 01:15:00 | Weblog
  午後、長い昼寝の後、母と妻と三人で、父の葬儀でお世話になった町内会の会長さんのところに挨拶に伺う。父がいたときは、常に誰かしら家にいないとならなかったから、玄関に鍵を掛けて家を留守にするという行為に改めて父の不在を実感する。そして、その不在の空間には、悲しみや淋しさだけでなく、安堵感や解放感といったものも漂っている。「闘病」というのは病人本人が使う言葉だが、病人の看病・介護をする家族にとっても、それは闘いだったのである。最終的には負け戦になることが判っていた闘いであったが、たとえ負け戦であっても、終戦には安堵感や解放感が伴うのである。それで油断したのであろう、町内会の会長さんへの挨拶を済ませて、母と妻は自宅に戻ったのだが、私はハガキを投函しがてら駅の方に散歩に出てしまった。栄松堂の新刊コーナーで立ち読みをしていると、妻がやってきたので、「君も散歩?」と私が聞く前に、「鍵!」と怒気を含んだ声で妻が言ったからびっくりした。そ、そうであった。自宅を出るとき玄関に鍵を掛けたが、その鍵は私が持っていて、他の二人は鍵がないと家に入れないのであった。それにしても私の立ち寄りそうな場所がすぐにわかるとは20数年連れ添った夫婦だけのことはある。レアード・ハント『インディアナ、インディアナ』(朝日新聞社)、白井幸彦『映画の中で出逢う「駅」』(集英社新書)、別冊宝島編集部編『グーグル明快検索術』(宝島社新書)、筆坂秀世『日本共産党』(新潮新書)を購入。シャノアールでクリームソーダでも飲みながら少し本を読んでから帰ろうかなと思ったが、これでまた夕食の時間に遅れたりしたら妻の怒りが倍加すると考え、コンビニでメロンソーダとアイスクリーム(妻の分も)を購入し、自宅でクリームソーダを作って飲んだ。