旅行中に右の頬骨のあたりの皮膚が軽い炎症を起こし(紫外線のせいか?)、汗が沁みて痛んだので、近所の皮膚科に行って軟膏を処方してもらう。その足で「鈴文」へ行き、昼食。ランチメニューのヒレかつ定食。値段はとんかつ(ロース)定食よりも100円高い1050円だが、ボリュームはむしろ小さめで、お昼に食べるとんかつとしてはちょうどいい。前半の3切れは醤油で、続く2切れは塩で、そして最後の1切れは再び醤油で食べる。キャベツはソースをかけて食べた。有隣堂で以下の本を購入し、同じフロアーにあるカフェ・ド・クリエで読む。
奥田英朗『家日和』(集英社)
伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』(新潮社)
『塩の七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』(新潮社)
奥田英朗『家日和』は短編小説集で、帯の宣伝文句を借用すれば「ビター&スウィートな<在宅>小説」である。冒頭の「サニーデイ」は42歳の主婦が主人公。不用になったピクニックテーブルをインターネットのオークションに出したことがきっかけで、すっかりネットオークションにはまってしまう。お金云々ではなく、自分の出品した物が売れて、買い手から「非常によい出品者」と評価されることがうれしくてたまらないのだ。あれこれと家にある不用な物を出品していって、だんだん出品するものがなくなってしまった彼女は、夫が大切にしている(しかし物置にしまわれたままになっている)古いレコードプレーを夫に内緒で出品してしまう。それは往年の名機であるらしく、最低売却価格5千円から始まったオークションは入札の締め切り当日には7万円まで行った。その日は彼女の誕生日で、夕食のとき、二人の子供から花束のプレゼントがあった。予想していなかったことなので、彼女はそれをとてもうれしく感じた。しかもそのプレゼントは、今夜は出張で不在の夫が自宅を出るときに、子供にお金を渡して「これでお母さんに花でも買ってやってくれ」と指示したものであることがわかった。彼女は妹に電話をして、事情を話し、オークションに出しているレコードプレーヤーを10万円で競り落としてほしいと依頼する。ちなみにタイトルの「サニーデイ」とは彼女のIDである。・・・確かにスィートな結末だ。でも、ちょっと物足りない。「ジャンクスポーツ」の浜ちゃんなら、「いい話や。でも、放送しません」とお約束の一言をいうところだ。私だったら星新一風のビターな味付けをする。オークション中毒になって出品する物がなくなった彼女は、とうとうマイホームをオークションにかけてしまうのだ。しかし、それは最後の最後に夫に発覚し、頓挫する。しかし、優しい夫は彼女を叱らない。やれやれ、困ったものだ、という表情をしただけだ。彼女はこれで目が覚め、これからはよき妻として夫に尽くそうと心に誓う。だが夫はそのとき書斎でパソコンに向かってネットオークションへの出品の準備をしていた。「中古の家政婦型アンドロイド。容姿端麗。ICチップを新品と交換した上でお届けします。」
伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』は4篇の作品からなる。冒頭の「動物園のエンジン」はデビューした頃の作品だそうだが、スリリングでユーモアがあり、どこか虚無感が漂う、不思議な味わいのある短編だ。物語の筋を紹介することは難しい。筋はあるのだが、「サニーデイ」のようなオチを楽しむ小説ではないからだ。途中で何箇所も変異点がある複雑な変化球なのだ。伊坂幸太郎は売れっ子の作家だが、私にはこの作品が初めて読む彼の作品である。とても面白かった。直木賞も時間の問題だろう。
『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』は塩野が15年の歳月を費やした『ローマ人の物語』全15巻の完成を記念して出版された「ビジュアル総集編」。塩野と粕谷一希との対談や、編集部による塩野へのロングインタビューが載っている。これが面白かった。
粕谷 ・・・・学者には決して出来ない仕事です。学者ほど、怠け者で仕事をしない種族もいないのではないかと思います。ただ、学者たちと長く付き合っていると、理由もわかる。一つは、学生を教えるという仕事が入っていること。もう一つは、教授会自治とか学長選挙なという学内政治がはびこっていること。それと付き合わないと大学にいられないし、付き合うと時間がなくなるという滑稽な喜劇というか悲劇が繰り返されている。
