フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月21日(月) 晴れ

2007-05-22 02:42:54 | Weblog
  旅行中に右の頬骨のあたりの皮膚が軽い炎症を起こし(紫外線のせいか?)、汗が沁みて痛んだので、近所の皮膚科に行って軟膏を処方してもらう。その足で「鈴文」へ行き、昼食。ランチメニューのヒレかつ定食。値段はとんかつ(ロース)定食よりも100円高い1050円だが、ボリュームはむしろ小さめで、お昼に食べるとんかつとしてはちょうどいい。前半の3切れは醤油で、続く2切れは塩で、そして最後の1切れは再び醤油で食べる。キャベツはソースをかけて食べた。有隣堂で以下の本を購入し、同じフロアーにあるカフェ・ド・クリエで読む。

  奥田英朗『家日和』(集英社)
  伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』(新潮社)
  『塩の七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』(新潮社)

  奥田英朗『家日和』は短編小説集で、帯の宣伝文句を借用すれば「ビター&スウィートな<在宅>小説」である。冒頭の「サニーデイ」は42歳の主婦が主人公。不用になったピクニックテーブルをインターネットのオークションに出したことがきっかけで、すっかりネットオークションにはまってしまう。お金云々ではなく、自分の出品した物が売れて、買い手から「非常によい出品者」と評価されることがうれしくてたまらないのだ。あれこれと家にある不用な物を出品していって、だんだん出品するものがなくなってしまった彼女は、夫が大切にしている(しかし物置にしまわれたままになっている)古いレコードプレーを夫に内緒で出品してしまう。それは往年の名機であるらしく、最低売却価格5千円から始まったオークションは入札の締め切り当日には7万円まで行った。その日は彼女の誕生日で、夕食のとき、二人の子供から花束のプレゼントがあった。予想していなかったことなので、彼女はそれをとてもうれしく感じた。しかもそのプレゼントは、今夜は出張で不在の夫が自宅を出るときに、子供にお金を渡して「これでお母さんに花でも買ってやってくれ」と指示したものであることがわかった。彼女は妹に電話をして、事情を話し、オークションに出しているレコードプレーヤーを10万円で競り落としてほしいと依頼する。ちなみにタイトルの「サニーデイ」とは彼女のIDである。・・・確かにスィートな結末だ。でも、ちょっと物足りない。「ジャンクスポーツ」の浜ちゃんなら、「いい話や。でも、放送しません」とお約束の一言をいうところだ。私だったら星新一風のビターな味付けをする。オークション中毒になって出品する物がなくなった彼女は、とうとうマイホームをオークションにかけてしまうのだ。しかし、それは最後の最後に夫に発覚し、頓挫する。しかし、優しい夫は彼女を叱らない。やれやれ、困ったものだ、という表情をしただけだ。彼女はこれで目が覚め、これからはよき妻として夫に尽くそうと心に誓う。だが夫はそのとき書斎でパソコンに向かってネットオークションへの出品の準備をしていた。「中古の家政婦型アンドロイド。容姿端麗。ICチップを新品と交換した上でお届けします。」
  伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』は4篇の作品からなる。冒頭の「動物園のエンジン」はデビューした頃の作品だそうだが、スリリングでユーモアがあり、どこか虚無感が漂う、不思議な味わいのある短編だ。物語の筋を紹介することは難しい。筋はあるのだが、「サニーデイ」のようなオチを楽しむ小説ではないからだ。途中で何箇所も変異点がある複雑な変化球なのだ。伊坂幸太郎は売れっ子の作家だが、私にはこの作品が初めて読む彼の作品である。とても面白かった。直木賞も時間の問題だろう。
  『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』は塩野が15年の歳月を費やした『ローマ人の物語』全15巻の完成を記念して出版された「ビジュアル総集編」。塩野と粕谷一希との対談や、編集部による塩野へのロングインタビューが載っている。これが面白かった。

