フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月28日(水) 晴れのち曇り、夜更けに雨

2018-03-01 20:04:26 | Weblog

8時、起床。

トースト、カレー、ゆで卵、サラダ(サーモン)、紅茶の朝食。「一昨日のカレー」は「昨日のカレー」に比べるとテンションはやや下がる。ゆで卵を投入して梃子入れをする。今日も牛乳はなし。今日が生協の配達日だが、朝食には間に合わない。

 お昼頃、床屋に行く。前回が年末だったので、2ヶ月たっている。ちょうどいい頃合いだ。次回は3月下旬、卒業式の前あたりに来よう。

散髪をすませてから、昼食をどこかで食べようと、サンロード商店街を歩く。反対側のアーケードの途切れた方から入ったが、このあたりは飲み屋(まだ開いていない)が目立つ。「現代」という硬派の名前のスナックがある。「まじめな時代」に開業したのだろう。

 入口の扉に「カラオケサロン現代」という張り紙がある。軟派な時代を生き抜くためには「転向」も必要なのだろ。

 昼食は「テラス・ドルチェ」で食べることにした。

 店内は盛況で、注文したアラビアータが出てくるまでにずいぶん時間がかかった。

 食後にお願いしたセットのブレンドコーヒーが出てくるまでにさらに時間がかかった。

 平日のランチタイムを外れた時間にたくさんの人がカフェでランチを食べたりコーヒーを飲みに来ているというのは、「テラスドルチェ」が人気のカフェだという理由のほかに、客の中に占める非サラリーマンの割合が大きいことを示すものである。実際、客には高齢の男女が多い。職場の時間から自由な人、中には家庭の時間からも自由な人もいるだろう。もちろんそれだけではなくて、若い、あるいは中年の男女の客もいる。おそらくカフェの近くの職場で働いている人たちで、昼食時間をある程度自由に(早めにあるいは遅めに)とることのできる人たちなのだろう。

 いったん帰宅し、2時半に蒲田駅でAさんと待ち合わせる。Aさんは以前、現代人間論系の助手をしていて、いまは東工大の助教であるが、4月から同志社女子大の講師(任期付)になることが決まっている。今日は送別会というわけではないが、京都に行かれる前にちょっとカフェでもご一緒にということになった。Aさんは「カフェ・スリック」を希望されたのだが、生憎と今日は2月の最終水曜日で「カフェ・スリック」はお休みなので、サンライズ商店街の中にある「カフェドコバ」に案内する。

  「カフェドコバ」もさきほどの「テラスドルチェ」と同じように盛況だったが、幸い一つだけテーブルが空いていた(もしかして超高齢化とさらなる個人化の波とともに「カフェの時代」が再来しようとしているのだろうか)。

私はアイスココア、Aさんはレモンスカッシュを注文。

Aさんに4月からの生活について聞いてみた。授業は週に6コマほどで、そこにはゼミも含まれているそうだ。東工大では同じ助教といっても、大岡山の本部キャンパスではなく、田町の分校で社会人教育の事業の担当だったので、授業の担当はなく、個人の研究室もなかったし、夏休も少なかった。同志社女子大にはそれらがすべてあり、大学教員らしい生活が待っている。任期は5年なので、いずれまた次の就職先を探さねばならなくなるが、ひとまずは落ち着いた生活ができるだろう。

もう少し時間があるようだったので、大井町の「pottery」へ行く。JRの線路を見下ろす駅からの道は桜並木で、何本かある河津桜が見ごろを迎えている。

 河津桜の隣には白梅が植わっていて、こちらも見頃で、ピンクの河津桜と競演している。

 「pottery」は蒲田のカフェほどは混んでおらず、入口の左手の私のお気に入りの半円形のテーブルに座ることができた。

2人ともコーヒーのほかに、私は卵トースト、Aさんはバタートーストを注文したが、マダムが間違えたのかサービスなのか、バタートーストにジャムがセットで付いてきた。

 マダムが「写真をお撮りしましょう」と言ってくださったのでお願いする。「今日お連れしたのは卒業生ではないんです」と私がマダムに説明すると、Aさんは「いえ、卒業生です」と口を挟んだ。たしかにAさんは早稲田の一文の卒業生であるが、私がマダムに言いたかったのは「教え子ではありません」ということだった。「以前大学の助手をされていて、4月から京都の方の大学で先生をされるのです」と私が言ったので、当然のことながら、マダムからは「キャビンアテンダントをされているの?」という定番の質問はなかった。

ここまでAさんと書いてきたが、実は彼女は句会仲間の明子さんである。3月18日の句会には参加されるそうで、それが最後の句会になるかというと、そうではなくて、うまくスケジュールが合えば、2か月に一度の句会には参加したいと考えているそうだ。あれこれの用事で東京ー京都を往復することはあるだろう。同じく句会仲間の蚕豆さんは実家のある旭川に帰ってしまわれたので、句会の参加は無理である。独特のシュールな句が句会で拝見できなくなるのは淋しい限りである。それだけに明子さんの句会残留は嬉しい。

店を出たのは5時。明子さんとは大井町のホームで別れた。彼女は田町の職場に戻り、明日からの金沢出張の準備をされるそうだ。

 夕食は鮪の刺身、豚汁、卯の花、ご飯。

ずいぶんと上等の刺身である。「奮発しちゃったの」と妻が言った。今日は何かの記念日だったっけと考えたが、思い当たらない。実際、何かの記念日でなく、たんに魚売り場で試食を勧められて美味しいので思わず買ってしまったのだそうだ。そ、そうだったのか。私がそういうことをするならわかるが、妻がそういうことをするのは珍しい。

 明日が締め切りの論文の査読、ようやく論文本体(原稿用紙200枚)を読み終わり、評価書の構想を考えていると、明日の午前中の会議のリマインドメールが届いた。いけない、すっかり失念していた。明日の午前中に評価書を書き上げて、それから大学に出よう(卒研の指導と教授会がある)と考えていたのだが、 目算が狂ってしまった。

2時半、就寝。