フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月19日(火) 曇り

2011-04-20 08:57:04 | Weblog

  8時、起床。寝たのは3時なのに(したがって5時間睡眠)、たっぷり寝た感じがするのはなぜだろう。焼肉、大根の味噌汁、ご飯の朝食。

  12時半に家を出て、大学へ。昼食は「maruharu」で野菜サンドとアイスカフェオレ。

  2時からTA費の使用の仕方についての説明会、助教・助手が中心だが、先生がいらしているところもあった。3時から教務・事務連絡会。6時から教務的打合せ。9時頃までかかる。途中で和田先生からサンドウィッチやおにぎりの差し入れがある。 栃木先生から「鎌倉ものがたり」というコミックをちょうだいする。先日、先生との雑談をの中で、鎌倉の話になり、二人とも鎌倉が好きで、大いに盛り上がったのだが、先生が愛読している「鎌倉ものがたり」というものを私は知らなかったので、今日、ご自宅からもってきていただいたのだ。ありがとうございます。「三丁目の夕日」と同じ作家の作品である。

  11時、帰宅。夕飯は竹の子ご飯と竹の子の味噌汁だった。竹の子はいただきものとのことで、これでもかというくらい入っている。


4月18日(月) 曇り

2011-04-19 02:44:24 | Weblog

  8時、起床。玉子かけご飯と味噌汁の朝食。ブログの更新をして、10時に自宅を出て大学へ。キャンパスの中庭の工事フェンスの間から内側の風景を写真に撮る。何もないというのも、空間を贅沢に使っている感じで、いいものである。枯山水の庭のような。

  11時から面談を一件。昼にそれが終り、同僚の小林先生と昼食をとりに出る。本部キャンパスの新緑が美しい。

新緑の風にゆらるるおもひにて   飯田蛇笏

  「西北の風」で明太子のクリームパスタとサラダとコーヒー。小林先生は「西北の風」が初めてで、ゆったりした空間が気に入られたようである。仕事のできる広いテーブルのある個人経営の喫茶店はありませんかというので、それなら「フェニックス」がいいですよと教えてさしあげる。

  1時半から本部でオンデマンドコンテンツ委員会。初めて出る会議体だが、めったに開かれないらしいと知って安心する。剣の達人がめったに剣を抜かないみたいなものだ(って違うか)。

  教務室に戻り、4時から面談。それが終ったのが9時半。5時間半しゃべっていたことになる。長いときの教授会よりさらに長い。箱根駅伝なら往路優勝が可能な時間だ。
  11時頃まで仕事をして、大学を出る。腹ペコだったので「松屋」で夕食をとってから帰ることにした。初めての「松屋」。牛丼(並)、生玉子、豚汁。500円でお釣りが来る。大椀で具沢山の豚汁が気に入った。

  春のドラマ4本の初回を観た感想。
  「BOSS」★★★ 次回もどうしても観たいほどのものではない。
  「犬を飼うということ」★★★☆ 今後のストーリー展開は読めるけれども、楽しめそう。
  「JIN」★★★★ 民放版大河ドラマ。佐久間象山が子供のときに未来に行ったことがあるという話には驚いた。
  「幸せになろうよ」★★★★ 黒木×草ナギ任侠ヘルパー)もよかったけれど、黒木×香取もなかなかいい。


4月17日(日) 晴れ

2011-04-18 09:40:57 | Weblog

  7時、起床。メールをチェックしたら、武蔵村山さん(行きつけの歯科医院の歯科衛生士だった方)からメールが届いていた。3月31日が出産予定日だったが、どうしたかしらと気になっていた。さっそくメールを開けると、予定通り3月31日に男の子を無事出産したことが書かれていた。そうか、よかった。大変なときに生まれてきたわけだが、どうかたくましく育ってほしい。カレーライスの朝食。

  8時半に娘と一緒に自宅を出て、阿佐ヶ谷へ。今日は娘が出演する劇団インハイスの公演がある。10時ちょっと前に会場である小劇場プロットに到着。30分ほど遅れて妻がやってくる。

