フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月17日(木) 雨のち曇り

2007-05-18 02:50:02 | Weblog
  朝、雨の中の出勤。人身事故の影響で京浜東北線は混んでいた。車内で目を通そうと思って出がけに印字した資料(2限の社会学演習ⅠBのBBSへの学生たちの書き込み)が読めない。弱ったなと思っていたら、品川で前の席が空いて座ることができた。品川-東京の10分間と、東西線に乗り換えてからの大手町-早稲田の10分間で、資料に目は通せた。社会学演習ⅠBは今日からグループ発表がスタート。ファッション(あるいは他者の視線)をテーマにした報告だったが、冒頭、インターネットからユニクロのCM(動画)をもってきて教室のプラズマディスプレーに映し、その分析から始めるという演出はなかなかクールだった。基本的には分担型の報告だったが、小分けされたテーマがバラバラでなく、一応、まとまりをもってリンクされていたので(グループ内でディスカッションがなされている証拠である)、合格ラインはクリアー。一方、発表を聞いている方の学生たちだが、漫然と聞いていないで、もっとレジュメにメモをとりながら聞く習慣をつけるように注文を出す。それが後の質疑応答のときの素材になる。そして「何か質問はありませんか?」と質疑応答タイムが始まったら、ホワイトハウスの記者会見の場面みたいに、たくさんの手が一斉に上がるようでないといけない。質問やコメントを述べることは聞き手の「仕事」である。
  昼食は「ほづみ」の塩ラーメンと半チャーハン。カウンター席に座ったら、隣の男子学生から「先生の『現代人の精神構造』の授業をとっているものです」と挨拶をされる。学部を聞くと、文学部の1年生だという。あの授業をとっている文学部の1年生は37名だから、ここで出会うというのはかなり小さな確率である。「先生の授業、とても面白いです」と彼。ほめられちゃった。「それはどうも」と答える。もしイートンペンシルを持ち合わせていたら進呈したいところだ。長野の出身だそうだが、これからも都会の絵の具に染まらないで、その木綿のハンカチのような素直な気持ちを忘れずに頑張っていってほしい。
  3限は研究室で読書。4限は研究室で二文の卒論演習。4月登録のKさんとS君の2人。それと私がアドバイザーになっている3年生のHさんとT君が見学で参加。実は、KさんとS君も一年前こういう形で参加していたのである。2人のテーマはKさんが「インターネットによるコミュニケーション」、S君が「笑いとコミュニケーション」。HさんとT君も質疑応答に積極的に参加してくれてよかったと思う。発表する方も聴き手がいた方がハリがあるというものだ。
  5限は基礎演習21(文化構想学部1年生)の相談日。基礎演習は隔週授業で、今週はグループ発表の相談を受けることになっているのだが、来週発表する班(2班ある)の1つと、3週間先に発表する班(2班ある)の1つが、相談に来た。グループ発表なんて何をどうやったらいいのか五里霧中であろうが、大切なのは内容よりも(もちろん内容は大切だがそれ以上に)、複数の人間が協調してひとつのプロジェクトを仕上げていくというプロセスなのである。発表当日、「私は・・・」ではなく「私たちは・・・」という語りができるかどうかである。

