7時半、起床。ベーコン&エッグとご飯の朝食。
午前中、歯科医院へ行く。先週に続いて歯のクリーニング。虫歯の治療がなかったので、今季はこれにて終了。
午後から大学へ。昼休みの時間、研究室で持参した弁当(崎陽軒の焼売弁当)を食べながら、先日のガイダンスを休んだゼミ新3年生がやってくるのを待つ。本日の予約はKさん、Tさん、もう一人のTさん、Sさん、M君の5名。テキストとゼミ論集を渡し、ゼミのスケジュールについて話し、各自の演習の履修状況などを聞く。ゼミは4月6日スタートである。あと2週間じゃないか。春休みは名のみの時の速さや。
1時から本部でオンデマンドコンテンツ委員会。
予定よりも早めに終ったので、次の会議までの間、本部入口にある「カフェ125」で過ごす。4月始まりの手帳を使っているので、2011年度版から2012年度版への情報の移転を行う。新しい手帳を使い始めるのは、4月1日からではなく、3月26日(月)からである。3月25日(日)に卒業式があり、それが年度の境目という感覚が私にはある。いまの手帳を使うのも明日と明後日の2日間を残すのみとなった。
2時50分から教務担当教務主任会。
引き続き5時からFD推進委員会。
6時に研究室に卒業生のKさんが来ることになっているのだが、会議が終ったのは6時寸前で、ちょっとお待たせしてしまった。Kさんは2005年の卒業生(一文の社会学)で、会うのは卒業のとき以来だから7年ぶりである。彼女は3年生のときに私の演習(社会調査実習)を履修したのだが、そのときの報告書『そして彼らは30代の半ばになった バブル崩壊の前後に大学を卒業した若者たちのライフストーリー』は私が担当した調査実習の報告書の中では力作であった。1991-93年の時期に大学を卒業した若者たち約100名を、北は北海道から南は沖縄まで、学生が足を運んで、インタビュー調査を行ったのである。そのときの同じ演習の学生だったHさんが今度結婚することになり、二次会の幹事役であるKさんが、Hさんへのメッセージを私に依頼してきたのである。
手元にあった報告書の目次をめくって、そこに名前の記された当時の学生たち25名の近況を尋ねると、驚いたことに、Kさんはほとんどの学生の近況を知っているのである。それだけ学生間のネットワークがしっかりしている(持続している)ということである。もともとやる気のある学生が集まったということもあるが、インタビュー調査に行くときは二人一組で行ってもらったので、旅の途中であれこれ話をして親しくなったということもあろう。とにかくなかなかいいクラスであった。
私 「誰かに似てるって言われない?」
Kさん 「はい、松下奈緒とか、ニコ・ロビンに似ていると言われます」
私 「な、なるほどね・・・・・・」
場所を「五郎八」に移して、話を続ける。たくさん話をし、そしてたくさん食べた。薩摩揚、鴨のつくね、揚げだし豆腐、田楽、牡蠣フライ、鶏の唐揚げ、出し巻き卵・・・下の写真は注文した料理のすべてではない。写真の出来の関係で省いたが、ほかにもまだ1つ2つあるのだ。2人でですよ。学生時代のKさんについて私が覚えていることの1つは、「よく食べる人」ということだが、その記憶に間違いはなかった。本人が言うには、満腹という感覚がないらしいのである。満腹を感じて食べるのをやめるというのではなく、頭で、「このへんにしておいた方がいいな」と思ってやめるのだそうである。実家は新潟の造り酒屋で、お酒も強い。
今日の数時間で話した量は、もしかしたら、学生時代のKさんと話した総量より大きいかもしれない、というくらいよく話をした。Kさんはけっして寡黙な学生ではなかったが、それほどおしゃべり、話好きというのでもなかった。だから、今日たくさん話ができたのは、7年ぶりなのにすぐに昔のように話ができたというのではなく、むしろ昔よりも話ができるようになっていたということである。これには私も驚いた。なぜだろうと考えるに、(1)7年ぶりの再会という時間的な「溜め」の効果が働いた(積もる話がある)、(2)教師―学生という関係から生じる緊張感が薄らいだ、(3)彼女もいわゆる「アラサー」の年齢になり人間として一皮向けた、(4)私自身も加齢効果で「おばさん化」した、などの理由があるのではなかろうか。「五郎八」における話の中心は、彼女自身が最近直面している人生の岐路についてであったが、ゼミ生たち(とくに女子学生)には聞かせてやりたい内容であった。もしゼミ生がインタビューの対象者になってくださいとお願いしたら引き受けてもらえますかと尋ねたら、「はい、いいですよ」と快諾してくれた。インタビュー調査の予定は7月と10月なのだが、たぶんその頃には、人生の岐路の物語に一つの決断がなされているのではないだろうか。
11時、帰宅。風呂を浴び、Kさんからお土産にいただいた吉祥寺「こざさ」の最中を1つ賞味する。彼女は吉祥寺の街が大好きで、「私の心の拠り所です」と言っていた。