※前回同様、今回も拙ブログの記事に温泉は登場しませんのであしからず。今度温泉が登場する記事は7月28日にアップする予定ですので、温泉ファンの方は恐れ入りますがそれまでお待ちください
「貨物時刻表」を定期購読しているほど、小さな頃から貨物列車が好きな私。駅のホームで電車を待っている時、貨物列車が目の前を通過すると小さな幸福に満たされます。今も昔も、華やかな新幹線や特急より、地味でも力強くしっかり仕事している貨物列車に魅力を感じます。かつて日本全国に敷設された鉄道路線は、その多くが貨物輸送を目的にしたものであり、旅客輸送はそのついでと言っても過言ではなかったのですが、トラック輸送全盛の今となっては、鉄道貨物はすっかり斜陽、国交省が口先だけで「モーダルシフト」と叫んでみても、次々に鉄道貨物が廃止されています。
JR各線やJR貨物が出資している各地の臨海鉄道を別とすれば、現在私鉄で定期貨物列車を走らせているのは、埼玉県の秩父鉄道と三重県の三岐鉄道の2社のみ。両社とも太平洋セメントを株主としている共通点があり、前者は石灰石と石炭を、後者はセメント・炭カル・フライアッシュをそれぞれ貨物輸送していまして、両社とも取扱量こそ年々減っているものの、いまだに結構な本数の貨物列車が走っています。初夏の某日、貨物列車が活躍する光景を目にしたく、自宅から日帰り可能な圏内にある秩父鉄道沿線へと出かけました。
画像左(上)は長瀞駅下りホームで普通列車三峰口行を退避する鉱石列車の返空(工場から積荷を下ろして、積み込み場所へ戻ってゆく列車)。画像右(下)は石灰石の産地である武甲山を背景にしながら、和銅黒谷駅へやってきた鉱石列車です。
秩父鉄道における貨物列車は、秩父山地で採掘される石灰石を熊谷市の太平洋セメント熊谷工場へ輸送する列車と、そのセメント工場で用いる石炭を鶴見線扇町駅からJR線を経由して運んでくる列車の2種類があるのですが、輸送量や運行本数ともに前者が圧倒しており、前者に関して秩父鉄道では「鉱石列車」と称して、他の貨物列車と区別しています。他私鉄の貨物列車が次々と姿を消してゆく中で、なぜ秩父で生き残っているのかは良くわかりませんが、少なくとも自社グループ内で完結する輸送形態ゆえに他社との調整などややこしい問題が生まれにくい点は大きな要因と言えそうです。
秩父鉄道における石灰石輸送の現状を図にしてみました。同鉄道で運ぶ石灰石の産地には叶山鉱山と三輪鉱山(武甲山の鉱山のひとつ)の2箇所があり、叶山鉱山で採掘されたものは地下のベルトコンベアで武州原谷駅まで運ばれ、そこから貨車に積み込まれますが、三輪鉱山では直接ホッパーから貨車に積み込まれます。両者とも武川までは旅客列車と一緒に秩父鉄道本線を走行し、武川からは貨物線(三ヶ尻線)に入って、太平洋セメントの熊谷工場で積荷を全ておろします。
年間200万トンを産出する叶山鉱山(昭和59年操業開始)に対して、古くから採掘されている武甲山の石灰石産出量は年々減少しており、三輪鉱山の年間産出量は叶山の半分にも満たない85万トンです。この生産量に鉱石列車の運行本数も比例しており、叶山鉱山の石灰石を運ぶ武州原谷駅発着の鉱石列車は平日・土休日を問わず運転されているのに対し、三輪鉱山発着の鉱石列車は平日の午前中に出発する3~4本のみです(不定期運行を除く)。せっかく見学しに行くのならば、メジャーなものよりレア度の高い方が楽しめますので、今回は三輪鉱山を発着する鉱石列車の様子を追跡してみることにしました。
●影森構外側線と三輪鉱山(事業所)
