温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

トカラ列島 悪石島を逍遥 (その2・牧場と御岳)

2012年08月18日 | 鹿児島県
前回からの続きです。
悪石島は坂道だらけなので、どこへ移動するにも車が無いとなかなかツラいものがあります。しかも私が訪れた日は南国のするどい日差しが照りつける猛暑の季節ですから、昼間迂闊に外へ出ると熱中症にやられてしまうことは必至。でも島を巡ってみたい、温泉を訪れるだけでは能が無い…。どうしたら良いのか途方に暮れていたところ、宿のおじいさんが車で牧場や御岳へ連れて行ってくださるとのことなので、渡りに船、ご厚意に甘えることにしました。


●大峰牧場
トカラ列島にとって畜産業は基幹産業の一つ。島では牛を繁殖させて産まれてくる仔牛を鹿児島の市場へ出荷させることにより収入を得ているため、島内で飼育されているのは悉くメス牛であり、数少ない雄牛(種牛)をハーレム状態にしているんだそうです。何ともうらやましい限りだ…。家畜の繁殖には種牛の良し悪しがその結果を決めるため、畜産農家みんなで数少ない種牛を大切に育てており、当番を決めて餌遣りを行っています。この日はたまたま「さかもと荘」のおじいさんが餌遣り当番の日だったので、同行させてもらうことにしました。

 
まずは軽ワゴンで島の北の方にある大峰牧場へ向かいます。一帯は人が全く住んでいない地域であり、とても島とは思えない広大な景色が広がっています(でもその景色を撮影し忘れちゃいました)。
牧場を周回する道路を走り、飼料が保管されている倉庫に到着しました。



倉庫の片隅に置かれている箱から、種牛用の飼料を一定量掬い取ります。


 
倉庫の隣には立派な牛舎が併設されていますが、小屋内に牛は一頭もおらず、ヤギが入ってこないように周囲を柵で囲ってありました。集落から遠くて管理が面倒な上、野外での放牧を中心とした飼育形態をとっているため、だれもこの牛舎を使おうとしないんだそうです。県の事業で整備されたそうですが、何とも勿体ない話だこと。



さて餌場にやってきました。たくさんの牛が草を食んでいるのですが、ここにいるのは1頭を除きすべてメスです。



素人の私には雌雄の判別ができないのですが(乳房の有無を見ればいいのでしょうけど)、おじいさんが牛の群れに向かって「タネ!」と叫ぶと、奥の方から一頭の牛がノソノソとやってきました(画像の中央で一頭でこちらに向かっている牛)。どうやらこれが種牛のようです。周囲の牛たちはその種牛に道を譲るかのように左右へと分れてゆきます。



有刺鉄線の下に種牛専用の餌場があり、さきほど倉庫で取ってきた飼料をそこへすべて入れます。すると種牛は餌場へやってきて…



黙々と飼料を食べ始めました。その間、メス牛は決してその食事を邪魔したり横取りしようとしません。種牛は相当の威厳があるのでしょう。実に秩序が保たれており、この光景を目にして私は非常に驚きました。人間より牛の方が自制心が働くんじゃないかしら。
ちなみに、この種牛も多くのメス牛たちも、いつも配合飼料を食べているわけではなく、普段は放牧場に自生している竹の葉でお腹を満たしています。畜産を営む上においてエサ代は必要経費の中でも相当の割合を占めており、輸入の飼料を購入することが多い日本の畜産農家にとってエサに関するコストは経営を圧迫する大きな要因となりますが、この島の場合は勝手にいくらでも生えてくる竹を食べさせておけばよいので、人間の一般家庭でたとえるならばエンゲル係数を低くすることができるわけです。このため市場での競り値が本土産よりも安くなっても原価が安いので、利益を大きくすることができるんだとか。
また小屋で飼わずに放牧をメインとしており、数日面倒をみなくても大抵の場合は問題ないんだそうです。さらには仔牛の出産も本土の畜産農家のような屋内ではなく、まるで野生の獣のように野外で産んでしまうんだそうでして、こうして生まれた島の仔牛は本土産よりも逞しく病気にも強いんだそうです。島の自然風土を活かした合理的な畜産が実践されているんですね。



●御岳

餌遣りの次は、悪石島でもっとも標高が高い御岳の頂上へと向かいます。牧場から頂上へ伸びる一本道を登ってゆきますが、この道はNTTの私有であり、坂元さんが草刈などの管理をNTTから委託されているんだそうです。道はNTTの施設に突き当たって行き止まりとなりますが、この日はおじいさんのご長男がNTTからの委託を受けて、猛暑の中、除草作業の真っ最中でした。


 
近くから展望台へ上がるトレイルがあるので、早速あがってみましょう。


 
悪石島は種子屋久や奄美とのちょうど中間に位置しているため、御岳には沖縄振興局(旧開発庁)用の中継アンテナが設置されており、その隣にはドコモのアンテナも立てられています。中継アンテナ敷地には開発庁の境界石が敷設されていました。


 
ここが悪石島で最も高い御岳の頂上(584m)です。ちゃんと一等三角点もありますよ。



360度の大パノラマ。周囲を海に囲まれた島ならではの絶景。果てしなく大海原が広がっています。地球って丸いんだな。トカラの島々が良く見えます。この日はたまたま気象条件が良かったらしく、おじいさんもこんなに綺麗に遠くまで見えたのは初めてだと仰っていました。



