10月に入り、かなり秋めいてきた。自転車で出かけるにもちょうど良い気候なので、10/5(木)午前、我が家から自転車で30分ほどの所にある「貝塚町貝塚群」に行ってきた。今年は、加曾利貝塚が特別史跡に指定されて、発掘調査が改めて行われる事になり、それなりに盛り上がっている。が、千葉には他にも重要な貝塚が多くある。加曾利貝塚は千葉市若葉区の桜木町という所にあるが、その隣に貝塚町という所があり、地名のとおり到る所に貝が露出している。
この日は、「草刈場貝塚」「荒屋敷貝塚」「台門貝塚」の三か所を訪れた。それぞれ、数百メートルしか離れていない。
「草刈場貝塚」。案内板も何もないが、白く見えるのは全て縄文時代の人が利用した貝の殻。海からは当時でも数キロメートルはあったろう。近くを流れる川を使って舟でここまで運んだのではないかと推測されている。関西から見学に来る研究者の中には、この光景を見て感動して涙する人もいるという。
こちらが拡大して撮ったもの。
「荒屋敷貝塚」。径が180メートル程ある大きな貝塚で、国の史跡に指定されている。案内板があるだけで、車などで通ってもまず気付かない。
内部は、右端に見える椅子があるだけで、他は雑草に覆われている。この下には京葉道路が通っている。この貝塚を保存するために、切通しではなくトンネルにしたという。
「台門貝塚(跡)」。場所が分からず、住人らしき人に聞いたら、小高くなっている所がそうらしい。見てのとおりで、畑や宅地になってしまっている。聞いた人の話によると、「今はもうなくなっている」と言われた。少し調べたみたら、1966年5月に土地開発のため台門貝塚の大半を未調査のまま壊滅させてしまった、という。実に、寒心に堪えない。高度成長期、人は遺跡のことなど気にも掛けず、ひたすら開発に埋没したのだ。取り返しがつかない、とはこのことだ。
台門貝塚の裏手、台地の下に当たるところ。上から貝が落ちてくるという。下の道路にまで落ちている。
これは、その道路に落ちていたものを拾ってきたイボキサゴという小さな巻貝。千葉市の貝塚にあるのはこのイボキサゴが最も多い。食用というより、この貝を茹でてから干し、調味料に近い「干し貝」を作っていたとも推測されている。なお、史跡内では勝手な採掘はできないので注意したい。
加曾利貝塚が特別史跡に指定されたのは、それはそれで結構なことだ。が、そのために他の貴重な貝塚群がないがしろにされたのでは元も子もない。貝塚は、数千年、所によっては一万年近い時間が凝縮されている歴史の証人だ。ゴミ捨て場と勘違いされてゴミの不法投棄場所などにならぬよう最低限の保存対策を施し、その貴重さを認識する事を後世に繋げていきたいものだ。
この日は、「草刈場貝塚」「荒屋敷貝塚」「台門貝塚」の三か所を訪れた。それぞれ、数百メートルしか離れていない。
「草刈場貝塚」。案内板も何もないが、白く見えるのは全て縄文時代の人が利用した貝の殻。海からは当時でも数キロメートルはあったろう。近くを流れる川を使って舟でここまで運んだのではないかと推測されている。関西から見学に来る研究者の中には、この光景を見て感動して涙する人もいるという。
こちらが拡大して撮ったもの。
「荒屋敷貝塚」。径が180メートル程ある大きな貝塚で、国の史跡に指定されている。案内板があるだけで、車などで通ってもまず気付かない。
内部は、右端に見える椅子があるだけで、他は雑草に覆われている。この下には京葉道路が通っている。この貝塚を保存するために、切通しではなくトンネルにしたという。
「台門貝塚(跡)」。場所が分からず、住人らしき人に聞いたら、小高くなっている所がそうらしい。見てのとおりで、畑や宅地になってしまっている。聞いた人の話によると、「今はもうなくなっている」と言われた。少し調べたみたら、1966年5月に土地開発のため台門貝塚の大半を未調査のまま壊滅させてしまった、という。実に、寒心に堪えない。高度成長期、人は遺跡のことなど気にも掛けず、ひたすら開発に埋没したのだ。取り返しがつかない、とはこのことだ。
台門貝塚の裏手、台地の下に当たるところ。上から貝が落ちてくるという。下の道路にまで落ちている。
これは、その道路に落ちていたものを拾ってきたイボキサゴという小さな巻貝。千葉市の貝塚にあるのはこのイボキサゴが最も多い。食用というより、この貝を茹でてから干し、調味料に近い「干し貝」を作っていたとも推測されている。なお、史跡内では勝手な採掘はできないので注意したい。
加曾利貝塚が特別史跡に指定されたのは、それはそれで結構なことだ。が、そのために他の貴重な貝塚群がないがしろにされたのでは元も子もない。貝塚は、数千年、所によっては一万年近い時間が凝縮されている歴史の証人だ。ゴミ捨て場と勘違いされてゴミの不法投棄場所などにならぬよう最低限の保存対策を施し、その貴重さを認識する事を後世に繋げていきたいものだ。