  地震のため、3月12・13日の公演が延期になったのだが、演目が変わった。いろいろな事情があるのだろうが、地震の後では地震の前に考えていたのと同じものはできないという気持ちがあったに違いない。今回の演目「Psyche」は11月の公演「愛の歌」に続いての朗読劇。舞台には3人の人間。手前の一人は立ち、他の二人は椅子に座っている。3人ともその場所を動かない。三角形の構図は最後まで変化しない。

     わたしは
     生きている

     わたしは
     鼓動している

     ひとつ

     ふたつ

     みっつ、・・・

     わたしは
     呼吸している

     ひとつ

     ふたつ

     みっつ、・・・

  朗読劇は立っている女の、満を持しての、このような言葉で始まる。どこかしら震災後の世界を感じさせる言葉。どこかしらではなく、もっと直裁に、震災後の世界を感じさせる言葉がすぐその後に来る。

     わたしたちが
     わたしたちにより汚した空気を吸っても
     わたしたちの吐く息が
     きよくさえていることを

     わたしたちが
     わたしたちにより汚した水を飲んでも
     わたしたちのこの声が
     きよらかに
     かなしみをそいでいくことを

     わたしたちが
     わたしたちにより汚した心にふれたとしても
     わたしのあなたへの想いが
     いつもうるわしくあるように

  この一連の言葉は終盤で、再び、三度出てくる。鎮魂と祈り。
  静かな劇である。その静けさは、役者の身体的な動きの少なさや、抑制された語り口、そして音楽や照明の効果によるところが大きいわけだが、それだけではなくて、物語の展開の仕方によることがあるだろうと思う。物語の展開の仕方、と今書いたけれども、正確に言えば、展開中の物語というものがここにはない。ここにあるのはすでに終ってしまった物語の回想と、これから始まるかもしれない物語への希求である。

    ものがたり、?

    それはなんなのか、
    それはどこにあるのか、
    わたしたちにはなにも見当がつきません

    わたしたちはくるくると旋回しそらに舞い上がり

    そしておりたったそこには
    一ぽんの、朽ちかけた木が、
    いと、ものうげに、立っていたのでした。

    さあ、ものがたりを。

  私たちは日々、物語を生きている。物語とは日々の生活に、人生に、意味を与えるものである。
  しかし「Psyche」の語り手は物語を失ってしまった。物語が展開する場所を失ってしまった。
  いま、降り立った新しい場所で、語り手はかつての物語を回想し、これからの始まるかもしれない物語を希求する。ひとつの物語がすでに終り、次の物語はいまだ始まっていない、そうした物語の不在の時間、物語の真空地帯で、「Psyche」は一本の木のように立っている。静かな風景だ。
  技術的なことを言えば、「Psyche」にはいろいろと改良すべき余地がある。たとば、役者はもう少し多い方がいい。一人の役者が複数の声を兼ねるより、基本的には声と役者とは一対一の対応をした方がよい。その方が、観客に親切だからというだけでなく、朗読劇は言葉と声が主役だから、合唱、独唱、輪唱、フーガなど声楽的な技法をあれこれ駆使するために声の数はある程度多い方がいいと思う。今後も朗読劇という形式の可能性を追求していくのであれば、可能性が十分に展開するための人口学的要素を備えておく必要があるだろう。

  昼食は「ミート屋」という地元では有名なスパゲッティ屋で食べた。メニューはミートスパゲティのみがだ、トッピングで変化をつけることができる。私は温泉卵、妻は揚げ茄子をトッピング。カウンターのとろこに食べ方が指南されている。とにかくよく混ぜること。そして早く食べること。

  食後のコーヒーは帰宅してから、改めて散歩に出て、「テラス・ドルチェ」で。


さあ、ものがたりを。


4月16日(土) 晴れ

2011-04-17 01:58:42 | Weblog

 6時半、起床。昨日ほどではないが、今日も早起きだ。カレーとパンと牛乳の朝食。

 10時半ごろ自宅を出て、JR高尾駅へ。今日は清水幾太郎の学習院時代の教え子の方たちと高尾霊園にある清水のお墓参りをすることになっている。関西大学の竹内洋先生も参加される。立川あたりで地震を感じたが、電車は停まることはなく、約束の12時ちょっと前に高尾駅に着く。タクシーに分乗して高尾霊園へ。あたたかな日射しの中、風が吹くと、桜の花びらがモンシロチョウの大群のように山間を舞う。


