フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月12日(金) 晴れ、風やや強し

2006-05-13 01:15:03 | Weblog
  午前中、電車に乗る前に、有隣堂で瀬尾まいこの新作『強運の持ち主』(文藝春秋)を購入。ついでに近くに並んでいた三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)も購入。わざわざ鞄を重くして大学へ行く。
  3限の社会学演習ⅡBは「ランチミーティング」。昼休みに買い出し隊を買って出てくれた数人の学生に500円×33名分の資金を渡し、おにぎり、サンドイッチ、飲物、お菓子などを仕入れてきてもらい、ランチを食べながら、小グループ(8名×4グループ)に別れてミーティング。ミーティングの前に、まずは食べ物、飲物の分配。椅子に座って、みんなの動きを眺めている私の目の前に、ときどき学生たちが食べ物や飲物を置いていってくれる。なんだか路傍のお地蔵様になったような気分だった。私が与えたミーティングの課題は2つ。第一に、メンバー相互の親睦(名前と顔を覚えよう)。第二に、テキスト(山田昌弘『希望格差社会』)を読んでの意見交換。ずっと親睦的会話を続けているグループ、親睦的会話は早々に切り上げてテキストを広げてディスカッションを始めるグループ、相互作用の仕方はさまざまである。親睦からディスカッションに移行するときには、きっかけが必要である。移行を呼びかける発話を誰かがしなくてはならない(そして他のメンバーがそれに同調しなくてはならない)。しかし、議長とかリーダーを事前に決めているわけではないので(非組織的集団)、きっかけとなる発話をする人にはそれなりのエネルギーがいる。さて、どうするのかなと観ていたら、C班が早々にディスカッションに移行し、少し遅れてB班、さらに遅れて(C班とB班がディスカッションをしているのを見て)A班がディスカッションに移行した。D班は一向にディスカッションに移行する気配がなかったが、私の「この教室にも二極化現象が見られるね」の一言に我に返ったのか(?)、ミーティング終了直前になって急にテキストを広げ始めた。こうした違いは、メンバーの真面目・不真面目とか、ディスカッション能力の有無とはあまり関係がない。初期段階で偶発的に形成された各グループの雰囲気が一番大きな要因である。本当にちょっとしたことなのである。しかし、一旦形成された各グループの雰囲気は容易には変わらず、メンバーは自分の集団の雰囲気に合わせて発言するようになるのである。メンバー個々人の特性の総和が集団の雰囲気を決めるのではなく、逆に、集団の雰囲気がメンバーの行為を規定するのである。
  4限の大学院の演習のメンバーは8名だが、各自の座る場所だけでなく、ディスカッションにおける各自の役回りというようなものも決まってきているように思う。面識のない人間同士の出会いから始まっても、時間の経過とともに、相互作用は構造化していくものである。
  6限の「社会と文化」の講義には70名ほどの学生が出席しているが、たいてい同じ場所に座っている。どこに座るかは自由なのだが、毎回同じ場所に座ることは自由の放棄ではなく、自由の行使によって手に入れた場所の私的所有化とみるべきだろう。教室という公共空間の中でも人は「自分の居場所」を確保しようとするのである。
  9時、帰宅。風呂を浴び、居間のソファーで一人、昨日録画しておいたTVドラマ『弁護士のくず』を観る。家庭という私的空間における私の居場所も定まっている。昔は妻は私の帰宅をまって一緒にTVドラマを観ていたものである…。