まずは南側を望んでみましょう。左から奥へ向かって、小島・小宝島・宝島。


 
北側の山裾にはさきほど餌付けを行った大峰牧場が広がり、海を隔ててその向こうには諏訪之瀬島、さらに奥には中之島が、それぞれクッキリ見えます。



諏訪之瀬から左側へ視線を移すと、平島・臥蛇島・小臥蛇島が洋上にプカリと浮かんでいました。

さて、次の日は宝島へ移動だ。
ということで、当ブログも次回は宝島の温泉施設を取り上げます。

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トカラ列島 悪石島を逍遥 (その1・集落)

2012年08月18日 | 鹿児島県
※今回の記事に温泉は登場しませんのであしからず

前回まで3回連続で悪石島の温泉を取り上げてきましたが、今回と次回は温泉以外の、何気ない島の長閑な風景を紹介してゆく所存です。


 
フェリー「としま」で悪石島へ到着。桟橋のコンクリには、悪石島を象徴するボゼがキャラクター化されて描かれていました。


 
今回お世話になったお宿は上集落にある「民宿さかもと荘」さんです。お部屋は6畳の和室で、冷房や地デジのテレビ完備が完備され、とっても綺麗で居心地の良いお部屋でした。


 
こちらのお宿は坂元家の2世代が交代で業務を担当しているようでして、私が宿泊した日は初代オーナーであるお爺さんお婆さん夫婦が私のお世話をしてくださいました。ちなみに宿泊客は私一人だけでしたが、お婆ちゃんは腕に撚りをかけて宿泊中の3食をつくってくれました。その全てを紹介するわけにはいきませんから、一部だけをピックアップしてみますと…
画像左(上)は某日の昼食で出た3色丼。箸休めは島らっきょうです。画像右(下)は宿泊最終夜の夕食でして、トビウオの三杯酢、豚の煮込み、大王筍の煮物…という献立で、島ならでは(または鹿児島)の食材てんこ盛りでした。


 
民宿の隣は小さな公民館。この時は改修工事中でした。


 
ちょっと集落の中をうろうろしてみましょう。南国らしくハイビスカスがそこかしこで咲いていました。またトカラの島はどこでもガジュマルの大樹がどっしりと根を下ろしており、集落の民家はこの大樹の木陰に身をひそめるように建てられていました。


 
「巨木ガジュマル自然館」と称するエリアがあり…


 
そこでは樹齢数百年のガジュマルの大樹が密集しており、複雑に絡みあう根っこに圧倒されるとともに、簾のように垂れ下がっている幾筋もの気根が実に涼しげでした。


 
島に生活する子供たちには欠かせない施設である悪石島小中学校。広くて飾りっ気のない校庭がいい雰囲気です。


 
こちらはコミュニティーセンター(村役場の出張所)。フェリーの切符を購入する場所ですから、外来客は必ずお世話になる施設です。その隣にはコインランドリーが設置されていました。


 
コミュニティーセンターの右隣には「美女とネズミと神々の島」記念碑と称するものがあり、真ん中の円から景色を覗いてみると、小島・小宝島・宝島が望めました。


 
コミュニティーセンターの後背には放牧地が広がっており、黒毛の牛が猛暑の中、灼熱の太陽光線をもろともせず、のんびりと竹の葉を食んでいました。


 
コミュニティーセンターから数百メートル海側に建つ発電所。島の生活には欠かせないインフラですね。


 
集落の外れで真白い屋根の牛舎を発見。牛は私を見つけるとモーモー鳴きながら、こちらへ近づいてきました。人懐っこい牛に思わず心が和みましたが、その牛は美味しい物でも何か欲しかったのかしら?



牛舎からもうちょっと奥へ進むとヘリポートがありました。単にコンクリ舗装されているのみならず、ちゃんと照明器具が設置されており、夜間の離着陸も可能。ドクターヘリもここに到着します。



島唯一の自販機は「民宿南海荘」の前に設置されており、ちゃんと稼働していたので、ここで2回ほど冷たい飲み物を購入しました。



島唯一の商店です。いつも営業しているわけではないみたいでして、私が島に滞在している期間、開店している場面には遭遇しませんでした(単に私のタイミングが悪かっただけですが…)。


 
集落から港の方へ下りてゆく途中の道端ではバナナが花を咲かせていました。


 
バナナの近くにひっとりと佇んでいたのは対馬丸慰霊碑です。戦時中の話ですが、サイパン陥落によりB-29による本土爆撃が可能になったことを受けて、政府は沖縄の非戦闘員を本土などへ疎開させるとともに、本土からは兵員や軍需物資を沖縄へ輸送することを決めます。つまり本土から沖縄への往路は軍事輸送、復路は疎開輸送を行うわけで、その輸送の一翼を担っていたのが「対馬丸」です。この船は1944(昭和19)年8月初旬に門司を出港して沖縄や上海方面へ向かい、復路に沖縄で疎開する学童を乗せて長崎へ向かいますが、同月22日、悪石島の近海でアメリカ海軍の潜水艦「ボーフィン」の攻撃を受けて沈没し、779人の学童を含む1476名の犠牲者を出してしまったのでした…。



港へ下りる道の途中には、温泉マークが書かれた岩があり、そこから細い路地へ入ると…


 
海中温泉や…


 
湯泊温泉や…


 
砂蒸し風呂があることは既に前回までの記事でレポートした通りです


次回は集落から離れてみます。
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