  粕谷 ・・・・学者には決して出来ない仕事です。学者ほど、怠け者で仕事をしない種族もいないのではないかと思います。ただ、学者たちと長く付き合っていると、理由もわかる。一つは、学生を教えるという仕事が入っていること。もう一つは、教授会自治とか学長選挙なという学内政治がはびこっていること。それと付き合わないと大学にいられないし、付き合うと時間がなくなるという滑稽な喜劇というか悲劇が繰り返されている。
  塩野 私は何よりもまず学者ではありません。学者とは、他人の書いたものを研究する人です。私は、他人の書いたものを研究するよりも、自分自身で歴史を書きたかった。(85頁)

  -ローマに住んでいたからこそ十五巻書けた、とよく言っておられました。
  塩野 まとまったものを書く環境を作るということ自体がとても難しいのです。もし毎月、別のテーマについて何本も書かなくてはいけなかったとすると、ローマ人に神経が集中出来なかったでしょう。集中と言っても、勉強や執筆に集中する時間だけを意味しない。何もしないでも、そのことについて考えている時間を持てるかが重要なんです。私は、午前中の五時間はローマ史に捧げたけれど、それ以外の時間も、他に考えなければいけないことがある状態ではなかったのです。だから何か雑用をしながらも、ちょっとアイディアが浮かぶと、それも書いた付箋を貼り付けておく。その付箋の九十パーセントは役に立たないのですが、少なくともいつでもローマ関係のことが頭に浮かんでくるという余裕が大事でした。
  -『ローマ人の物語』にフルに使えたわけですね。
  塩野 そう。他の仕事は何にもないから。午後はそれこそアルマーニへ行って、必要でもない服を買ったりなんかする日がある。そんなことをやっていても、尚かつ何かひらめいてくる。くり返して言いますが、勉強のための集中なら誰でも出来るんです。他に職を持っていても、五時間くらいの時間を作るのは誰でも出来ます。反対に、精神的に一つの仕事だけに集中するという環境を作るのは、なかなかむずかしい。別の仕事があったら、絶対にダメなんです。(207-208頁)

  家に戻ると、安藤先生からメールが届いていた。開くと、麻疹の流行に対する緊急措置が出て今日の4限から一週間全学休講になったことを知らせる内容だった。ほどなくして事務所から正式のメールが届いた。一週間休講か・・・。大部分の学生にとってはGW第二弾である。ただし教職員は出校禁止ではない。実際、私は明日は二つ会議あって、朝から出校しなくてはならない。私のような年配の者は大丈夫だろうが、若手の教員や助手や職員は感染している可能性はないのだろうか。・・・と、人の心配をしているようにみせて、会議も中止にならないかなと思っている私です。

号外(早稲田大学における麻疹の流行による緊急措置)

2007-05-21 16:23:35 | Weblog
(大学のホームページからの引用です)

      麻疹(はしか)の流行に関わる措置について(緊急):第1報

 

麻疹(はしか)の流行により、 下記の期間を全学的に出席停止措置(休講ならびにキャンパス内への立入禁止措置)とします。
 

               記

○期間:2007年5月21日(月)4時限~5月29日(火)終日

○禁止行為:

1.授業は休講とし、学生のキャンパス立ち入りを禁止します。図書館、コンピュータ室、ラウンジ等大学施設はすべて閉室します。

2.サークル活動・集会等、活動場所の学内・学外を問わず禁止します。学生同士が接触しないようにしてください。

3.この措置に伴う大学ならびに学部・研究科の対応については、今後ホームページ 、Waseda-net portal、メールを参照してください。

○対応:

疑わしい症状(特に、発熱、咳、結膜炎症状、発疹の出現など)がみられた場合は、以下の対応をお願いいたします。

1.ただちに医師の診察を受けてください。

2.他の教職員や学生との接触を避け(学外においても)、安静に努めてください。

3.診断の結果、麻疹(はしか)と診断された場合は、総合健康教育センターまで届け出てください。

電話:03-5286-9728

電子メール: souken119@list.waseda.jp

(大学HPに掲載されています)


