フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月18日(日) 晴れ

2011-09-19 02:36:48 | Weblog

  6時半、起床。ブログの更新をしてから、二度寝をする。朝食は抜き。

  午後、散歩に出る。この週末+祝日の月曜日は夏休みの最後の余韻のようなものである。「緑のコーヒー豆」で朝食のような昼食をとりながら、宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川文庫)を読みはじめる。

  「物語について、もう一度考えてみようと思う。/それは、私たちひとりひとりと世界とのつながりについて考えてみることだからだ。/本書はゼロ年代―つまり二〇〇〇年から二〇〇八年ごろまでの国内文化、とりわけ小説、映画、漫画、テレビドラマ、アニメーションなどの「物語」に着目し、その想像力の変遷を追う。(中略)「物語」について考えることで私たちは世界の変化とそのしくみについて考えることができるし、逆に世界のしくみとその変化を考えることで、物語たちの魅力を徹底的に引き出すことができる―。あるいは、そこからこの時代をどう生き、死ぬのかを考えるための手がかりを得ることも可能だろう。物語と世界を結ぶ思考の往復運動が私たちに与えるものの大きさは計り知れないのだ。」(13-14頁)

  秋期の演習「ケーススタディの方法」で読むのにいい本かもしれない。文庫化されて入手しやすくなったし。演習では、ポピュラーカルチャー(小説、映画、TVドラマ、アニメ、広告、人生相談など)の中の人生の物語を分析することをテーマにしているのだが、問題意識としてはかなり重なっているといっていい。

  「かつて村上春樹がそうしたように、私もまずノートの中央に一本の線を引こうと思う。右側には古いものを正しく葬送するために配列し、左側には今を生きるものを、それと併走してやがて追い抜くために刻み付ける。/右側に葬られるものは、一九九五年から二〇〇一年ごろまで、この国の文化空間で支配的だった「古い想像力」であり、左側は二〇〇一年ごろから芽吹き始め、今、私たちが生きているこの時代を象徴するものに育った「現代の想像力」である。/誤解しないでほしいが、私は前者を否定し、後者を肯定するために線を引くのではない。時代が後者に移行しているにもかかわらず、ゼロ年代も終ろうとしている現在に至っても怠惰な批評家たちによって「古い想像力」ばかりが批評の対象となっている現状を、私たちが生きる現実に追いつかせるために線を引くのだ。」(15頁)

  若い批評家らしい、気負った文章である。こういう文章を私は嫌いではない。少なくとも、若い人の書いた物分かりのいい文章や、中高年が書いた若者ぶった文章よりもずっといい。今日の散歩のお供はこの本だ。  

  電車に乗って新橋まで行く。銀座八丁目からスタートして銀座通りを端から端まで歩くことにする。

  歩き始めてすぐにヤマハ楽器店の前を通ったらこれからフルートのミニ・コンサートが始まるというので聴いていくことにした。ヤマハ音楽教室の講師たちによるフルート四重奏。ガーシュインの「アイ・ガット・リズム」など。 

  今日は歩行者天国。そこここにベンチが置かれているので、風に吹かれながら本を読むにはいい。
  宇野のいう「一九九五年から二〇〇一年ごろまで、この国の文化空間で支配的だった「古い想像力」」を代表する作品は『新世紀エヴァンゲリオン』である。

  「主人公の平凡な少年・碇シンジ は、ある日父親が司令官を務める組織に召喚され、人類を滅ぼさんとする謎の敵「使途」と戦うために組織の開発した巨大ロボット「エヴァンゲリオン」のパイロットに任命される。従来のロボット・アニメがそうであったように、「ロボットに乗って活躍すること」は父親に象徴される社会に認められること、つまり「社会的自己実現による成長」の暗喩に他ならない。/だがこの物語はそうは進まなかった。物語の後半、碇シンジ は「エヴァ」に乗ることを拒否して、その内面に引きこもり、社会的自己実現ではなく、自己像を無条件に承認してくれる存在を求めるようになる。そう、ここには「~する/~した」という社会的自己実現ではなく、「~である/~ではない」という自己像(キャラクター)の承認によるアイデンティティの確立が明確に選択されているのだ。/そして、このシンジの「引きこもり」気分=社会的自己実現に拠らない承認への渇望が、九〇年代後半の「気分」を代弁するものとして多くの消費者たちから支持を受け、同作を九〇年代カルチャーにおいて決定的な影響を残す作品に押し上げた。」(18-19頁)

  春期の演習「現代社会とセラピー文化」で、セラピー文化のタイポロジーとして、社会を抑圧的なものとみて、それに適応できない弱い自己を受け入れる(承認する)タイプのセラピー文化の典型は、トラウマ・サバイバー運動であると考えたわけだが、『新世紀エヴァンゲリオン』の物語はまさにこれに対応している。

  路上には、私のように、写真を撮っている人たちがいる。彼らも私のカメラの被写体になる。写真を撮っている人も写真に撮られるのだ。もしかしたら、写真を撮っている人を写真に撮っている私を写真に撮っている人がいたかもしれない。

