目覚まし時計というものがある。私は原則としてこれを使わない。寝ているところを無理矢理起こされるのは体のためによろしくない。目覚まし時計の音にびっくりして心臓発作で亡くなる人というのはいないのであろうか。公表されていないだけで、実際にはいる、と私は確信している。寝坊ができないときには、妻に「明日は○時に起こして」と頼んでおく。同じ起こされるのでも目覚まし時計の音で起こされるよりも人の声で起こされる方が体には優しい(実際にはそれより前に自然に目が覚めることがほとんど)。しかし、今朝は寝坊をしてしまった。11時から大学で新しく導入されるオンデマンド授業システムの説明会があり、出席の予定だったのだが、目が覚めたら10時だった。押っ取り刀で駆けつけても大幅な遅刻で、たぶん途中から聞いてもよくわからないだろう。後から資料をもらって学習することにする。
朝食は明太子、味噌汁、御飯。寝坊をしたにもかかわらず疲れが十分に取れていない感じがする。これは風邪を引く前兆である。こういう日は家でおとなしくしているのが一番だが、今日は午後から教授会があり、今年度で定年退職される先生方のご挨拶がある。これを欠席するわけにはいかない。礼儀ということもあるが、私はこれを拝聴するのが楽しみなのである。ご挨拶は教授会の中盤に予定されているので、それに間に合うように行けばよいだろう。というわけで午後から大学へ。五郎八で昼食(天せいろ)をとってから教授会に出る。すでに大きな議題が1つ終わっていた。ほどなくして定年退職の先生方のご挨拶が始まった。ご都合の悪い方もいらして、本日お話を伺えたのは、フランス文学の市川先生と西洋史の小倉先生のお二人。市川先生は昔々の仏文研究室のゴシップというかスキャンダルというか、ちょっとヒヤヒヤする話から始まって、研究者としてのご自身を知人の書いた人物評を通して語るという趣向がいかにもフランス文学的だった。小倉先生は前任校の東洋大から早大に移って来られてからの12年を大切なものを扱うように心を込めて語られた。私は小倉先生のいらっしゃる1年前に早大に来たので、年齢は離れていても、途中採用の同期入社のような感覚があり、しみじみとした気分になった。市川先生、小倉先生、どうぞお元気で。
教授会終了後、文カフェで恒例の教員懇親会。入試業務お疲れ様という主旨の会だが、いつも思うのは、事務所の方々とも一緒にやれたらいいのにということだ。教務の先生方にはそういう機会があるのだが、一般の教員にはそれがない。近頃とくに感じるのだが、職員一人あたりの仕事量は明らかにオーバーロードである。それを端的に示しているのが、事務所から届くメールの送信時刻である。夜中の12時前後に届くことが珍しくなくなっているのだ。特定の時期(繁忙期)にそういうことがあるのはわからないでもない。しかし、どうもそうではないのだ。繁忙期の拡散というか、年がら年中忙しいのだ。一方で学部再編という大仕事があり、他方で人員削減(合理化)という経営方針があり、その必然的な結果がいまの状況なのだと思う。組織というのは、通常、1つの仕事(プロジェクト)を複数の人間(チーム)で遂行するものである。メンバーの一人にアクシデントがあってもそれで仕事に大きな支障が出ないような仕組みになっている。しかし、仕事量がある限度を超えると、仕事が属人的に(つまりこの仕事aはAさん、仕事bはBさん、仕事cはCさん…という具合に)分割される傾向が強くなってくる。個々のメンバーが一人で抱え込む仕事が増えてくるのだ。これは一方で、メンバー個々人の責任感を大きくする。「自分がやらなければ組織が立ちゆかなくなる」からだ。その一方で、メンバーの一人にアクシデントがあった場合のリスクも大きくなる。責任感の増大とリスクの増大は表裏一体である。両者のスパイラルにはおのずと上限というものがあるはずだ。私の見るところでは、いや、誰が見たって、いまの大学事務所の状況はすでに上限に達している。いっぱいいっぱいである。文化構想学部と文学部の新入生が間もなく大挙して戸山キャンパスにやってくる。それまでに必要なのは二つ。第一に、職員の休養であり、第二に、職員の増員である。
朝食は明太子、味噌汁、御飯。寝坊をしたにもかかわらず疲れが十分に取れていない感じがする。これは風邪を引く前兆である。こういう日は家でおとなしくしているのが一番だが、今日は午後から教授会があり、今年度で定年退職される先生方のご挨拶がある。これを欠席するわけにはいかない。礼儀ということもあるが、私はこれを拝聴するのが楽しみなのである。ご挨拶は教授会の中盤に予定されているので、それに間に合うように行けばよいだろう。というわけで午後から大学へ。五郎八で昼食(天せいろ)をとってから教授会に出る。すでに大きな議題が1つ終わっていた。ほどなくして定年退職の先生方のご挨拶が始まった。ご都合の悪い方もいらして、本日お話を伺えたのは、フランス文学の市川先生と西洋史の小倉先生のお二人。市川先生は昔々の仏文研究室のゴシップというかスキャンダルというか、ちょっとヒヤヒヤする話から始まって、研究者としてのご自身を知人の書いた人物評を通して語るという趣向がいかにもフランス文学的だった。小倉先生は前任校の東洋大から早大に移って来られてからの12年を大切なものを扱うように心を込めて語られた。私は小倉先生のいらっしゃる1年前に早大に来たので、年齢は離れていても、途中採用の同期入社のような感覚があり、しみじみとした気分になった。市川先生、小倉先生、どうぞお元気で。
教授会終了後、文カフェで恒例の教員懇親会。入試業務お疲れ様という主旨の会だが、いつも思うのは、事務所の方々とも一緒にやれたらいいのにということだ。教務の先生方にはそういう機会があるのだが、一般の教員にはそれがない。近頃とくに感じるのだが、職員一人あたりの仕事量は明らかにオーバーロードである。それを端的に示しているのが、事務所から届くメールの送信時刻である。夜中の12時前後に届くことが珍しくなくなっているのだ。特定の時期(繁忙期)にそういうことがあるのはわからないでもない。しかし、どうもそうではないのだ。繁忙期の拡散というか、年がら年中忙しいのだ。一方で学部再編という大仕事があり、他方で人員削減(合理化)という経営方針があり、その必然的な結果がいまの状況なのだと思う。組織というのは、通常、1つの仕事(プロジェクト)を複数の人間(チーム)で遂行するものである。メンバーの一人にアクシデントがあってもそれで仕事に大きな支障が出ないような仕組みになっている。しかし、仕事量がある限度を超えると、仕事が属人的に(つまりこの仕事aはAさん、仕事bはBさん、仕事cはCさん…という具合に)分割される傾向が強くなってくる。個々のメンバーが一人で抱え込む仕事が増えてくるのだ。これは一方で、メンバー個々人の責任感を大きくする。「自分がやらなければ組織が立ちゆかなくなる」からだ。その一方で、メンバーの一人にアクシデントがあった場合のリスクも大きくなる。責任感の増大とリスクの増大は表裏一体である。両者のスパイラルにはおのずと上限というものがあるはずだ。私の見るところでは、いや、誰が見たって、いまの大学事務所の状況はすでに上限に達している。いっぱいいっぱいである。文化構想学部と文学部の新入生が間もなく大挙して戸山キャンパスにやってくる。それまでに必要なのは二つ。第一に、職員の休養であり、第二に、職員の増員である。