5月20日(日) 晴れ

2007-05-21 06:08:55 | Weblog
  旅先ではどうも熟睡ができない。だいだいベッドというのがあまり好きではない。かといって和風旅館は一人では泊まりにくい(食事も豪勢すぎる)。その上、今回泊まったビジネスホテルは飲食街の中にあって、明け方近くまで人々の声が絶えなかった。というわけで、睡眠時間正味3時間くらいでチェックアウト。宇都宮の隣駅の雀宮でOと待ち合わせ(彼が車で迎えに来てくれた)、彼のアパートへ。鉄筋2階建ての2階で、間取りは2DK。自分の新婚時代の綱島のアパートを思い出す。夫人の心尽くしの手料理でブランチ。その後、Oの運転する車で大谷石の石切場跡の大谷資料館へ行く。百聞は一見に如かずとはこのことか。戦争中は秘密の軍需工場としても使われていたという地下の巨大な空間に思わず息を呑んだ。映画『猿の惑星』の何話目かに登場した人間たちの地下帝国(だったっけ?)を彷彿とさせる。観光名所としては忘れられつつあるのだろうか、日曜だというのに客は少なく、それが闇の空間の神秘性をいっそう深いものにしていた。

           

           
              
  宇都宮周辺には他にも観光名所はあるのだろうが、私はここだけでもう十分なような気がした。TVドラマも映画も一日に2本以上は見ないというのが私の流儀である。印象が混じり合って散漫なものになってしまうのがいやなのである。車で宇都宮の駅まで送ってもらい、午後2時12分発の上野行き(普通列車)に乗って返ってくる。駅前のロータリーは駐車禁止なので、別れの挨拶もそこそこに車を降りてしまったので、列車の中から「ありがとう」とメールを送る。折り返し「こちらこそ」とメールが返ってきた。会うのは久しぶりだったが、いつもの調子で打ち解けた話が出来た。持つべき者は学校時代の友人である。
  上野に着いて、そこから地下鉄で銀座に出て、伊東屋でイートンペンシルと画用紙を購入。有楽町の駅に向かう途中の大角玉屋でいちご豆大福を購入。帰宅すると大阪の古書店杉本梁江堂から注文しておいた赤神良譲『キッスとダンスと自殺の学説』(昭和5年、春陽堂)が届いていた。

5月19日(土) 曇り一時雨

2007-05-20 01:57:34 | Weblog
  いまこのフィールドノートを書いているのは、自宅の書斎ではなく、宇都宮駅近くのビジネスホテルである。一泊二日の小さな旅である。昼に自宅を出て、上野で途中下車して、東京芸術大学の美術館で開催中の「パリへ 洋画家たち百年の夢」を見物してから、宇都宮線(東北本線)の普通列車に乗って、夕方、宇都宮に着いた。最初は混雑していた車内だが、しだいに乗客が降りていって、車窓から見る風景が水田ばかりになるころには、4人掛けの対面式の座席は私一人だけの空間になった。空が俄に暗くなったかと思うと、激しい雨が降ってきたが、宇都宮に着く頃にはその雨も上がり、駅前の広場の上に広がる空は高く済んでいた。宇都宮に来たのは、この4月から単身赴任でこちらに来ている高校時代の友人Oに会うためである。午後6時、ホテルのロビーにO夫妻がやってきた。Oは単身赴任なのだが、毎週末、夫人がやってくるのである。ちなみに夫人もO同様、私の高校時代の同級生である。ホテルの一階は餃子の専門店で、「餃子の街」宇都宮に来た以上、ここで食事をしない手はない。積もる話をしながら、いろいろな焼餃子、水餃子、そして最後にラーメンを食べ、場所を変えて、コーヒーを飲む。あっという間に3時間が過ぎ、じゃあまた明日と言って別れる。Oのアパートに泊まることもできたのだが、寝袋では熟睡できそうもないし(客布団はないのである)、夫婦水入らずのところにお邪魔するのも無粋であるから、駅の側に宿をとることにしたのである。Oのアパートは宇都宮の一つ手前の雀宮にある。明日はホテルを10時にチェックアウトして、Oのアパートを訪問する。その後のことは決めていないが、大谷石の切り出し跡の巨大な地下空間(大谷資料館)にでも行ってみようかと思っている。