三輪鉱山を発着する鉱石列車は、影森駅から盲腸のようにちょこんと数百メートルだけ伸びている専用線「影森構外側線」を走って鉱山に出入りします。この影森構外側線は、秩父鉄道の旅客用路線図に載っていないのはもちろんのこと、ネット上の地図を見ても思いっきり拡大しないと表示されないほど知る人ぞ知るマニアックな存在であり、市街地から外れた山麓の森の中へ隠れてゆくように伸びる秘密基地的な雰囲気もより一層興味を引き立てます。
影森駅の三峰口寄りにある踏切から、下り方面(三峰口方向)を臨んだ様子。奥へ延びている3本の線路は、左が影森構外側線、中は廃線になった武甲線跡、右は秩父鉄道の本線です。ポイントの脇に佇む小さな廃屋はかつて使われていた転轍小屋でしょうね。
影森構外側線は影森駅を出発するといきなり20パーミルの登り勾配となります。鉱山へ戻る鉱石列車は、いくら空っぽとはいえ牽引する機関車には重荷となるらしく、線路の周りにはスリップを防ぐために機関車が撒いた砂がたくさん散らばっていました。
雑草が生い茂る線路と20パーミルの勾配標。
勾配標の近くで影森構外側線を横切る第4種踏切。「あぶない 左右見てから」の標識は何年前のものでしょうか。霊場巡りの地秩父らしく、この踏切道の傍に立つ木の架線柱には「巡礼道」の札がくくりつけられていました。
第4種踏切を渡るとそのまま秩父鉄道本線を超える跨線橋となります。親柱には大正二年と彫られていました。
跨線橋の下を三峰口行の普通電車(旧東急8500系)が車輪を軋ませながら走り去っていきます。本線の右側は武甲線の線路敷跡。いまだに線路が残っていますね。
古くから石灰石の産地として有名な武甲山には現在3つの鉱山が稼働しており、その中のひとつが秩父太平洋セメントの三輪鉱山であります。
構外側線と線路沿いの路地のとの境界には、かつての秩父セメントの社紋が入った境界石が立てられていました。
●空っぽの列車が鉱山へ返ってきた
セメント工場から戻ってきた返空(空っぽ)の7303列車が10:40頃に影森駅を通過し、構外側線を登って三輪鉱山へとやってきました。
10:42。石灰石を貨車に積み込むホッパーには架線(電線)が張れませんから、荷役線へ入る手前でここまで牽引してきた電気機関車が切り離され、そのかわり入換用のディーゼル機関車"D502"が貨車をホッパーへと導きます。
10:44。ブレーキを緩めた瞬間、貨車の重さに引っ張られて一瞬後退(流転)しますが、D502が白い排気ガスを上げながら懸命に踏ん張り、ゆっくりとホッパーの下へ入って行きます。
ここまでの様子を動画でまとめました。
●石灰石を積み込んだ鉱石列車が出発
11:18。石灰石が積み込まれた貨車に電気機関車が連結されました。
11:20。ホイッスルを鳴らして7304列車が三ヶ尻(太平洋セメント熊谷工場)へ向けて出発です。ブレーキ試験のため、初めはちょこっと動いてすぐに止まりますが、その後再びホイッスルを鳴らして動き出し、構外側線を影森駅方向へと下ってゆきます。
出発の様子を動画にまとめました。
ちなみに上画像は2枚とも一本前の7204列車です。この列車は茶色の機関車が牽引していました。最後尾に連結されている車両(ヲキフ)の後ろ姿は、ホラー映画「13日の金曜日」のジェイソンが被っていたマスクを彷彿とさせる、何か不気味な顔立ちをしていますね。真夜中に遭遇したら怖くて失禁しちゃいそうだ…。
参考までに叶山鉱山で採掘された石灰石を積む鉱石列車(波久礼~樋口)の様子も載せておきます。影森構外側線の鉱石列車の画像と比較すれば一目瞭然なのですが、叶山鉱山の石灰石は真っ白であるのに対し、ちょっと赤っぽいのが三輪鉱山で採掘される石灰石の特徴です。
かつてはこのような貨物列車の荷役や機関車の入換なんて、日本各地で当たり前のように見られたのですが、気がつけばこの三輪鉱山などごく一部にしか残っていない、とても珍しい光景となってしまいました。前回取り上げた「宝登山ロープウェイ」と同様、秩父を代表する現役の昭和の光景です。