  たくさんの仔猫を連れてきている人がいた。みんな、仔猫の写真を撮っていた。私も仔猫の写真を撮った。そして仔猫の写真を撮っている人たちも写真に撮った。

  銀座には世界の有名ブランドが店を出している。「シャネルはどこ?」とキョロキョロしている人がいたので、「ココです」と教えてあげた。

  誰かを待っているのだろうか、道にたたずんでいる人たちがいる。それが若い女性の場合、たいていケータイをいじっている。それが年配の男性の場合、たいてい道行く人たちをボケッと見ている。前者は、せっかくストリートにいるのに目の前の世界に目を向けないのはつまらない。彼女は世界に対して見る主体ではなく、見られる客体として存在している。「私はいま一人でいますが、でも、人とつながっているのです」という自己呈示をしているのだ。一方、後者は、目の前の世界への関心があるのはいいけれど、棒立ち状態は見た目がよろしくない。自己は見る主体であると同時に、見られる客体でもあることを気に留めたほうがよい。

  私が「なかなかやるな」と思ったたたずみ方は、新聞を大きく広げてたたずむ男性のそれである。写真からは年齢はわからないだろうが、私より年配の方である。

   銀座通りを歩く楽しみの1つは、上空を見上げると、美しい女性たちがいることである。

   一丁目まで歩いてから、ちょっと戻って、二丁目の伊東屋9Fのティーラウンジで休憩。アプリコットのタルトと紅茶(ダージリン)。

  『新世紀エヴァンゲリオン』に対して、「二〇〇一年ごろから芽吹き始め、今、私たちが生きているこの時代を象徴するものに育った「現代の想像力」」を代表する作品は『DEATH NOTE』であるとされる。

  「主人公は夜神明(やがみライト)という学生だ。ある日彼は死神が落とした「デスノート」を拾う。名前を記した人間を死に至らしめることができる「デスノート」を手に入れた月は、その力で全世界の凶悪犯罪者たちを裁き、「新世界の神」として君臨しようとする。邪魔する人間は罪のない者まで容赦なく殺害し、月は野望に邁進するが、そんな彼の前に同等の明晰な頭脳とドライな世界観を有する名探偵「L」が立ち塞がる。そして物語は月とLの対決からやがて、複数のプレイヤーが「デスノート」を所有し、生き残りをかけて争うバトルロワイヤル的展開を見せていく。/夜神月は碇シンジと同等に、いやそれ以上に、「社会」を信用していない。シンジが、戦いの中で徐々に社会(父親)への不信感を募らせ、引きこもっていったのに対して、夜神月は普通の高校生活を送る物語の序章の時点で既に、既存の社会をまったく信用しておらず、警察官僚の父親ですら歯牙にもかけていない。そして十代にして既に官僚になり権力を握ることで具体的に社会を変革しようと考えていた月は、デスノートを入手したことでその計画を「前倒し、拡大」することになる。つまり、それまでの社会(のルール)が壊れたことに衝撃を受けて引きこもるのが碇シンジなら、社会の既存のルールが壊れることは「当たり前のこと」として受け入れ、それを自分の力で再構築していこうとするのが夜神月なのである。まさに、ゼロ年代の「サヴァイブ感」とその対処法としての「決断主義」的な傾向を体現する作品だと言える。」(26-27頁) 

  なるほどね。セラピー文化のタイポロジーとの関係でいえば、社会を抑圧的なものとみなし、強い自己をめざすという意味では、自己啓発セミナー的であるといえるが、自己啓発セミナーは社会の抑圧的な構造それ自体を変革しようとはせず、それに負けずに生きていくことをめざす。その意味では、『DEATH NOTE』は脱セラピー的な作品であるが、しかし、読者は『DEATH NOTE』を読むことで「殺人」や「社会の再構築」を擬似経験するに留まるから、機能的にはセラピーである。ある物語を読んだからといって、読者の日常生活がその物語を模倣するわけではない。リアルな世界とフィクションの世界が補完しあって、われわれの日常生活を構成しているのだ。 

  伊東屋で買物をしてから、スタート地点の銀座八丁目まで引き返し、新橋から電車に乗って帰る。

  蒲田に着いて、くまざわ書店で鷲巣力『加藤周一を読む 「理」の人にして「情」の人』(岩波書店)を購入。帰宅して読む。岩波書店から刊行された『加藤周一自選集』全10巻の「解説」を加筆訂正して一冊にまとめたものである。

  「加藤はまたじつによく語った。人とのおしゃべりが好きだった。(中略)おしゃべりの交友関係は知識人や文化人とのあいだに結ばれていただけではなかった。長く住んだ上野毛の商店街に店を営む主人や女主人にも、日ごろから会話を交わす人がいた。加藤の葬儀が行われた日の朝、出入りの植木職人が弔問に訪れた。「新聞で加藤さんが亡くなられたことを知りました。そんな偉い方だとはまったく知りませんでした。でも、どうしてもお別れをしたくて参りました」。いかにも純朴そうな職人が加藤に親近感を抱いていることや、そのとき儀礼的に、あるいは興味本位に弔問に訪れたわけではないことは、表情や態度からあきらかに読みとれた。同時に、加藤がふだんその職人にどのような態度で接していたかも窺い知れた。/どんなレストランに入っても、気さくにあるいは貪欲に、たとえ短くとも店員とのおしゃべりを交わした。高級レストランのソムリエにたいする態度も、ファミリーレストランのアルバイトの少女にたいする態度も、変わりがなかった。こういう飾らない態度はだれにでも取れるものではないだろう。」(4-5頁)