嗚呼、オーベルジュへの道

長野県佐久市にあるホテル「おいまつえん」CEO兼こづかいさん(爆)の日常

コロモ替え2019 節目の年になるのか

2019-10-01 09:07:19 | 秋の夜長のすごしかた

いやはや、暑いんだか寒いんだか、日によってものすごい気温差に見舞われている昨今。みなさま、体調など崩されていませんでしょうか?

さすがの私も疲れて寝込む、なわけはございませんて(爆)。トクイチオートに「参拝」に出かけたり、保管庫に大量にあった「産廃」を12万円もかけて処分したり、てんやわんやの毎日。

処分ついでに、衣替えに合わせて80年代から捨てずにいた大量の衣料コレクションも「リサイクル」という名目で資源ごみとなったのでした。

着る側のサイズが不変なおかげで、ここまで手元に置いてしまった数々のコレクションはいま取り出すと興味深かったです。でもコッケー(爆)。これなんかいいんぢゃね。と思って袖を通しますとそこはかとない痒みがやってきたり(爆)、ピエロのようだったり(更爆)。

でもね、意外だったのはリフォームしてまで着たいと思えるものも少なからずあったこと。アイビーとブリティッシュトラッドベースでここまでやってきた甲斐があったか。

世紀の大傑作だ、とか永遠の定番だ、とか言われて大枚叩いて買ったものたちのはずなのに30年もたちゃあこんなものかよ、といって落胆しそうになるのですが、大いに楽しんだぢゃないか、といって納得することにいたしました。

基本、天然素材100パーセントというのが80〜90年代半ばくらいまでは主流でしたから、今眺めてみてもいいもの感これでもか。そういうのを捨てるってのは服好きとしては結構苦痛ですよ〜(涙)。

穴のあいた靴下を捨てるのはトーゼンですけれど、コンディションの良いセーターやコート類、10万円以上したレザーものなんてえのはタイヘン(爆)。泣きの涙っす。

考えてみれば服飾ギョーカイだってビジネス。現行のものを一刻も早く廃れさせて陳腐化させ、買い替えを促してナンボなのですから、最高級のものを一生大切に手元に置く、などというのは服飾に関してはナンセンス。

流行を追いかけなければ、という意味ではなく、アップデート。つまり古い服を捨てて現行のものにスイッチできないと服の役割を全うさせられない、という意味です。

この場合の服の役割は、着ている本人の気持ちをアゲると同時に周囲から浮かないように見せることです。

誰がなんと言おうと、気に入って着てんだからいいぢゃねえか、というのもごもっとも。ごく最近までの私もそうでしたけれど、それだとなんかしっくりこない。元来、気持ちよくなるためにするのがオサレですから、そういうのは自然に遠ざける。

ジャケットやシャツのシェイプはもちろん、パンツの裾巾などなど。ミリ単位でコントロールされている紳士服の世界ではいとも簡単に陳腐化が起きます。ツンツルテンのスーツを着た紳士は今ぢゃリッパに市民権を得たかに見えますけど、バブルの頃には笑いものだったはず。チャップリンかよ、と(懐)。

50万円のスーツを買ったところで、3年後には着られなくなってしまうものだとしたらものすごく高価なスーツだということになります。クラシックだ、とかいっておいて次の年にはキッチリ陳腐に見せてくださるギョーカイの手法には呆れますが、だったら5万のスーツしか買わんからな、と

なってゆくわけで、サヴィルローでヘンリープールのスーツに100万払うのが賢いショッピングなのかといえば自信もてないわけね。消費税上がったし(爆)。

画像は生まれた時から1着のスーツを着こなしておられるモモちゃん。コンディションも極上で、なにより時の流れを超えた美しさでございやす。どうせ買うならこういうのに巡り会いたいものですのう(爆)。