6時半、起床。旅先では早起きになる。歩き回るので疲れてふだんより早く就寝するからということもあるし、せっかくの旅の時間をベッドで過ごすのはもったいないという心理も働くのだろう。
朝食はホテルの朝食券は使わずに、コンビニで買ったスープパスタで済ます。ホテルの朝食は一階の「ガスト」でビュフェ形式なのだが、朝からガッツリ食べると、昼食が美味しく食べられなくなるので、朝食券は夕食用にとっておく(1200円分の食券として使えるのだ)。
インスタントのドリップコーヒーを淹れて昨日の分のブログを更新する。
11時にホテルをチェックアウトし(荷物は夕方まで預かってもらう)、ロビーに私を迎えに来てくれた坂井(素思)さんと松本散歩に出かける。坂井さんは一昨日の午前中から松本入りして(中央線快速・特急の遅延が起こる前に松本に到着したのだ)、クラフトフェア(とくに椅子関連)の取材をしていたのである。
本町通りに新築のビルあり。信毎メディアガーデン。4月28日にオープンしたした信濃毎日新聞の松本本社だ。「ちょっと寄って行かない?」と坂井さんが言った。
ロビーのテーブルには新聞が「自由にお読みください」という感じで備え付けられている。
テーブルの上に広げて置いていないところが洒落ている。
ホールでは「PIECE OF PEACE」と銘打った催し物が開かれていた。
レゴブロックで世界遺産を作るというイベントだが、レゴブロックで自由に遊べるコーナーもある。
さて、昼食はどこで食べましょう。「ル・コトリ」に電話をしたら聞き覚えのある声の方(オーナーシェフ)が出られたが、「はい、〇〇です」と知らない店の名前を言った。「ル・コトリ」さんではないのですかと尋ねると、店名が変わったのだという。ランチは食べられますかと尋ねると、前日予約で承っています(つまりいまからでは食べられない)とのこと。そうだったのか。
新しい店名は「ラトリエ・スズキ」。
電話だったので店名変更の理由などは聞けなかった。夕食については予約は不要のようだが、今日は18:35のスーパーあずさ号で帰るから無理である。次回の楽しみにしよう。
「しづか」に行きましょうかと坂井さんが言った。私は入ったことはないが、地元では有名な居酒屋らしい。松本城の近く、大手という地区にある。上土(あげつち)通りを歩いて行く。
レトロモダンな建物が目立つ通りである。左側の建物は写真館。
「上土シネマ」という看板が見えるは、すでに閉館になった映画館である。かつては賑やかな通りだったのだろう。
長屋づくりの商店。表具店や毛糸店が入っているが、半分は閉まっている。
突如、近代的な建物が現れる。日本銀行松本支店である。大正3年に全国で十番目の日銀支店として開設された。
「しづか」に着いてみると「準備中」の札が出ていて開店は十二時で、まだ30分ほどある。どうも東京の感覚でお昼は11時半からだと思い込んでいた。
一ツ橋の袂(「まりも」とは対岸)にあるカフェ「小昼日」に入ってみる。ポーランドの陶器を扱うお店の一角に併設されたカフェで、前を通るたびに入ってみたいと思いながら、まだ入ったことのないカフェである。
カフェというよりも、カフェスペースという感じの洒落た空間である。
落ち着いた色使いがたしかにポーランド風である。
このグラスと水差しもポーランド製である。
私はロイヤルミルクティーを注文(坂井さんはコーヒー)。ポーランド製のカップに入って運ばれてきた。添えられているハチミツをたっぷり入れていただく。うん、美味しい。
ショップスペースにはたくさんの陶器が並んでいる。
12時を回った頃に再び「しづか」へ。歴史を感じさせる作りで、居酒屋でもあり料亭でもある。
ランチメニューの中から(どれにするか迷ったが)、山賊焼き定食を注文。
鶏の唐揚げが名前の通りワイルドである。
坂井さんはそぼろ丼定食。
場所柄だろう、店内はお昼を食べるサラリーマンたちでほぼ満席状態。そして1時になる頃にみんないなくなった。
「しづか」という店名の由来は若山牧水の「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」と初代女将の名前(シヅ) 。現在の女将は三代目だが、ものごしの柔らかなスラリとして美人である。
次に来たときはおでん定食か焼き鳥定食を食べてみたい。
中通りに戻って「グレイン・ノート」へ顔を出す。坂井さんは、昨日、長いことここにいたそうである。
私も昨日前を通ったのだが、客で混雑している様子だったので、「明日にしよう」と店には入らず通り過ぎた。
