著者の柳澤桂子氏は、1938年生まれの生命科学者。1969年に現代の医学では原因不明の病に侵され、一時は寝た切り状態で水も食餌も摂れず、IVH(中心静脈栄養)で延命するにいたり、本人も「過剰医療」との認識およびその苦しみからIVHを外す決断にまで至る。が、家族の反対もあり治療を続行。その後、効き目のある薬に出会い床を離れることが出来、多くの著作などを通じてその経緯を語っておられる。1999年に、NHKの「ドキュメント日本」というテレビ番組で『いのち再び~生命科学者・柳澤桂子』として取り上げられたこともあり、わたしもそれを見ていたので今回図書館から借りてきて読んでみたのだった。
病院であらゆる検査をしても異常が見つからない時、医者は病気と認めず精神科に回そうとする。しかし、精神・神経科でも異常なしとされれば・・・結局医師達は匙を投げてしまう。それでも、様々な苦しい症状に襲われ続ける患者は、なにに頼りどう対処すれば良いのか、つかむ藁さえ無く、ドクター・ショッピングを繰り返さざるを得ない。現代の医学で分からないからといって病気と認識できないのは、医師として、あるいは人として問題があるだろう。「寒心に堪えない」という言葉があるが、この本を読んで現在の医療の現場についてそう表現せざるを得ない。著者は、それでもかなり言葉を選び、慎重な表現で自己の経験を語っているが、行間に滲む苦しみ・焦り・悔しさは隠しようもない。科学者であるがゆえの苦しみもあったろうが、それゆえの冷静な対処も出来たことは幸いだったと思われる。さらに、少数の限られた医師が誠実に対応し、かなりの回復を得たことは読む方としても救われる思いがした。
病院であらゆる検査をしても異常が見つからない時、医者は病気と認めず精神科に回そうとする。しかし、精神・神経科でも異常なしとされれば・・・結局医師達は匙を投げてしまう。それでも、様々な苦しい症状に襲われ続ける患者は、なにに頼りどう対処すれば良いのか、つかむ藁さえ無く、ドクター・ショッピングを繰り返さざるを得ない。現代の医学で分からないからといって病気と認識できないのは、医師として、あるいは人として問題があるだろう。「寒心に堪えない」という言葉があるが、この本を読んで現在の医療の現場についてそう表現せざるを得ない。著者は、それでもかなり言葉を選び、慎重な表現で自己の経験を語っているが、行間に滲む苦しみ・焦り・悔しさは隠しようもない。科学者であるがゆえの苦しみもあったろうが、それゆえの冷静な対処も出来たことは幸いだったと思われる。さらに、少数の限られた医師が誠実に対応し、かなりの回復を得たことは読む方としても救われる思いがした。