文化逍遥。

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千葉市の貝塚―月ノ木貝塚

2018年09月22日 | 考古・エッセイ
 9/19(水)午後、千葉市中央区仁戸名という所にある「月ノ木貝塚」に行ってきた。自転車で市内にある貝塚を回って楽しんでいるが、夏の間は暑いので行けなかった。この日は、最高気温25度ほど、湿度は40%台まで下がった。ママチャリをゆっくり走らせていると風が心地よく、少し汗ばむ程度。
 月ノ木貝塚までは、我が家から35分程のサイクリング。縄文時代中期の貝塚で、東西150m南北200mの北側を開口部とする、かなり大規模な馬蹄形貝塚。貝層(貝が積み重なっている所)は深さ1.4mにもなる所があり、貝層の上部と下部は、ハマグリ、アサリ、シオフキ、中部はイボキサゴが多いという。1951年の発掘調査では、4軒の竪穴式住居が発掘され、土器や石器のほかに、貝輪、土製耳飾、タカラガイの加工品、クジラの骨などが出土している。



 千葉市には、特別史跡の加曾利貝塚を含め、国の史跡に指定されている貝塚が5カ所あるが、ここもその内のひとつ。他の貝塚と同じく、海から数キロ内陸に入り込んだ川の近くにある高台に位置している。丸木船の様なものを使い、河口で採取した貝や魚などを運んだと考えられている。ここは特に海から遠く、縄文期でもかなり運ぶのに大変だったのではないだろうか。今年は、大雨や高潮による災害が発生しているが、温暖だったと言われる縄文期もそのような災害が発生しやすかったとも考えられ、当時の人達は自然災害を避けるためわざわざ海から遠い高台を選び生活していたのかもしれない。


 この辺りが中心部だろうか。今は、草木に覆われている。


 貝塚に来ると、空気が胸の奥にまで自然に入ってくる気がする。樹木や、あるいは貝の出すイオンの様なものが作用するのか、と勝手に考えている。いずれにしろ、気持ちが落ち着く空間であることは間違いない。


 樹木の下に見える白いものはすべて貝の破片など。下の写真は拡大して撮ったもの。




 ハマグリやアサリ、小さい巻貝はイボキサゴ。


 市内のほぼ真ん中を流れて東京湾にそそぐ「都川(みやこがわ)」。写真奥が上流方向。
 市内の貝塚は、この川の支流近くに位置するところが多い。つまり、この川を中心にして所どころに集落が散在していたのが、縄文時代の村の風景といった感じか。昔の人達は、舟で行きかう時どんな挨拶を交わしていたのだろう。あるいは、挨拶どころではなく、収奪や略奪があったのだろうか。青森県の三内丸山などは、大規模な見張り台がある。なので、そこから推測すると決して安穏な生活を営んでいたわけではないだろう。が、わたしが子どもの頃、今の幕張メッセあたりの遠浅の海でアサリやハマグリなど貝類が無尽蔵と言ってよい程とれたし、貝塚の貝や魚・獣などの骨の種類・量の多さから考えて、他人のものを取る必要はなかったのではないか。個人的には、そう推測している。

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