4/15(月)墓参の帰り、千葉市貝塚町にある荒屋敷貝塚に寄ってきた。

携帯で撮影。この辺りは、貝塚町というくらいで、周辺には大小20余りの貝塚がある。ここは、その中でも最も大きい径180メートルの国指定の史跡。見てのとおりで、今は草原状態。周辺も含めて、発掘調査は、ほとんど「手つかず」と云ってもいい状態。本格的な発掘調査がなされれば、土器や土偶など、重要文化財あるいは国宝級の遺物が出土しても不思議ではない。
おそらく、縄文期の人々は、貝に対して特別な思い入れがあったと感じる。自分の父母や祖父母、さらにその先に続く先祖たち、それらの人々が利用した貝、そしていつかは自分の使った貝も子や孫が見守ってゆく。そこに時の流れの中でも流されず生きているという「安心感」があったのではないだろうか。あえて言えば、「自己同一性」を確認していたように思われる。加曾利貝塚など比較的発掘が進む史跡では、貝層の中に人骨も埋葬されているのが確認されている。かつて貝塚は「ゴミ捨て場」と、考えられていた。しかし、縄文期の人々は貝をゴミだと思っていたわけではない。わたしは、そう確信している。

携帯で撮影。この辺りは、貝塚町というくらいで、周辺には大小20余りの貝塚がある。ここは、その中でも最も大きい径180メートルの国指定の史跡。見てのとおりで、今は草原状態。周辺も含めて、発掘調査は、ほとんど「手つかず」と云ってもいい状態。本格的な発掘調査がなされれば、土器や土偶など、重要文化財あるいは国宝級の遺物が出土しても不思議ではない。
おそらく、縄文期の人々は、貝に対して特別な思い入れがあったと感じる。自分の父母や祖父母、さらにその先に続く先祖たち、それらの人々が利用した貝、そしていつかは自分の使った貝も子や孫が見守ってゆく。そこに時の流れの中でも流されず生きているという「安心感」があったのではないだろうか。あえて言えば、「自己同一性」を確認していたように思われる。加曾利貝塚など比較的発掘が進む史跡では、貝層の中に人骨も埋葬されているのが確認されている。かつて貝塚は「ゴミ捨て場」と、考えられていた。しかし、縄文期の人々は貝をゴミだと思っていたわけではない。わたしは、そう確信している。