「貨物時刻表」を定期購読しているほど、小さな頃から貨物列車が好きな私。駅のホームで電車を待っている時、貨物列車が目の前を通過すると小さな幸福に満たされます。今も昔も、華やかな新幹線や特急より、地味でも力強くしっかり仕事している貨物列車に魅力を感じます。かつて日本全国に敷設された鉄道路線は、その多くが貨物輸送を目的にしたものであり、旅客輸送はそのついでと言っても過言ではなかったのですが、トラック輸送全盛の今となっては、鉄道貨物はすっかり斜陽、国交省が口先だけで「モーダルシフト」と叫んでみても、次々に鉄道貨物が廃止されています。
JR各線やJR貨物が出資している各地の臨海鉄道を別とすれば、現在私鉄で定期貨物列車を走らせているのは、埼玉県の秩父鉄道と三重県の三岐鉄道の2社のみ。両社とも太平洋セメントを株主としている共通点があり、前者は石灰石と石炭を、後者はセメント・炭カル・フライアッシュをそれぞれ貨物輸送していまして、両社とも取扱量こそ年々減っているものの、いまだに結構な本数の貨物列車が走っています。初夏の某日、貨物列車が活躍する光景を目にしたく、自宅から日帰り可能な圏内にある秩父鉄道沿線へと出かけました。
画像左(上)は長瀞駅下りホームで普通列車三峰口行を退避する鉱石列車の返空(工場から積荷を下ろして、積み込み場所へ戻ってゆく列車)。画像右(下)は石灰石の産地である武甲山を背景にしながら、和銅黒谷駅へやってきた鉱石列車です。
秩父鉄道における貨物列車は、秩父山地で採掘される石灰石を熊谷市の太平洋セメント熊谷工場へ輸送する列車と、そのセメント工場で用いる石炭を鶴見線扇町駅からJR線を経由して運んでくる列車の2種類があるのですが、輸送量や運行本数ともに前者が圧倒しており、前者に関して秩父鉄道では「鉱石列車」と称して、他の貨物列車と区別しています。他私鉄の貨物列車が次々と姿を消してゆく中で、なぜ秩父で生き残っているのかは良くわかりませんが、少なくとも自社グループ内で完結する輸送形態ゆえに他社との調整などややこしい問題が生まれにくい点は大きな要因と言えそうです。
秩父鉄道における石灰石輸送の現状を図にしてみました。同鉄道で運ぶ石灰石の産地には叶山鉱山と三輪鉱山(武甲山の鉱山のひとつ)の2箇所があり、叶山鉱山で採掘されたものは地下のベルトコンベアで武州原谷駅まで運ばれ、そこから貨車に積み込まれますが、三輪鉱山では直接ホッパーから貨車に積み込まれます。両者とも武川までは旅客列車と一緒に秩父鉄道本線を走行し、武川からは貨物線(三ヶ尻線)に入って、太平洋セメントの熊谷工場で積荷を全ておろします。
年間200万トンを産出する叶山鉱山(昭和59年操業開始)に対して、古くから採掘されている武甲山の石灰石産出量は年々減少しており、三輪鉱山の年間産出量は叶山の半分にも満たない85万トンです。この生産量に鉱石列車の運行本数も比例しており、叶山鉱山の石灰石を運ぶ武州原谷駅発着の鉱石列車は平日・土休日を問わず運転されているのに対し、三輪鉱山発着の鉱石列車は平日の午前中に出発する3~4本のみです(不定期運行を除く)。せっかく見学しに行くのならば、メジャーなものよりレア度の高い方が楽しめますので、今回は三輪鉱山を発着する鉱石列車の様子を追跡してみることにしました。
●影森構外側線と三輪鉱山(事業所)
三輪鉱山を発着する鉱石列車は、影森駅から盲腸のようにちょこんと数百メートルだけ伸びている専用線「影森構外側線」を走って鉱山に出入りします。この影森構外側線は、秩父鉄道の旅客用路線図に載っていないのはもちろんのこと、ネット上の地図を見ても思いっきり拡大しないと表示されないほど知る人ぞ知るマニアックな存在であり、市街地から外れた山麓の森の中へ隠れてゆくように伸びる秘密基地的な雰囲気もより一層興味を引き立てます。
