還暦近くなると身近な人の死に否応なく接することも多いので、近頃は患者・家族向けの医療関係書を図書館から借りてきて読むことが多い。親類・縁者の中でも歳の近い従兄弟なども何人か亡くなっているし、かつて一緒に仕事をした人の中にも10人程の人が亡くなっている。多くは病気だが、ある人は急死し、又ある人は癌で転移を繰り返した後に亡くなった。昔の同級生の中には30代半ばで癌に倒れ、幼い子供を残して亡くなった者もいた。いずれは、自分の番が来る。その時のために、この国の医療の現実を現場の声を聴くことにより多少なりとも知っておくことも悪くは無いだろう。
今回読んだのは、玉地任子(たまちひでこ)著『在宅死―豊かな生命(いのち)の選択』(2001年講談社刊)、さらに同じ著者で『いのち、生きなおす』(2003年集英社刊)の二冊。著者は、厚木市で主に癌患者の終末期在宅医療に携わる医師。一年、三百六十五日、二十四時間体制で、患者の容態(ようだい)の急変や痛みや不安の訴えに備え、適時往診している、とのこと。刊行からすでに15年ほどたっているので現在の医療体制とギャップが生じているかもしれないが、末期の患者に関わる現場の声が聞こえてくるような良い著作だ。特に、大病院の医師との複雑な関係性が語られていて、生々しく、深刻さが伝わってくる。生命体としての「人」、そして「病」、この繋がりをどう捉えるのか・・・家族は「人」を見過ぎるし、医療に携わる者は「病」を見過ぎる。どこで兼ね合いをつけるのか、健康な時から考えておく必要がある。
今回読んだのは、玉地任子(たまちひでこ)著『在宅死―豊かな生命(いのち)の選択』(2001年講談社刊)、さらに同じ著者で『いのち、生きなおす』(2003年集英社刊)の二冊。著者は、厚木市で主に癌患者の終末期在宅医療に携わる医師。一年、三百六十五日、二十四時間体制で、患者の容態(ようだい)の急変や痛みや不安の訴えに備え、適時往診している、とのこと。刊行からすでに15年ほどたっているので現在の医療体制とギャップが生じているかもしれないが、末期の患者に関わる現場の声が聞こえてくるような良い著作だ。特に、大病院の医師との複雑な関係性が語られていて、生々しく、深刻さが伝わってくる。生命体としての「人」、そして「病」、この繋がりをどう捉えるのか・・・家族は「人」を見過ぎるし、医療に携わる者は「病」を見過ぎる。どこで兼ね合いをつけるのか、健康な時から考えておく必要がある。