マダムにご挨拶してから二階の展示会場へ。
二階では「子供の椅子」展が開かれている。昨日、坂井さんはここにしばらく滞在して、来る客たちを相手に「どうぞ座ってみてください」と勧めたり、客の質問に答えたりしていたそうだ。たくさんの椅子職人さんたちにインタビューしているから大抵の質問には答えられるのだ。
窓から下の通り(中通り)を見ていると、通りを歩く人の多くがこちらを見上げることに気付いた。手でも振ってみようかしらと思ったが、やめておいた。
今日もわれわれが二階にいる間に、何人かの客がやってきて、われわれに「座ってもいいんですか?」と聞いた。はい、どうぞ、どうぞ。
子ども用の椅子をわざわざ購入するというのはかなり裕福な階層なのではないかと私は思ったが、さにあらずで、出産のお祝いなどで買っていく人が多いそうだ。また、座面の高いハイチェアー(食卓用)や親子で座るダブルチェアなどがよく売れるそうだ。
私も座ってみたが、街の靴磨きになったような気分がした。そういう目線の高さである。
店を出るときに目にとまったカップを一つ購入した。
砂田政美という作家さんの作品である。涼しげなデザインが気に入った。
同じ中通りの「chiiann」に昨日に続いて顔を出す。
奥様は昨日の私のリクエストに応えて今日はボーダーガラの服を着ておられた。「これで大久保さんが来て下さらなかったら悲しいなと思っていたところでした」とのこと。ちょっと遅くなりましたが、ちゃんと参りました。やはりお似合いですね(でも、写真はNG)。
chiiannカステラとダージリンをポットで。
chiiannカステラは年間を通しての看板スイーツだが、添えられているものは季節で変わる。この時期はイチゴだ。
坂井さんはchiiannカステラ(抹茶)とコーヒー。
「chiiann」には1時間ほど滞在した。また来ますね。
それから私の教え子の卒業生も来ているみたです。どうぞよろしくお願いします。
写真NGの奥様が手を振ってわれわれを見送ってくれた。ボーダー柄の袖口がチラリと見えている(笑)。
坂井さんも今日東京に帰るが、私よりは早い特急に乗る。でも、もう一軒カフェを回れそうなので、「ラボラトリオ」に行くことにした。
途中の道にある閉店した瀬戸物屋。以前、一緒に来たことがある。
店外には「おもちください」と廃棄処分の商品が置かれていた。
左から二軒目のビルの二階に「ラボラトリオ」はある。
前に一緒に来たときと同じ窓辺のテーブルが空いていた。
私はリンゴジュース、坂井さんはジンジャエールを注文。
たくさん歩いて乾いた喉を潤し、しばらくおしゃべりをした。椅子が2つある場合と3つある場合の、つまり二者関係と三者関係の違いについてあれこれおしゃべりをした。隣のテーブルで何かの勉強をしていた女性の一人客がいたが、ずいぶんと浮世離れした会話をしているおじさん2人にみえたことだろう。
店を出るまえに併設のショップを見て回る。
坂井さんとはここでお別れ。次回は、きっと暑いだろうけれど、夏カフェで。
私はもう一軒カフェを回る。松本に来たら絶対に顔を出すカフェにまだ行っていない。ブックカフェ「栞日」(しおりび)である。坂井さんは「ここから「栞日」まで歩くの?」と言っていたが、そうですよ、歩くんです。こういうときのために日々足を鍛えているんですから。散歩は私のライフスタイルにとって欠かせぬ構成要素なのである。
縣の森通りを市立美術館の方へずっと歩いていく。「高橋ラジオ商会」の看板がかかっている建物が「栞日」である。以前の店舗の看板をそのままにしておくところが素敵なセンスである。
昨日はかなりの混雑だったようだが、今日はとても空いている。私にとって「栞日」は、少なくとも二階は、「もの思いカフェ」なので、空いている方がよい。
私の一番のお気に入りの窓際の机も空いている。
この机に一日座って、私はたくさんの人たちの「人生のシナリオ」を書き、それをアイウエオで分類された引き出しの中に納める。
お腹が減るとドーナツとジンジェエールで一服。
それが私の仕事だ(「世にも奇妙な物語」風の妄想です)。
岡崎武志編『親子の時間ー庄野順三小説撰集』(夏葉社)を読んで過ごす。
庄野順三(1921-2009)はいわゆる「第三の新人」の一人で、「家庭小説」の名手として知られているが、編者の岡崎が本書を編むにいたった理由をあとがき(庄野順三作品に流れる「家族のリズム」)の中で述べている。
