本郷、菊坂。白山方面に向かっての緩やかな下り坂。明治の頃を感じさせる風が吹いている。
撮影は、2011年3月11日。震災の4時間ほど前。
江戸川柳に、「本郷もカネヤスまでは江戸のうち」とある。
「カネヤス」といのは、本郷3丁目の交差点かどに今もある雑貨店のことで、この菊坂の上の方にある。
つまり、江戸時代はこの辺りまでが「江戸」という都市部で、ここから先は「在」という農村部であった、ということらしい。
江戸期最大の火事と言われる1657年正月の「明暦の大火(振袖火事)」はこの辺りが出火場所と言われる。北は千住から南は目黒まで三日三晩焼けつづけ、死者は10万人とも言われている。厳寒期のことで、火を避けるために水をかぶったりあるいは川に飛び込んだりして凍死した人も多かったらしい。両国にある回向院は、その時の犠牲者を弔うために建てられたという。
炭団(たどん)坂。菊坂から神田川方向に歩いてすぐの所。
炭団坂の上から、菊坂方面。
坂の話まだ続く(予定)。
撮影は、2011年3月11日。震災の4時間ほど前。
江戸川柳に、「本郷もカネヤスまでは江戸のうち」とある。
「カネヤス」といのは、本郷3丁目の交差点かどに今もある雑貨店のことで、この菊坂の上の方にある。
つまり、江戸時代はこの辺りまでが「江戸」という都市部で、ここから先は「在」という農村部であった、ということらしい。
江戸期最大の火事と言われる1657年正月の「明暦の大火(振袖火事)」はこの辺りが出火場所と言われる。北は千住から南は目黒まで三日三晩焼けつづけ、死者は10万人とも言われている。厳寒期のことで、火を避けるために水をかぶったりあるいは川に飛び込んだりして凍死した人も多かったらしい。両国にある回向院は、その時の犠牲者を弔うために建てられたという。
炭団(たどん)坂。菊坂から神田川方向に歩いてすぐの所。
炭団坂の上から、菊坂方面。
坂の話まだ続く(予定)。