5月18日(金) 曇り

2007-05-19 10:53:15 | Weblog
  午後から大学へ。大学院の演習の次回のテキスト(清水幾太郎『青年の世界』の一部)を授業前にコピーしないとならないので、今日も昼食はコンビニのおにぎり3個(鮭、こんぶ、イカの生鱈子和え)。本日の演習のテキストは清水幾太郎『社会と個人-社会学成立史』。私がこの本を初めて読んだのは学部の4年生のときであったろうか。この本から私は自分の卒論「社会と個人に関する発達社会学的考察」のヒントを得た。『社会と個人-社会学成立史』は社会と個人の関係の変容を歴史時間に沿って考察したものだが、歴史時間を個人時間(年齢)に変換したらと私は考えたのである。個人の一生は集団から集団への遍歴であるから、加齢に伴う所属集団の変化によって(個人にとっての)社会と個人の関係も変容していくはずである。我ながらいいアイデアだと思ったが、実際にしたことは、発達心理学の教科書が扱っている諸事実を社会学の視点から読み替えるという作業だったように思う。
  演習を終えて、生協戸山店で奥武則『論壇の戦後史1945-1970』(平凡社新書)を購入し、フェニックスで読む。序章で、1988年8月12日、四谷霊廟での清水幾太郎の葬儀の模様が書かれている。少し遅れてきた福田恆存が会葬者席の最前列に案内されてそこに座ったという事実は、私には(清水と福田の関係を知っている者なら誰にでも)非常に興味深い。著者は当時、毎日新聞の学芸部の記者で、清水の訃報記事を担当した人物である。私は論文「忘れられつつある思想家 清水幾太郎論の系譜」の冒頭でその訃報記事を引用させてもらったことがあるので、清水の文献を読んだ授業の後に本書を手にしたことは因縁めいたものを感じる。「文壇」を扱った本はけっこうあるが、「論壇」を扱った本は少ないので、「論壇」担当編集者が書いた本書は戦後史の貴重な資料となるだろう。
  6限の「現代人の精神構造」は安藤先生の担当の「近現代日本小説にみる『私』の構築」の2回目。本来は初回に扱うはずだった(しかし時間がなくてできなかった)田山花袋『蒲団』、島崎藤村『破壊』、小林多喜二『一九二八・三・一五』、阿川弘之『雲の墓標』を素材にして、戦前・戦中の「私」の構築の諸類型について話された。戦後については次回ということになったが、問題は、準備されている資料の分量から考えても、その話は残り1回の授業で完結できるとは到底思えないことである。少なくともあと2回は必要である。「どうしましょう、大久保先生」と安藤先生は今日の授業の終わり近くに教壇からフロアーの私に向かって語りかけた。「もう1回増やしましょうか」と私。「いえいえ、それは・・・」と安藤先生。舞台裏の話を授業中にするというのも一種のパフォーマンスであるが、しかしそれは出来ない相談ではないのである。この授業は4人の教員がチームを組んでやっているのだが、一応、1人あたり3回の担当にしてあって、誰の担当でもない予備日というものを温存してあるからだ(総括とか教場試験に使う予定で)。授業の後、今後の相談をTAのI君を交えて「秀英」でビールを飲みながらする。
  10時、帰宅。風呂を浴び、ガリガリ君(ソーダ)を頬張り、「時効警察」を観てから就寝(このフィールドノートは翌朝に書いている)。土曜日に授業がないと、金曜日の夜は本当にのんびりできる(別の言い方をすると、一週間の疲れがドッと出る)。昨年までは土曜日に2コマ講義があって、金曜の夜はその準備で気分は張りつめていたものだ。私はいやいや土曜日の授業をやっていたわけではないが(朝の電車が空いているのでむしろ快適に思っていたくらいだ)、世間一般の「金曜の夜」を経験してしまうと、再び土曜日に授業を持つことは困難かもしれない。