「私は現在(二〇一四年)五十七歳になるが、高校二年生の夏休みに仕事上の事故で父を喪っている。父はまだ四十二歳だった。私事で申しわけないと思うが、そのことに触れないと、この本を作った真意が伝えられない。お許しいただきたい。
これまでにも一度書いたことがあるが、私はその時、友人二人と夏休みを利用して、一週間の旅行に出かけていた。最後の日程を終えた夜、重い足を引きずって帰宅するといつもと様子が違う。家の前にたくさんの人が集まっていた。旅行へ出かける日まで元気だった父の、その夜が通夜だった。旅行先を知らせていなかったので、突然の死を、私に知らせようもなかったのだ。翌日が葬式。悲しむ間もなく、ただ父がその日から永遠にいなくなったのである。
理不尽なほど突然な父の不在は、旅から帰ったばかりの若い私にとって、不安定な精神状態のまま時間がその日から遮断された、という印象だった。事実をちゃんと受け止めることもできず、したがって悲しみも湧いてこなかったのである。そんな折り、愛読していた「第三の新人」と呼ばれるグループの一人として、講談社文庫から出ていた庄野順三の『夕べの雲』を読んだ。衝撃を受けた。
さえぎるもののない丘の上の一軒家に住む仲のいい一家。花が咲き、木が風に鳴り、鳥が歌う環境のなかで、静かな大浦一家の日々の日常がつづられていく。ほぼ、小説家の庄野一家のできごとをそのまま写しているようでありながら、作家の目の選択と鍛錬された文章による描写は、水のように透き通りながら、爽やかに温かく父親を失った私を包み込んだ。・・・(中略)・・・
お昼どき、母親が二人のために作った弁当を食べよう、ということになって、父と子がお湯を沸かす。薬缶をガス台にかけ、火をつける。黙って薬缶を見つめながら、元教師の父親が息子に英語のことわざを教える。
「ア・ウォッチド・ポット・ネバー・ボイルズ。見ている鍋の湯は沸かない、というんだ」
そのことわざにしたがって、二人は薬缶から離れ、弁当を食べることにする。すると途端に、薬缶が鳴って沸騰したことを知らせた。思わず安雄が言う。
「本当だ」
原文は最初に掲載されているので、ぜひじっくり読んでいただきたいが、ちょっとユーモラスで微笑ましい、事件とも言えないような日常のひとコマである。しかし、私はここで泣いた。痙攣するように泣いた。涙がとめどなくあふれ、震えはしばらく止らなかった。通夜でも葬式でも決して泣かなかったのに・・・。
その理由はすぐわかる。父親がいなくなったことを、どこか意識下で拒否して、認めたくなかった十六歳の私がまずいた。しかし、夕べの食卓にも、着席しているはずの父はいない。やはり父はいないのだ。これから先もずっと。
庄野順三『夕べの雲』所収の「山茶花」は、そのことを私にはっきり突きつけた。私にはもう、父と一緒に台所に立って、お湯を沸く薬缶を見ている場面はありえないのだ、と。置き換え可能なほど、何気ない日常のひとコマだからこそ、親子の一方が退場すれば、それは二度と取り戻せない時間であることを「山茶花」は教えてくれた。私はその時の体験で、ようやく父の死を直視できたし、その日から、庄野順三がかけがえのない大切な作家となった。」(269-272頁)
さて、そろそろ東京に帰る時間だ。
本を2冊、さきほどの『親子の時間』と、ちひろ美術館監修『村上春樹とイラストレーター』(ナナロク社)を購入して店を出る。
縣の森通りを駅の方へ。
ホテルに寄って預けてある荷物を受け取る。
一階の「ガスト」で朝食券を使う。夕食にはまだ早いので(お腹が減っていない)、テイクアウトの弁当を注文。こういうものがメニューにあるのはありがたい。
松本駅前。
改札前のコンコース。発車まであと25分。
また来るね、松本。
ホームでスーパーあずさ号を待つ。
座席についてほどなくしてお弁当を広げる。カルビ焼き弁当である。手前はサラダかと思ったら、ローストビーフだった。十分な肉の量だ。税込1400円は駅弁としたら高いが、1000円前後の駅弁よりもこちらの方が実質的ではないだろうか。ご飯がまだ温かいというのもいい。
美味しかったです。ごちそうさま。
食事を終えて、これから約2時間の道のりである(新宿駅到着は21時6分の予定)。
年に数回、同じ場所を尋ね、同じ人と会う。それは旅だろうか。それもまた旅だろうと私は思う。旅と日常は相容れないものではなく、旅の中に日常があり、日常の中に旅がある、そういうものだろうと私は思う。
今回もよい旅ができた。私はいま日常に回帰していくが、その日常はいつもよりもリフレッシュした日常だろうと思う。