フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月11日(日) 曇りのち晴れ

2011-09-12 00:03:43 | Weblog

  9時、起床。ハム、レタス、トースト、牛乳の朝食。
  授業はまだ始まらないが、明日から会議その他で週4日ペースで大学に出る。夏休み気分は今日で終り。

  論文の査読の仕事を終らせて、午後2時を回った頃、昼食をとりに散歩に出る。牡蠣フライを食べようと思うが、この時間だと商店街の洋食屋は中休みに入っているだろう。駅ビルの中のレストランを覗いて回ると、東館の「六本木六丁目食堂」で牡蠣フライがメニューに登場していた。さっそく注文して、料理が運ばれてくるまでの間、持参したレオ・ルビンファイン『傷ついた街』を読む。東京国立近代美術館で開催中の展示会の図録である。9.11をニューヨークで経験した写真家ルビンファインが、テロのあった世界中の都市を訪ねて、道行く人々をスナップした写真集。写真家は市民の表情にテロが残した「心理的な傷」を見ているわけだが、う~ん、確かに写真に撮られた市民の表情はどれも沈鬱であったり虚無的であったり苛立っていたりするわけだが、そこにテロの痕跡を見ようとするのは強引というか、写真家の強い思い込みなんじゃないだろうか。実際は、ある人は家庭の事情で、ある人は仕事上の問題で、ある人は健康上の理由で、そうした表情をしているのかもしれない。そういう表情はテロを経験していない都市のストリートを歩いてもいくらでも見つけることのできるものではなかろうか。つまり問題は市民の表情ではなくて、そうした表情にテロの「心理的な傷」を見てしまう写真家自身の「心理的な傷」なのではないか。

  やがて牡蠣フライが運ばれてきた。中位のサイズの牡蠣フライが5個、M字型に並んでいる。特筆すべき味とはいえないが、なにしろ今シーズン最初の牡蠣フライである、普通の牡蠣フライで十分である。卓上にはウィースターソースは置いていなかったので、店員さんに頼んでもってきてもらう。牡蠣フライは教科書どおりタルタルソースで食べても無論美味しいが、ウースターソースで食べても、タルタルソースとウースターソースのちゃんぽんで食べても、それぞれに美味しいのである。

  食後のコーヒーは場所を替えて「緑のコーヒー豆」で。実は、日誌をここに置き着忘れてしまった。帰宅して、しばらくたって、鞄の中に日誌がないことに気がづいた。「緑のコーヒー豆」が一番可能性が高いと思い、電話をしたところ、「はい、お預かりしています」とのことだったので、すぐに取りに行ってことなきをえた。もしも、公園のベンチかどこかに置き忘れて、誰かに持ち去られてしまったら・・・と考えると冷や汗ものである。ちょっとした失言で大臣が辞めさせられる世の中である。日誌の内容が外部にもれたら、私は何度も辞任(何を?)をしなければならないだろう。

   日本工学院のガーデンのベンチで日が暮れるまで読書。

  帰宅して、一階の雨戸を閉めていたら、向かいの家の庭の茂みの中に野良猫の子がいた。腹が減ったのだろう、小さな声でミャーと鳴いている。いつもであれば、母猫と一緒にうちに食事をもらいに来る時間だ。しかし、どうしたのだろう、今日は母猫の姿が見えない。私が仔猫に「オーイ」と呼びかけると、警戒しながらこちらをじっと見ている。自立すべきときが来たのだ。さあ、勇気を出して、自立への一歩を踏み出すんだ(人から餌をもらうことを自立といえるのかという問題はここでは問わないことにする)。何度か「オーイ」と呼ぶと、仔猫は決心したように茂みから出て、こちらにやってきた。私は冷蔵庫からハムを取り出して(今朝、私が食べたのと同じハムだ)、二階のベランダから下の仔猫に千切ったハムを何度も放り投げた。


自立への歩み

  世間ヘ

              天野忠

  野良猫の母親が子猫に告げた。
  ―あの家には女の子と男の子がいる
   うまくいけば飼ってもらえる
  心細げに子猫は母親のきつい眼を見た。
  ―さあ、お前の分別で生きてお行き
   もう世間へ出ていく頃だ…
  ふりむきもせず母親は
  屋根伝いに
  自分の餌を求めに行ってしまった。
  子猫はじっと見送っていた。
  それから
  小さなかぼそい懸命に甘えた声で
  ニャーンと鳴きながら
  おそるおそるあの家の方ヘ
  世間の方へ出て行った。