           
                 水たまりの中の空と木立

5月16日(水) 晴れ

2007-05-17 01:18:36 | Weblog
  昼から大学へ。ひさしぶりにコンビニでおにぎり3個(鮭、鱈子、こんぶ)を昼食用に購入。今日は昼休みに社会学演習ⅠBのグループが研究室に相談に来ることになっているので、その前に昼食をとっておく必要があるのだ。大学の周辺にはいくつものコンビニがあるが、私が昼食用のおにぎりを購入するのはいつもファミリーマートだ。これは地下鉄の駅から戸山キャンパスまでのルートの関係でそうなるのであって、他のコンビニのおにぎりと比較検討した結果、ファミリーマートのおにぎりが一番美味しいからというわけではない。とはいえ、ファミリーマートのおにぎりはご飯の握り加減や具の塩加減がよくてなかなかいける。一般にコンビニの食品の中でおにぎりは最も進歩が著しいものの一つではないかと思う。昔は冷たくて硬くて、わざわざ買って食べる気にはなれなかった。よくここまで改良したものだ。コンビニの歴史はおにぎりの歴史である。
  3限は質的調査法特論。今日のテキストは、見田宗介の論文「現代における不幸の諸類型」(1963年)。『現代社会学講座』全6冊(有斐閣)の第6巻『疎外の社会学』に収められた論文で、新聞の身の上相談というデータ(約300ケース)を分析して当時の日本社会の疎外状況の全体制的構造に迫った記念碑的労作である。
  4限は一文の卒論演習。「スポーツ」をテーマにしたS君の報告と、「健康」をテーマにしたTさんの報告。どちらもその社会的構成に焦点を当てている点で社会学的研究であるといえる。社会学はどんものでも研究対象にすることができるが、それが社会学的研究になるためには、その対象に社会学的にアプローチしなくてはならない。では、社会学的にアプローチするとはどういうことか。しかし、この話を始めると長くなるから、いずれ学文社から出版される予定の早稲田社会学会ブックレットの一冊、大久保孝治『社会学への誘い』(仮題)を読んでいただきたい(宣伝か!)。
  5限の時間を使って、今年度私がアドバイザーを引き受けることになったHさんとNさん(ともに二文3年生)と面談。Hさんは1年生のときに私の基礎演習の学生で、Nさんは去年私の「社会と文化」という講義を受講している。アドバイザーは必ずしも卒論指導教員と連動するわけではないが、私はそれが望ましい流れだと考えている。だからアドバイザーを引き受けた学生には卒論演習への参加(見学)を勧めている。
  卒業生のHさんから昨日のフィールドノートを読んだ感想の書かれたメールが届いた。「私の場合、家から会社までの交通費が往復2000円程度かかるので、定期を忘れたらたとえ会社に遅れることになっても取りに戻ります(笑)」とあった。そうか、2000円は確かに痛い。本を一冊とちゃんとした昼飯が食べられる金額だ。慎ましく暮らせば2日間の生活費に相当するだろうか。私の場合は定期区間は蒲田-東京間なので、往復420円である。その420円を惜しんで駅から自宅まで戻ると往復で20分近い遅れとなる。昨日は会議がちょうど始まる時刻に間に合うように家を出ていたため、20分の遅れはそのまま20分の遅刻ということになり、遅刻して顰蹙を買うことと420円の損失を秤りにかけて、前者のダメージの方が大きいと私は判断したわけである。もし2000円の損失だったらどうだろう。電話して「すみません、20分遅れます」と言うのではなかろうか。思うに、損失が1000円を越えるかどうかが行動の分かれ目のような気がする。はい、私はその程度の人間です。

5月15日(火) 曇り、一時雷雨、のち晴れ

2007-05-16 00:48:08 | Weblog
  通勤定期を忘れて家を出る。定期券のある区間なのに切符を買って電車に乗ることほど馬鹿馬鹿しく、いまいましいことがほかにあるだろうか。冷静に考えればたぶんあると思うが、冷静に考えることができない。くそーっ!
  お昼に社会学専修の教室会議。いくつかの比較的簡単な議題がすんで、難しい議題の検討に入ったあたりで、雷雨となる。みんなが難しい表情になって、言葉少なになっているときに、ピカピカ、ゴロゴロ、そして窓ガラスを叩く激しい雨音。TVドラマの一場面のような抜群の効果音であった。「大久保君、どう?」と司会の那須先生が私に意見を求める。何か独創的な意見を求められているわけではない。ここまでの議論を踏まえて、全員の同意が得られるような最大公約数的意見を述べる(というかまとめる)ことが求められているのだ。「×××××××ということではないでしょうか」と私。「ということでよろしいでしょうか」と那須先生。一同うなづく。雨が止み、雲の切れ間から一条の光りが指した(というのは作り話)。
  2時から教授会。プレハブ校舎の第一会議室での2回目の教授会で、まだ座席配置が固定していない。現代人間論系の教員は、議長から見て、中央よりやや右側の場所に固まって座ることにした。すなわち中道右派(意味ないけど)。途中で、所用のため中座。しばらくしてもどってくると、私の向かいの席の安藤先生が、私を驚かそうとしたのだろう、「大久保先生が中座している間に選挙があって、先生が基本構想委員に選ばれましたよ」と言った。しかし、これはかなり間の抜けた冗談で、私はすでに基本構想委員なのである。そのことを告げると、安藤先生は「あちゃー」と言って頭を抱えた。ついでに指摘しておくと、安藤先生ご自身も基本構想委員なのである(忘れちゃったのかね)。本日の教授会は6時からの教員懇親会に合わせて6時前に終わる。いつもこうだといいのに。建物の外に出ると、雨はすっかり上がり、青空が広がっていた。

           

  リーガロイヤルホテルで2年に一度の(毎年でないのは予算の関係)文学学術院教員懇親会。毎年、文カフェで行っている入試業務慰労会に比べて、ずいぶんと料理が豪華である。立食パーティーだが、前菜から始まって、ステーキ、お寿司、天ぷらそば、果物、アイスクリーム、紅茶まで、ひとわたり食する。う~む、またまたカロリーの過剰摂取をしてしまった。そろそろ歯止めをかけなければ。
  今日は給料日。帰宅して妻に小遣いの値上げを申請してみた。驚いたことに、だめもとで言ったのに、「わかったわ」と一万円上乗せしてくれた。何でも言ってみるものである。

