King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

劇場版MOZUをみてきた

2015年12月10日 10時57分23秒 | 映画
深夜のNHKラジオをよく聞きます。

この時間帯の番組が一番出来がいい感じがします。

他の時間帯の番組は聞くに堪えないものばかりで情報も
ろくなものもなく、時にかかる音楽も全然センスなしです。

いつからラジオがこんなに詰まらなくなったのか。という
くらいの変化です。でもこの深夜便だけは別です。

聞いただけではもったいないような情報が多く、あとで
おさらいしようとネットで放送内容をチェックしますが、
なかなか見つかりません。

ラジオ深夜便の中に、映画情報と本の情報もあるのですが、
それはテレビでCMをやるようなものでなく、とてもコアな
ファンでなければ注目もしないような映画や本です。

ラジオで聞き流すだけではとても上映館や時間など解りません。

もはやピアなんて言う映画情報誌などもなく、コアな映画ファンも
少ないのか、よい映画なんて都内の目立たないところでひっそりと
やっているのです。

そんな商業的情報ソースに載らない映画をたまにはみたいのですが、
最近は好き絵をみる機会さえそうないのです。

というわけで、やっとみつけたその深夜便の過去の紹介作品を反芻し
つつ、仕事を終え、走りに行って風呂に入り、食事の後に行ったのが
いつもの上里のシネコンで、『劇場版MOZU』をみてきました。

日本の映画で低予算でよくもここまでというつくりになっていて
もともと有料放送の番組からスタートしたドラマですが、それを
深夜の再放送で見ていたので劇場版もと思ったのです。

秩父で映画らしい映画を観たいと思っても地元に映画館がなく、
近くの深谷や川越にはミニシアターが残っていたり、やはり文化度が
最近めっきり下がっているのを感じます。

商業的に派手な映画は年々派手になり、売れ筋は値段を上げて
上映し、4DXなどのアトラクションのような設備も作られ、
倍の値段ながら好調のようです。

かつては前橋までその4DXを見に行きましたが、今月から入間にも
オープンしました。

ですからスターウォーズは入間で4DXも可能です。

MOZUの感想としては衝動と家族のために暴走というテーマは
共感できるところですが、果たしてモズはその本性とか衝動で
ハヤニエをしているのかは疑問です。

自然界には托卵とかそれを知らずに育ててしまうモズとか
それが人間におきたらというアイディアは物語の導入としては
最高です

毎回ぼろぼろになる倉木刑事は今回もナイフが刺さり拷問され
それでもまた生きていて飲んだくれているという最後でしたが、
ラスボスのダルマがビートたけしであるというのは予告編から
ばればれなのでもう少し現れてからが展開があるのかと思ったら
あまりに存在感のない結末でそれだけが残念でした。

スターウオーズの予告編を見ましたが、これは値段を上げての
上映でその価値があるのかちょっと心配になる感じでした。

全体的にもう古い感じがぷんぷんしてきます。

ハンソロのおじいさんなんて見たくなかったような。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も『第四楽章』焼きました。

2015年12月10日 02時23分06秒 | 珈琲
一年の最後の季節のブレンドはやはり『第四楽章』です。

いつも季節のブレンドを注文されるお客様がこの名を見て
そうそうこれだと納得顔で買われていきます。

このブレンドには名前の由来からブレンドの設定から様々な
物語があり、いつも説明はしますが、とても数分で済む話では
ないのです。

当然、常連さんはどんなブレンドですか とは聞かないし、どんな
由来があるという話は何度もしているのでどういうブレンドですかと
質問もここ数年はしてないかもしれません。

ただ、どんな味ですかという質問をしてくる人は居て、通ぶった人は
ブレンドのベースは何ですかという質問をする人もいます。

おかしな話で、お客様にどんな味の珈琲を求めているかどんな味が
好きか私が聞いても実はこれこれこういうものがほしいと答える人は
いないのです。

それなのに酸味がない珈琲がほしいという話は必ずでます。

それ余程酸っぱいような珈琲を今まで飲んできたかということで
それだけならいいのですが、どんなのがおいしい珈琲かまでいって
あげないといけないような状況なのです。

珈琲に酸味はつきものであり、それが魅力であるので、酸味がない
珈琲をくれというのはそもそも自分は珈琲の味が解りませんと
言ってるのも同然なのです。

しかし、何の躊躇も臆面もなく堂々とこの主張を正しいことのように
言い放つ人の多いこと。

そんなひとにはまずちょっと飲んでみてと言いたくなります。

それでも何が違うのか正確にいい当てる人が少ないのにはびっくり
します。

明らかにチェーン店や大手コーヒー豆の喫茶店で飲む味と違うのは
理解されるようですが、それを的確に言葉にして表すことができる人
の少ないことにそもそも味の表現というのが普段あまり日常にない
ばかりか、茶道に見るようにまず亭主の挨拶から庵の入り方まで
型にはめられ器をほめ掛け軸をほめというその日の言葉のやり取り
まで決められて茶の湯の世界に親しみ席亭の主人の心を理解を求め
道にしてしまったのもうなずけるものがあるのです。

ですが、珈琲はもっと自由でほっと落ち着く日常の世界で、それを
道にして理解するものでも味を表現し、それをどこまで知り尽くしたかを
誇ったり開陳したりし合うものでもないので表現する言葉や感性を
求めたりはしません。

それでも知ってもらいたいのは飲んでみればわかるというこの豆の
力です。

当店で試飲したらそれを神の雫並みに詩的に何かに例えておおおと
表現するなんて決まりはありません。

何を感じ、どんな感想を漏らしてもらってもいいのです。

私はどんなことを言わせたくて飲んでみてというのでもないから
気楽に試に飲みにいらしてください。

何も押しつけもしませんし、何か通い合うものを信じています。

この第四楽章も飲んだ後にああ第四楽章だね、年末だねとそう
思っていただくだけでいいのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする