文化逍遥。

良質な文化の紹介。

ミッシャ・マイスキーのバッハ「無伴奏チェロ1・3・5番」

2015年02月14日 | わたしのレコード棚
 2/11(水)夜のNHKFMで、再放送だったが2013年5月宮崎でのミーシャ・マイスキーのチェロのライブ演奏を聞いた。その時、あらためてその良さを認識してCDを注文した。
 このところ仕事をしていないし置き場所も無いので、本やCDを買うこともめっきり少なくなった。本もCDも、図書館にあれば借りることも多いが、今回買ったCDのようにどうしても手元に置いておきたいものもある。



J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲1・3・5番」、録音は1999年。マイスキーは、1984、5年にも無伴奏チェロ組曲を録音している。かなり前になるが、マイスキー本人がテレビで「以前の録音を聞いたときに、やり直さなければならないと思った」というようなことを語っていたが、本人の必要にかられて再録音されたものだろう。
 ネットの批評などを見ると賛否両論で、この演奏を思った以上に嫌う人も多いようだ。音楽は、演奏する方も聴く方も捉え方には拘束が無いので、それぞれで良いとは思う。が、この演奏を認めない人の評を読むと、奏者の曲に対するの解釈と合わない人が多いようだ。確かに、かなり大胆な演奏をしている。時に速く、時にはためて、奔放な演奏とは言えるだろうし、それを「勝手な解釈」あるいは「不安定な演奏」と感じる人がいてもおかしくないはない。そういう聞き方をする人たちは、おそらくグレン・グールドのピアノ演奏なども受け付けないのだろう。

 バッハの無伴奏チェロといえば、パブロ・カザルスあたりの演奏がお手本になるのだろうか。
わたしはチェロではなくギターを弾く者の端くれだが、楽器の練習の基本としては手本にしているプレーヤーの演奏を何度も聴いてそれをコピーすることの繰り返しだ。その作業を何年も繰り返していると、不思議なことに当初は元の演奏に近い形で出来ていたものが自分なりの演奏に変わってゆく。作業を繰り返していく中で、オリジナリティーが好むと好まざるとに関わらず加味されていってしまうのだ。そこまで行かなければ、プレーヤーとしては一人立ち出来ていないとも言えるだろう。この、マイスキーの演奏を聞いて、「やはりこれは長年の鍛錬により自然に出てきた演奏だ」と、感じる。個人的には、ここに作為性は感じられず、聴きこむほどにその良さを感じる演奏だ。

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