7/27(金)、上野の東京国立博物館へ「縄文特別展」を観に行ってきた。
縄文期の遺物のなかで国宝に指定されている6点が全て揃って展示されているので、かなりな人出が予想され、行くのを躊躇していた。が、やっぱり観たくなった。この日は、このところの異常な暑さもひと段落。混雑を避けて、午前中に入館した。入場制限などは、今のところ行われていないようだが、夏休みに入ったこともあり子供も多く、やはり落ち着かない。それでも、行って良かった。
縄文期の遺物の魅力は、何と言っても、その静謐さにある。静かに、心の最も深いところに静けさがある事に気付かせてくれる。中には実用的なものもあるけれども、多くは創りたくなった人がゆっくりと時間をかけて自然に完成された神聖なものだろう。誰かから認められたいわけでもなく、交換価値を込めたわけでもなく、言ってみれば天命に従い自然に出来あがったものだ。そこに作為は無く、あるのは人の営為と祈り。おそらく、制作者はシャーマンに近いような人で、地域の集団から尊敬されていた、とわたしは推測している。
展示品の中には、このブログ2018/4/2に取り上げた犢橋(こてはし)貝塚などからの出土品(展示No.207深鉢形土器、東京国立博物館蔵)や、2016/5/6に取り上げた松戸市立博物館の所蔵品(展示No.26関山式土器)もある。今回の特別展をきっかけにして地域の歴史と縄文期出土品の素晴らしさに目を向けてくれる人が一人でも増えることを期待したい。
縄文期の遺物のなかで国宝に指定されている6点が全て揃って展示されているので、かなりな人出が予想され、行くのを躊躇していた。が、やっぱり観たくなった。この日は、このところの異常な暑さもひと段落。混雑を避けて、午前中に入館した。入場制限などは、今のところ行われていないようだが、夏休みに入ったこともあり子供も多く、やはり落ち着かない。それでも、行って良かった。
縄文期の遺物の魅力は、何と言っても、その静謐さにある。静かに、心の最も深いところに静けさがある事に気付かせてくれる。中には実用的なものもあるけれども、多くは創りたくなった人がゆっくりと時間をかけて自然に完成された神聖なものだろう。誰かから認められたいわけでもなく、交換価値を込めたわけでもなく、言ってみれば天命に従い自然に出来あがったものだ。そこに作為は無く、あるのは人の営為と祈り。おそらく、制作者はシャーマンに近いような人で、地域の集団から尊敬されていた、とわたしは推測している。
展示品の中には、このブログ2018/4/2に取り上げた犢橋(こてはし)貝塚などからの出土品(展示No.207深鉢形土器、東京国立博物館蔵)や、2016/5/6に取り上げた松戸市立博物館の所蔵品(展示No.26関山式土器)もある。今回の特別展をきっかけにして地域の歴史と縄文期出土品の素晴らしさに目を向けてくれる人が一人でも増えることを期待したい。