King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

濃淡を確かめる

2012年12月24日 17時56分36秒 | 日々のこと
昨日は無事15Kランを終え、旅行用の買い物や年末の雑事に
追われて過ごしました。

そして、その合間につい考えたことは昨日見たテレビのこと
でした。

昔から日本人が好きな大家族のドキュメントものです。

なぜこうも長きにわたってただ子供が多いだけの家族に
テレビが密着して番組にするのでしょうか。

それに、この家族がちっとも幸せそうにも魅力があるようにも
感じられず、ただよくこうも長くやったものだと思いました。

うちでは録画して十分の一くらいしか見ませんでしたが、何も
ドラマチックな展開とか盛り上がりもないままこのドキュメントだけ
一気に放送した意味が解りませんでした。

いやそれ以上に、人間の幸福ということまで考えてしまい
戦後、個人の幸福追求を憲法で認めるというあるといわれる
基本的人権が果たして明文して国が保障し得るものかという
事を考えてしまいました。

日本は神国であると信じて戦争に邁進し、それが戦後間違いであると
認めた戦後日本は、経済大国として先進国の一角を占める豊かな国と
なったはずですが、その行き先が揺らいだ今、また信じるに足る何かを
必死に探しているのではないでしょうか。

もはやそれは神やキリストや仏陀ではないとしても、それでは家族か
というとその一番血で結ばれたコミュニティーでさえ決して万全の
絆を持つとも言い切れないそんな人の綾なす幸福とは何なのでしょうか。

まして、他人の家族を見てその濃淡を比べるなど意味のないことと
今更に思うのですが、昔からやっている大家族のドキュメントが
妙に一日心に浮かぶのでした。

そして、旅行の準備でいつものカバンに装備していると自分の身の
自由さをふと感じてまあそれが一番だとニヤッとしているのでした。
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