7/25(水)、千葉劇場にて。フラメンコダンサーのラ・チャナ(本名アントニア・サンティアゴ・アマドール)の半生を描いたドキュメンタリー映画。ダンサーとしての側面よりも、一人のヒターノ(ロマ=ジプシー)である女性アーティストの日常を追った作品。良い映画だが、古い考えの残るヒターノ集団の悪しき慣習や前夫からの暴力などが淡々と語られ、あるいは、膝の使い過ぎで71歳の今は一人では椅子から立ち上がれない日常が映し出され、観終わった後に、そこはかとない悲しみが残る。監督は、ルツィア・ストイコヴィッチ。
踊りそのものについては、わたしも詳しいわけではないが、フラメンコというよりもヒターノのダンスに近いように思えた。幼いころから、ラジオを聞いて独自のステップを編み出したというから、フラメンコで使われるカスタネットの音をステップに置き換えたのかもしれない。それはそれですばらしいことだが、ステップを重ねて膝を痛め、歳をとりフラフラと歩く姿は痛々しい。またラストで、椅子に座ったままで痛み止を打って公演に臨む姿は、正直言って見たくなかった。勝手な思い込みだが、すべて芸術は創る側も受け取る側も人を生かすものでなくてはならないのではないだろうか。それが出来なくなるのは、やはり経済的な要因が絡んでくるからだろう。つまりは、お金だ。良い作品を創るということ、それが売れるということ、それらは同一ではない。そこに作り手の苦しみと悲しみがあるのだろう。そんなことを考えさせられる映画だった。
踊りそのものについては、わたしも詳しいわけではないが、フラメンコというよりもヒターノのダンスに近いように思えた。幼いころから、ラジオを聞いて独自のステップを編み出したというから、フラメンコで使われるカスタネットの音をステップに置き換えたのかもしれない。それはそれですばらしいことだが、ステップを重ねて膝を痛め、歳をとりフラフラと歩く姿は痛々しい。またラストで、椅子に座ったままで痛み止を打って公演に臨む姿は、正直言って見たくなかった。勝手な思い込みだが、すべて芸術は創る側も受け取る側も人を生かすものでなくてはならないのではないだろうか。それが出来なくなるのは、やはり経済的な要因が絡んでくるからだろう。つまりは、お金だ。良い作品を創るということ、それが売れるということ、それらは同一ではない。そこに作り手の苦しみと悲しみがあるのだろう。そんなことを考えさせられる映画だった。