フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月23日(金) 晴れ

2007-03-24 03:41:12 | Weblog
  9時、起床。朝食は卵焼き、鶏肉と大根と人参の吸い物、山菜御飯。午前中に散髪に行く。週末だがお客は少なく、髭を剃ってもらっているとき以外は、ご主人とずっと世間話をしていた。景気が上向いていると聞いているけれども、子どもの数は少ないし、若者の髪型は刈り上げ全盛で(だから床屋に来る頻度は少ない)床屋の景気はよくないという話や、蒲田近辺のお花見スポットの話。帰宅して、昼食は煮込みうどんと山菜御飯。散歩かジムか迷ったが、散歩に出る。有隣堂と新星堂で以下の本とCDを購入。

  『石川淳評論選』(ちくま文庫)
  山田昌弘『希望格差社会』(ちくま文庫)
  アンジェラ・アキ『サクラ色』
  コブクロ『ALL SINGLES BEST』
  『sakura songs』

  『sakura songs』はスピッツ「チェリー」、福山雅治「桜坂」、スキマスイッチ「桜夜風」など「桜」にちなんだ歌14曲を集めたもの。さまざまな花の中で「桜」は格別の意味づけをされている花である。「桜」はそのうち授業で取り上げてみたいテーマである。このCDはそのときに役に立つはずである、という勘が働いて購入。
  カフェ・ド・クリエで『石川淳評論集』を読む。「敗荷落日」は永井荷風の追悼文である(初出は『新潮』昭和34年7月号)。まさに秋霜烈日、凄まじい追悼文である。

  「おもえば、葛飾土産までの荷風散人であった。戦後はただこの一篇、さすがに風雅なお亡びず、高興もっとよろこぶべし。しかし、それ以後は…何といおう、どうもいけない。荷風の生活の実状については、わたしはうわさにばなしのほかにはなにも知らないが、その書くものはときに目をふれる。いや、そのまれに書くところの文章はわたしの目をそむけさせた。小説と称する愚劣な断片、座談速記なんぞにあらわれる無意味な饒舌、すべて読むに堪えぬもの、聞くに値しないものであった。わずかに日記の文があって、いささか見るべしとしても、年ふれば所詮これまた強弩の末のみ。書くものがダメ。文章の家にとって、うごきのとれぬキメ手である。どうしてこうなのか。荷風さんほどの人が、いかに老いたとはいえ、まだ八十歳にも手のとどかぬうちに、どうすればこうまで力おとろえたのか。わたしは年少のむかし好んで荷風文学を読んだおぼえがあるので、その晩年の衰退をののしるにしのびない。すくなくとも、詩人の死の直後にそのキズをとがめることはわたしの趣味ではない。それにも係わらず、わたしの口ぶりはおのずから苛烈のほうにかたむく。というのは、晩年の荷風に於いて、わたしの目を打つのは、肉体の衰弱ではなくて、精神の衰弱だからである。」(416-417頁)

  「葛飾土産以後、晩年の荷風には随筆のすさびは見あたらぬようである。もともと随筆こそ荷風文学の骨法ではなかったか。…(中略)…一般に、随筆の家に欠くべからざる基本的条件が二つある。一は本を読むという習性があること、また一は食うにこまらぬという保証をもっていることである。本のはなしを書かなくても、根底に書巻をひそめないような随筆はあさはかなものと踏みたおしてよい。また貧苦に迫ったやつが書く随筆はどうも料簡がオシャレでない。…(中略)…しかるに、わたしが遠くから観察するところ、戦後の荷風はどうやら書を読むことを廃している。もとの偏奇館に蔵した書目はなになにであったか知らぬが、その蔵書を焼かれたのち、荷風がふたたび本をあつめようとした形跡は見えない。…(中略)…念のためにことわっておくが、わたしはひとが本を読まないということをいけないなんぞといっているのではない。反対に、荷風が書を廃したけはいを遠望したとき、わたしはひいき目の買いかぶりに、これは一段と役者があがったかと錯覚しかけた。古書にも新刊にも、本がどうした、そんなものが何だ。くそを食らえ。こういう見識には、わたしも賛成しないことはない。ただし、そのくそを食らえというところから、精神が別の方向に運動をおこして行くのでなければ、せっかくのタンカのきりばえがしないだろう。わたしはひそかに小説家荷風に於いて晩年またあらたなる運動のはじまるべきことを待った。どうも、わたしは待ちぼうけを食わされたようである。小説といおうにも、随筆といおうにも、荷風晩年の愚にもつかぬ断章には、ついに何の著眼も光らない。事実として、老来ようやく書に倦んだということは、精神がことばから解放されたということではなくて、単に随筆家荷風の怠惰と見るほかないだろう。」(418-420頁)

  本書を編んだ菅野昭正が「解説」の中で的確に述べているように、「石川淳の指摘は正しいし、なぜ無残な落日が訪れたかを糾明する道筋もすこしも間違ってはいないでしょう。しかし、肝心なのはその苛烈な言辞の裏側に、敗戦までの荷風の仕事に対する並々ならぬ敬意が隠されていることです。これを見落としたのでは、なんにもならない。」それにしても、石川淳のこの水際だった自在な文体には舌を巻くほかはない。
  夕食は鰺の塩焼き(二尾)、茄子とベーコンの煮浸し、大根の味噌汁、御飯「イロモネア5」を最初の方だけ見て、飽きてしまった(出演者がみんな売れている芸人ばかりで、最初の頃のハングリーさがなくなってしまった。賞金の100万円なんてどうってことないみたいだ)。
  小津安二郎の最後の作品『秋刀魚の味』(昭和37年)をビデオで観る。軽妙なタイトルや軽快な音楽とは裏腹に、「老い」や「孤独」を正面から見据えたなかなかにシリアスな作品である。ただし、シリアスではあるが、リアリティにはいささか欠けると感じたのは、確率的に考えて、「妻に先立たれた男」が主人公を含めて3人も登場するのは不自然だからである。小津はまさか、妻がそばにいて、娘と一緒に暮らしていれば、男は「孤独」と無縁でいられると考えていたわけじゃないだろうね。