8時、起床。昨日とは打って変わっての青空。散歩日和だ。どこに行こうかと考えながら、卵焼き、茄子の味噌汁、ご飯の朝食。あの地震の2日前に行った鎌倉に行こうと決める。地震の起こる前の日々と地震の起こった後の日々が自分の中で(きっと誰の中でも)切断されたままになっている。それを結びつける何本かの糸の1本が、私の場合、鎌倉再訪であるような気がするのだ。
10時半に家を出る。蒲田-(京浜東北線)-横浜-(横須賀線)-鎌倉は約1時間。鎌倉駅から若宮大路を南に下る。金沢に行ったときにまずは内灘海岸を目指すように、鎌倉に来たときはまずは由比ガ浜を目指す。たんに海が好きということではなくて、仁義の切り方、といったら大げさだろうか。「バスを待ち大路の春をうたがはず」(石田波郷)。
12時ちょうどに由比ガ浜に到着。とんびの群れが砂浜の上を舞っている。かなりの数で、ヒッチコックの『鳥』を思わせる。滑川を挟んで、右が由比ガ浜海水浴場、左が材木座海水浴場と呼ばれている。父親の職場(千代田区役所)の海の家が材木座海岸の方にあったせいで、子供の頃からおなじみの材木座の方に自然と足が向く。
散歩も旅も、日常からの離脱であるが、離脱は一瞬にして起こるわけではない。徐々に起こるのだ。今日も電車の中では日常を引きずっていた。本を読みながら、ふと気がつくと、日常的ことがら(教務の仕事のことなど)を考えていたりする。鎌倉駅から海岸への道を歩いているときも、まだまだ離脱は十分とはいえなかった。しかし、海岸に出て、波打ち際を歩いているうちに非日常的気分になる。海辺にはそういう力がある。たぶん私がまずは海辺に行くのは、そのためだろうと思う。
海辺を後にして、駅の方へ戻る。若宮大路をまた戻るのも芸がないので、江ノ電の由比ガ浜の駅から和田塚の駅までの住宅街を歩く。そして和田塚駅の線路をまたいで目の前にある、「甘味処無心庵」で一服する。クリームあんみつをまず注文し、それを食べ終えてから、磯辺巻きを注文する。一度に注文しないのは、最初に甘いものを食べ、後から辛いものを食べるためで、一度に注文してしまうと、磯辺巻きが冷めて固くなってしまうからである。これ、「甘味あらい」のときと同じ、私の流儀である。他の店であんみつの類を食べるとき、心の中で、「甘味あらい」にスミマセンと謝っている。なんとなく浮気をしているような気分になるためである。
「無心庵」を出て、由比ガ浜大通→御成り通り→鎌倉駅と歩く。地元の商店街を歩くのは楽しいものである。鎌倉駅の脇の踏切を渡って線路の向うに出る。神奈川県立近代美術館を目指して、線路沿いの道を歩く(休日の小町通りはまるで竹下通りのような混雑でなかなか前に進めないのだ)。ガイドブックには載っていない道を歩くのも楽しいものである。
「開設60周年 近代の洋画」展は所蔵作品のみで構成されているから、常設展といってもよいものである。
ポスターに使われている高橋由一の「江ノ島図」は、実物は経年変化で絵具がくすんで暗いトーンの絵であるが、デジタル処理をされていて明るい絵になっている。たぶん描かれた当初はこうだったのだろう。館内で販売されてる絵葉書もデジタル処理をされたものが使われている。それでいいと思う。いや、それがいいと思う。美術品と骨董品の違いはそこにあるのではなかろうか。
松本竣介の「立てる像」は大きな作品である。常設展では必ず展示されるので、何度も観ているが、何度観てもいい作品である。今回、改めて観て、二つのことに気がついた。第一、足元に二匹の犬が描かれている。それもとても小さく描かれている。とくに足の間の犬などは、よく見ないと犬であることに気づかないほどである。これは犬が子犬だからではなく、ものすごく望遠で描かれているためである。人物は目の前にいて、背景(高田馬場の風景だといわれている)はものすごく遠いのだ。しかし遠近法は不十分で(中間の事物がない)、そのため、小人の国のガリバーのようになっている。第二、人物の視線は、しっかりと何かを見つめているようでいて、よく観ると、そうでもない。両目は別々の方向を向いているようにもみえる。これが自画像だとすると(そうだと思うが)、松本竣介という人はもしかして斜視だったのだろうか。それとも青年の不安な心理を目線で表現したのだろうか。