5月14日(月) 晴れ

2007-05-15 02:14:10 | Weblog
  夜中、ふと目が覚めると、妻が隣で泣いている気配があった。私と結婚したことを後悔しているのだろうかと胸が痛んだが、どうもそうではなくて(そうかもしれないが)、何か怖い夢を見てうなされているらしい。体を揺すって起こしてやると、「なぜ起こすの?」と妻。「うなされているみたいだったから」というと、「そういえば・・・、黒い革ジャンが空を飛んでいた」と妻。なんだ、それ(ある意味怖いけど)。子供の頃、私がよく見た怖い夢がある。ゴジラに追われる夢である。街中にゴジラが出現する。当然、群集は右往左往の大騒ぎ。私も群集の中で逃げ回る。ところがゴジラは私の逃げる方、逃げる方に進んでくるのである。おかしいなと思っていると、ついに最後は私一人になる。ゴジラと私の目が合う。実はゴジラは最初から私をターゲットにしていたのである。ここで目が覚める。汗をびっしょりかいている。あ~、夢だったのか。ね、怖い夢でしょ。一種の自意識過剰が生む悪夢である。最後にこの夢を見たのはいつだろう。
  夕方、散歩に出る。さわやかな高原のような気候。やがて梅雨が始まる前のほんの少しの間だけ出現する高原のような気候。シャノアールで持参した吉見俊哉『親米と反米-戦後日本の政治的無意識』(岩波新書)を読む。野心的な本だ。シャノアールを出ると、思いもかけず、空はまだ明るかった。ずいぶん日が長くなったものだ。

       
                   午後6時40分の西空

5月13日(日) 曇りのち晴れ

2007-05-14 02:07:44 | Weblog
  菩提寺のおせがき大法要に母と行く。お寺には一週間前に父の一周忌法要で行ったばかりだが、それはそれ、これはこれである。法要にはレクリエーション的趣向(「清興」という)が用意されていて、今回は、落語と俗曲だった。落語の方はこれまでもあったが、俗曲(端唄や都々逸)は初めてである。俗曲は寄席のテレビ中継が盛んだった頃に、柳家三亀松とか都家かつ江といったベテランがやっているのを聞いたことがあるが、今日は柳家小寿々(こすず)という30代の女性で(でも着物姿の女性の年齢はよくわからない)、三味線を弾きながら唄う姿は小粋で艶っぽかった。拝啓、父上様、お寺の本堂なのに、神楽坂あたりの料亭で芸者遊びをしているような気分になりました。

         

  母の日ということで、夜は外食にしようということになり、妻と息子と3人で「鈴文」に行く(娘は舞台。母は前回の糖尿病の検査の値がよくなかったので二晩続けての外食は自粛)。「鈴文」は一昨日の昼に来たばかりだが、妻と息子は初めててである(私も夜は初めてである)。私と息子は1300円のとんかつ(ロース)定食、妻は1600円のヒレかつ定食を注文する。出てくるまでの間、私は息子に醤油、塩、ソースの三種で食べる食べ方について説明し、息子も頷いて聞いていたが、運ばれて来たとんかつのボリュームに感動して、頭の中がリセットされてしまったらしく、いきなりソースをかつ全体にドクドクとかけてしまった(!)。この、お子ちゃまが! 妻は醤油とソースで食べてみて、醤油の方が合うと言った。私はまだここのヒレかつは食べたことがないので、妻に一切れわけてもらった。肉汁たっぷりの実に柔らかな肉である。うん、確かに醤油が合う。しかし、一方で、私には「鈴文」のとんかつに(卓上の中濃ノースではなく)濃厚なとんかつソースをかけて食べてみたいという願望がある。ブルドッグのとんかつソースのミニサイズのボトルをポケットに忍ばせておいて、お店の人の目を盗んでとんかつにかけて食べるのだ。ミッション・インポッシブルだろうか。
  「鈴文」を出て、妻と息子は家に向かったが、私はくまざわ書店に寄って以下の本と、新星堂で俗曲のCDを購入。広い売り場に俗曲のCDはたった1枚しかなかった。

  アンドリュー・E・バーシェイ『近代日本の社会科学』(NTT出版)
  デビット・ハーヴェイ『新自由主義』(作品社)
  ステヒーブン・レヴィ『iPodは何を変えたのか?』(ソフトバンク)
  大嶽秀雄『新左翼の遺産』(東京大学出版会)
  島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房)
  ドフトエフスキー『地下室の手記』(光文社古典新訳文庫)
  M.ビュートル『時間割』(河出文庫)
  モーム『サミング・アップ』(岩波文庫)

  深夜、卒業生たちのブログを読んでいると、新入社員にも5月病に相当するものがあることがわかる。仕事というのは基本的にオン・ザ・ジョブ・トレーニングで身につけていくものだ。「こんなこともできないのか。大学で何を勉強したきたんだ」と言われたら、あいにくと文学部は職業訓練校ではありませんのでと(心の中で)返事をしておきなさい。頑張れ、バンビーノ!