右が清水家先祖代々の墓。左が幾太郎と妻慶子の墓。「経験、この人間的なるもの」と刻まれている。

  霊園内のレストランで昼食をとり、食後のコーヒーを飲みながらしばらく歓談。帰りの中央線の車内ではずっと竹内先生と話をさせていただいた。先生は現在、中公公論新社のウェブサイトで「メディア知識人の運命―清水幾太郎論」を連載されているのだが、最新号で、清水の戦中の時局的文章は迎合か抵抗かという二項対立の図式では理解が難しいもので、差異化(他の知識人の文章とは違うことを書こうとする)という第三項を想定して始めて了解できるものであるということを述べておられる。同感である。たとえば、清水が戦後に「庶民の思想家」というイメージでマスコミでもてはやされた時期があったが、そこには戦後の論壇に彗星のように登場して一躍脚光を浴びた丸山真男を意識しての差異化の戦略というものがあっただろうというのが私の解釈である。

  4時ちょっと前に帰宅。しばらく休んでから、ジムに出かける。3月6日以来である。つまり震災後、初めてのジムでのトレーングである。いつものように筋トレ2セットと有酸素運動35分。帰りにコンビニガリガリ君を買って、路上で頬張る。暖かなというよりも、蒸し暑さを感じる一日だった。


4月15日(金) 晴れ

2011-04-15 23:09:20 | Weblog

  5時、起床。久しぶりの早起き。驚いたのは、すでに外がうっすらと明るいことだった。後で調べたら今日の日の出は5時9分。そうか、もうそんな季節なんだと思った。2時間ほど仕事。そこで眠くなり、1時間半ほど眠る。再び起きて、ブログの更新。結局、朝食はとらず、10時頃、自宅を出る。12時までに大学へ着けばよいので、駅に行く途中で、床屋に寄る。待ち時間なしで、所要時間は40分ほどである。今日も駅のホームから線路脇のタンポポを眺める。見るたびに綿毛が増えていく。


たんぽぽと小声で言ひてみて一人  星野立子

  12時から非常勤のS先生と会食。「たかはし」の刺身(初カツオ)定食。食後のコーヒーは「シャノアール」で。執筆を始められたばかりの博士論文の話をうかがう。
  教務室に戻り、学生の修学相談。演習「現代社会とセラピー文化」の受講生40名にメールを出して、BBSに自己紹介の書き込みをしておくように指示する。いつもであれば自己紹介は初回の授業でするのだが、今回は授業回数が15回から13回になったので、教場での自己紹介は省略する(かもしれない)。ゼミ3年生にも同様のメールを出す。両方とも受講している学生が6名いるので、彼らには別々の語りを用意してもらいたいものである。
  今日は論系室でゼミの4年生が勉強会(自主ゼミ)をやっている。終わりの方にちょっと顔を出す。そのときTwitterの話題になったので、自分はまだ誰もフォローをしていないのだが、みんなのを見ていると、フォローしている人数とフォローされている人数が似通っている場合が多いが、これは自分をフォローしてくれている人をフォローしているということなのか尋ねてみたところ、そういう傾向はあるとのことだった。そうか、そういうルールというか、マナーというか、暗黙の合意のようなものがあるのか。そうだとすると、好き勝手につぶやいているようでいて、Twitterの世界もやはり世間の一部なのだなと思った。


桜散る

  7時半、帰宅。風呂を浴び、夕食をとりながら、昨日録画しておいた「BOSS2」を観る。名のある女優が何人も出ている。コメディタッチの演出が少々うるさい。シリアスな部分との接続がよろしくない。次回以降も観るかどうかは微妙なところ。
  T君から結婚披露宴の案内状が届いた。T君は私が早稲田大学の教員になったときに最初に教えた学生の一人だが、いまは地方の国立大学の准教授になっていて、同業者である。長らく独身生活を謳歌していたが、ついに所帯をもつことになった。卒業生の結婚披露宴に出るのは新婦側の客としての場合がほとんどで、新郎側の客として招かれるのは久しぶりである。勘違いのないように気をつけねばならない。