3時ちょっと前に美術館を出て、御成り通りと由比ガ浜大通のぶつかるあたりまで引き返す。さきほどその辺を歩いているときに、「ジャックと豆の木」というギャラリーカフェがあって、ちょうどそこでチャリティーコンサート(ヴァイオリンとチェロ)をやっていて、次の回が3時半からであることを知った。どうぞ聴きにいらしてくださいと店から出てきた関係者の方に声を掛けられたので、これも何かの縁だろうと考えたのである。予定外のことというのは、散歩や旅の楽しみの1つである。
ヴォイオリンは東山加奈子さん、チェロは太田陽子さん。東京芸大の出身で同級生だが、東山さんは地元の北鎌倉女子学園の卒業生でもある。普段はカルテット・ソレイユという四重奏団として活動しているが、今日はそのうちの二人のコンサート。ヴァイオリンとチェロの二重奏の作品というのは数は多くないが、今日の演目にはクラシックの作品だけでなく、「負けないで」(ZARD)や「涙そうそう」(BIGIN)などのJポップをお二人がアレンジしたもの含まれていた。一番聴き応えがあったのは、やはりクラシックの作品で、最後のヘンデルの「パッサカリア」(ハルヴォルセン編曲)は気合の入った演奏だった。1時間ちょっとのコンサートだったが、楽しかった。
「ジャックと豆の木」の道路を挟んだ向かいに「こ寿々」という甘味処があり、わらび餅がメインのメニューらしい。ここを今回の鎌倉散歩の最後の場所とする。わらび餅はつきたての餅のように粘度が強く、ほかではちょっと食べたことのない食感である。食べ終わってお茶を飲んでいたら、ところ天が食べたくなって追加注文する。これがとても美味しいところ天だった。ただし、最初からところ天を食べるのではなく、まずわらび餅を食べ、そしてところ天を食べるのが配列の妙であるように思われた。ほとんどの客がわらび餅を注文していたが、それだけではもったいない。店を出るとき、初めて来たらしい女性の二人客がわらび餅とところ天で迷っていたので、「両方食べるといいですよ」とアドバイスしてさしあげた。帰宅してこのことを娘に話したら「ナンパか」と言われたが、全然そんなつもりはない。知らない人と言葉を交わすのは散歩や旅の楽しみの一つである。ちなみに「こ寿々」では、「甘味あらい」に対して申し訳ない気分にはならなかった。わらび餅とところ天は「甘味あらい」にはないメニューだから、浮気には入らないのである。
鎌倉駅前の豊島屋で鳩サブレーを家族への土産に購入。蒲田には6時5分に到着。家に帰る途中で、相生小学校に寄って、区長選挙と区議会議員選挙の投票をすませる。日常への回帰。日常的世界とは政治的世界でもある。
本日の散歩にかかった費用は以下のとおり。一万円以内(近場であれば五千円以内)というのが私の中での相場である。もっともこれは私の散歩が単独行であるためで、デートとかになれば、当然、話は別である。男性諸君に言うが、けちってはいけません。
蒲田⇔鎌倉往復運賃 620円×2=1240円
「無心庵」 クリームあんみつ 800円、磯辺焼き 800円
神奈川県立近代美術館 入館料 700円
東山加奈子&太田陽子デュオ チャリティーコンサート料金 1500円
「こ寿々」 わらび餅 525円、 ところ天 420円
お土産 豊島屋の鳩サブレー 945円
合計 6930円