影森駅の三峰口寄りにある踏切から、下り方面(三峰口方向)を臨んだ様子。奥へ延びている3本の線路は、左が影森構外側線、中は廃線になった武甲線跡、右は秩父鉄道の本線です。ポイントの脇に佇む小さな廃屋はかつて使われていた転轍小屋でしょうね。
影森構外側線は影森駅を出発するといきなり20パーミルの登り勾配となります。鉱山へ戻る鉱石列車は、いくら空っぽとはいえ牽引する機関車には重荷となるらしく、線路の周りにはスリップを防ぐために機関車が撒いた砂がたくさん散らばっていました。
雑草が生い茂る線路と20パーミルの勾配標。
勾配標の近くで影森構外側線を横切る第4種踏切。「あぶない 左右見てから」の標識は何年前のものでしょうか。霊場巡りの地秩父らしく、この踏切道の傍に立つ木の架線柱には「巡礼道」の札がくくりつけられていました。
第4種踏切を渡るとそのまま秩父鉄道本線を超える跨線橋となります。親柱には大正二年と彫られていました。
跨線橋の下を三峰口行の普通電車(旧東急8500系)が車輪を軋ませながら走り去っていきます。本線の右側は武甲線の線路敷跡。いまだに線路が残っていますね。
古くから石灰石の産地として有名な武甲山には現在3つの鉱山が稼働しており、その中のひとつが秩父太平洋セメントの三輪鉱山であります。
構外側線と線路沿いの路地のとの境界には、かつての秩父セメントの社紋が入った境界石が立てられていました。
●空っぽの列車が鉱山へ返ってきた
セメント工場から戻ってきた返空(空っぽ)の7303列車が10:40頃に影森駅を通過し、構外側線を登って三輪鉱山へとやってきました。
10:42。石灰石を貨車に積み込むホッパーには架線(電線)が張れませんから、荷役線へ入る手前でここまで牽引してきた電気機関車が切り離され、そのかわり入換用のディーゼル機関車"D502"が貨車をホッパーへと導きます。
10:44。ブレーキを緩めた瞬間、貨車の重さに引っ張られて一瞬後退(流転)しますが、D502が白い排気ガスを上げながら懸命に踏ん張り、ゆっくりとホッパーの下へ入って行きます。
ここまでの様子を動画でまとめました。
●石灰石を積み込んだ鉱石列車が出発
11:18。石灰石が積み込まれた貨車に電気機関車が連結されました。
11:20。ホイッスルを鳴らして7304列車が三ヶ尻(太平洋セメント熊谷工場)へ向けて出発です。ブレーキ試験のため、初めはちょこっと動いてすぐに止まりますが、その後再びホイッスルを鳴らして動き出し、構外側線を影森駅方向へと下ってゆきます。
出発の様子を動画にまとめました。
ちなみに上画像は2枚とも一本前の7204列車です。この列車は茶色の機関車が牽引していました。最後尾に連結されている車両(ヲキフ)の後ろ姿は、ホラー映画「13日の金曜日」のジェイソンが被っていたマスクを彷彿とさせる、何か不気味な顔立ちをしていますね。真夜中に遭遇したら怖くて失禁しちゃいそうだ…。
参考までに叶山鉱山で採掘された石灰石を積む鉱石列車(波久礼~樋口)の様子も載せておきます。影森構外側線の鉱石列車の画像と比較すれば一目瞭然なのですが、叶山鉱山の石灰石は真っ白であるのに対し、ちょっと赤っぽいのが三輪鉱山で採掘される石灰石の特徴です。
かつてはこのような貨物列車の荷役や機関車の入換なんて、日本各地で当たり前のように見られたのですが、気がつけばこの三輪鉱山などごく一部にしか残っていない、とても珍しい光景となってしまいました。前回取り上げた「宝登山ロープウェイ」と同様、秩父を代表する現役の昭和の光景です。