フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月29日(金) 晴れ

2018-06-30 15:10:20 | Weblog

9時、起床。

トースト、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

午後から大学へ。

梅雨明け宣言が出た。6月中の梅雨明けは観測史上初めてだ(実際は、24日の日曜日、私がタイヤ公園の方へ散歩に行った日が、きっぱりとした梅雨明けの日であったように実感する、例年であれば、小学校が夏休みに入るタイミング、7月20日前後であることを考えると、異様に早い梅雨明けである。人の世も、気象現象も、前倒し前倒しで来ているようなせわしない感じする。

 蒲田駅の改札前のコンコースの生ビールの広告が「祝梅雨明け」のように見える。

去年は猛暑といわれ、生ビールの売り上げは伸びるだろうと予想されたが、後半に煤ずくなって、売り上げは失速した。今年はどうだろう。早すぎる夏は、終わるのも早いのではなかろうか。サラリーマンのみなさん、夏休みは早くとった方がいいような気がします。

スロープの上の雲はまだ本格的な夏の雲とは言えない。

でも、「梅雨明け十日」といわれる夏の暑さは厳しい。

昼食はおにぎり2個(鮭と昆布)。

4限は卒研指導。S君は9月卒業をめざしているので、今日で指導は終わり。後は最後の見直しをしっかりやって、製本して、提出である。

5限・6限はゼミ。

5限は3年生・4年生合同ゼミで、映像資料を使ったグループ発表。今回取り上げられたのはTVドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016年の冬ドラマで、脚本は橋本裕二、主演は有村架純と高良健吾)。これまでの発表は映画が取り上げられていたが、今回は連ドラである。どの場面を取り上げるかが悩ましいところであるが、発表では初めの方の回の主人公二人の過酷な職場状況を背景としてそこに咲く(アスファルトに咲く花のような)純愛模様が取り上げられていた。

ディスカッションのテーマは「癒しとしての恋愛」というものであったが、私が考えるに、「過酷な職場状況」というのは、労働時間が長いとか、身体的にきついということ以上に、「自分の存在理由」「自分の唯一無二性」が感じられないということが問題なのだと思う。そのことは主人公ではないが、重要な登場人物の一人である高畑充希演じる木穂子(広告会社で事務の仕事をしている)が練(高良)に送った長い長いメールによく表現されている。毎朝、「その日一日をあきらめること」からスタートする彼女にとって、練と過ごす時間だけが自分が生き生きとしていられる時間なのであった。彼女にとって恋愛は「癒し」というよりも「救い」と呼ぶべきものであったろう。あのメール(朗読)はそうした彼女の「懺悔」であり「祈り」のように私には聞こえた。あれこそが本当の「告白」というものであり、あののドラマの白眉ともいうべき場面であったと思う。

休み時間のお菓子はスイーツではなくおせんべい。

私は青のりをチョイス。

6限は、3年生は早上がり(プレミアムフライデー)にして、4年生が7月に行うライフストーリーインタビュー調査の共通質問項目の検討会を行う。時間を45分ほど延長して、共通質問を確定する。

ゼミの後、私は研究室でやることが残っているので、「ごんべえ」に行って夕食をすませる。

久しぶりの「ごんべえ」のカツ丼(ご飯は少なめで)。濃い味付けがあいかわらずである。ご飯がすすむ。卒業生も、いつかこの濃い(味)を思い出してきっと来てしまう、ことだろう。

研究室にもどって雑用を片付ける。

時刻は10時を回っていたが、作成した書類(来週のゼミ合宿の学生引率届)を事務所にダメもとで出しにいったら事務長さんが一人残って仕事をされていた。「ご苦労様です」と挨拶をして、「明日担当の方にお渡しください」と書類を手渡す。

来年度のゼミの曜限はこれまでどおり金曜の5限・6限で申請する。曜日は金曜日で不動だが、時限については3限・4限に繰り上げることもチラッと考えた。しかし、ゼミ生たち(3年生)は5限・6限で不満はないようであるし(もっともそういう学生が私のゼミに来ているのであるが)、6限を別に教室を確保して学年で分かれてゼミをやったり、今日のように時間を延長して作業を行ったりできる教室の自由度が3限・4限にはないので、やはりこのままで行こうと決め、主任の先生にその旨をメールで伝える。ポイントは、ゼミをたんなる授業科目の1つとして考えるか、特別な授業科目と考えるかということにあるように思う。

11時、帰宅。

今日の『半分、青い』(録画)を観る。鈴愛が茫然自失のまま結婚報告の葉書を手に律の新居のある場所まで行く。怖い、怖い。

2時、就寝。