塩野 私は何よりもまず学者ではありません。学者とは、他人の書いたものを研究する人です。私は、他人の書いたものを研究するよりも、自分自身で歴史を書きたかった。(85頁)
-ローマに住んでいたからこそ十五巻書けた、とよく言っておられました。
塩野 まとまったものを書く環境を作るということ自体がとても難しいのです。もし毎月、別のテーマについて何本も書かなくてはいけなかったとすると、ローマ人に神経が集中出来なかったでしょう。集中と言っても、勉強や執筆に集中する時間だけを意味しない。何もしないでも、そのことについて考えている時間を持てるかが重要なんです。私は、午前中の五時間はローマ史に捧げたけれど、それ以外の時間も、他に考えなければいけないことがある状態ではなかったのです。だから何か雑用をしながらも、ちょっとアイディアが浮かぶと、それも書いた付箋を貼り付けておく。その付箋の九十パーセントは役に立たないのですが、少なくともいつでもローマ関係のことが頭に浮かんでくるという余裕が大事でした。
-『ローマ人の物語』にフルに使えたわけですね。
塩野 そう。他の仕事は何にもないから。午後はそれこそアルマーニへ行って、必要でもない服を買ったりなんかする日がある。そんなことをやっていても、尚かつ何かひらめいてくる。くり返して言いますが、勉強のための集中なら誰でも出来るんです。他に職を持っていても、五時間くらいの時間を作るのは誰でも出来ます。反対に、精神的に一つの仕事だけに集中するという環境を作るのは、なかなかむずかしい。別の仕事があったら、絶対にダメなんです。(207-208頁)
家に戻ると、安藤先生からメールが届いていた。開くと、麻疹の流行に対する緊急措置が出て今日の4限から一週間全学休講になったことを知らせる内容だった。ほどなくして事務所から正式のメールが届いた。一週間休講か・・・。大部分の学生にとってはGW第二弾である。ただし教職員は出校禁止ではない。実際、私は明日は二つ会議あって、朝から出校しなくてはならない。私のような年配の者は大丈夫だろうが、若手の教員や助手や職員は感染している可能性はないのだろうか。・・・と、人の心配をしているようにみせて、会議も中止にならないかなと思っている私です。
奥田英朗『家日和』(集英社)
伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』(新潮社)
『塩の七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』(新潮社)
奥田英朗『家日和』は短編小説集で、帯の宣伝文句を借用すれば「ビター&スウィートな<在宅>小説」である。冒頭の「サニーデイ」は42歳の主婦が主人公。不用になったピクニックテーブルをインターネットのオークションに出したことがきっかけで、すっかりネットオークションにはまってしまう。お金云々ではなく、自分の出品した物が売れて、買い手から「非常によい出品者」と評価されることがうれしくてたまらないのだ。あれこれと家にある不用な物を出品していって、だんだん出品するものがなくなってしまった彼女は、夫が大切にしている(しかし物置にしまわれたままになっている)古いレコードプレーを夫に内緒で出品してしまう。それは往年の名機であるらしく、最低売却価格5千円から始まったオークションは入札の締め切り当日には7万円まで行った。その日は彼女の誕生日で、夕食のとき、二人の子供から花束のプレゼントがあった。予想していなかったことなので、彼女はそれをとてもうれしく感じた。しかもそのプレゼントは、今夜は出張で不在の夫が自宅を出るときに、子供にお金を渡して「これでお母さんに花でも買ってやってくれ」と指示したものであることがわかった。彼女は妹に電話をして、事情を話し、オークションに出しているレコードプレーヤーを10万円で競り落としてほしいと依頼する。ちなみにタイトルの「サニーデイ」とは彼女のIDである。・・・確かにスィートな結末だ。でも、ちょっと物足りない。「ジャンクスポーツ」の浜ちゃんなら、「いい話や。でも、放送しません」とお約束の一言をいうところだ。私だったら星新一風のビターな味付けをする。オークション中毒になって出品する物がなくなった彼女は、とうとうマイホームをオークションにかけてしまうのだ。しかし、それは最後の最後に夫に発覚し、頓挫する。しかし、優しい夫は彼女を叱らない。やれやれ、困ったものだ、という表情をしただけだ。彼女はこれで目が覚め、これからはよき妻として夫に尽くそうと心に誓う。だが夫はそのとき書斎でパソコンに向かってネットオークションへの出品の準備をしていた。「中古の家政婦型アンドロイド。容姿端麗。ICチップを新品と交換した上でお届けします。」
伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』は4篇の作品からなる。冒頭の「動物園のエンジン」はデビューした頃の作品だそうだが、スリリングでユーモアがあり、どこか虚無感が漂う、不思議な味わいのある短編だ。物語の筋を紹介することは難しい。筋はあるのだが、「サニーデイ」のようなオチを楽しむ小説ではないからだ。途中で何箇所も変異点がある複雑な変化球なのだ。伊坂幸太郎は売れっ子の作家だが、私にはこの作品が初めて読む彼の作品である。とても面白かった。直木賞も時間の問題だろう。
『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』は塩野が15年の歳月を費やした『ローマ人の物語』全15巻の完成を記念して出版された「ビジュアル総集編」。塩野と粕谷一希との対談や、編集部による塩野へのロングインタビューが載っている。これが面白かった。
粕谷 ・・・・学者には決して出来ない仕事です。学者ほど、怠け者で仕事をしない種族もいないのではないかと思います。ただ、学者たちと長く付き合っていると、理由もわかる。一つは、学生を教えるという仕事が入っていること。もう一つは、教授会自治とか学長選挙なという学内政治がはびこっていること。それと付き合わないと大学にいられないし、付き合うと時間がなくなるという滑稽な喜劇というか悲劇が繰り返されている。
塩野 私は何よりもまず学者ではありません。学者とは、他人の書いたものを研究する人です。私は、他人の書いたものを研究するよりも、自分自身で歴史を書きたかった。(85頁)
-ローマに住んでいたからこそ十五巻書けた、とよく言っておられました。
塩野 まとまったものを書く環境を作るということ自体がとても難しいのです。もし毎月、別のテーマについて何本も書かなくてはいけなかったとすると、ローマ人に神経が集中出来なかったでしょう。集中と言っても、勉強や執筆に集中する時間だけを意味しない。何もしないでも、そのことについて考えている時間を持てるかが重要なんです。私は、午前中の五時間はローマ史に捧げたけれど、それ以外の時間も、他に考えなければいけないことがある状態ではなかったのです。だから何か雑用をしながらも、ちょっとアイディアが浮かぶと、それも書いた付箋を貼り付けておく。その付箋の九十パーセントは役に立たないのですが、少なくともいつでもローマ関係のことが頭に浮かんでくるという余裕が大事でした。
-『ローマ人の物語』にフルに使えたわけですね。
塩野 そう。他の仕事は何にもないから。午後はそれこそアルマーニへ行って、必要でもない服を買ったりなんかする日がある。そんなことをやっていても、尚かつ何かひらめいてくる。くり返して言いますが、勉強のための集中なら誰でも出来るんです。他に職を持っていても、五時間くらいの時間を作るのは誰でも出来ます。反対に、精神的に一つの仕事だけに集中するという環境を作るのは、なかなかむずかしい。別の仕事があったら、絶対にダメなんです。(207-208頁)
家に戻ると、安藤先生からメールが届いていた。開くと、麻疹の流行に対する緊急措置が出て今日の4限から一週間全学休講になったことを知らせる内容だった。ほどなくして事務所から正式のメールが届いた。一週間休講か・・・。大部分の学生にとってはGW第二弾である。ただし教職員は出校禁止ではない。実際、私は明日は二つ会議あって、朝から出校しなくてはならない。私のような年配の者は大丈夫だろうが、若手の教員や助手や職員は感染している可能性はないのだろうか。・・・と、人の心配をしているようにみせて、会議も中止にならないかなと思っている私です。