King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『夜の谷を行く』読了

2017年08月16日 18時20分08秒 | 読書


猛烈な暑さがここ数日すっかり涼しくなった
この物語の終了と同時期同様な空模様の時に読み終えたのは
何かの符号かと思うようなシンクロぶりでした。

NHKのアナザーストーリーで浅間山荘事件を取り上げたときには
ダッカのハイジャックによる超法規措置により連合赤軍の犯人は
国外に逃亡し事件はまだ終わっていないと締めくくられていました。

この小説では、超法規措置により海外に逃亡した犯人は海外で
テロ事件を起こし逮捕されているという書かれ方をされ、事件の
解決を見たように印象付けられています。

連合赤軍事件をリアルタイムで見てきた世代としては
あとからドキュメントで見る事件の概要はなんとも驚きの
事実ばかりで、当時の関係者が語る物語としてはカップ
ヌードルがあの実況で売れるようになったというなんとも
的外れ的事実の紹介が世の中何でも経済で人に知られると
いうことがいかに大事かという印象を持ったのですが、
私はあの実況をみてもカップヌードルをすする警察官の
印象より警察がやる気を出すとこうもものすごいことに
なるんだというものでした。

カップヌードルというとどこかインスタント麺でも高級感が
あり、後にコンビニができるようになると簡単に目にする
機会が増えましたが、当時スーパーや小売店にはペヤング
などの製品しかないように記憶しています。

当時を生で知る世代としては簡単に興味本位で覗いては
いけないもののような気がして事件の全貌を書いた本やら
首謀者本人の書いた本が多数発行される中、当時の新聞や
新聞や週刊誌で得た知識以外に後に作られたドキュメント
など当時の関係者の語るインタビューなどは多くテレビ
などでみるものの逮捕者や活動家がどうなってどんな人生
を歩んだかはやはり闇の中のことでした。

そんな底辺を行くような世界を書かせたらやはりこの人の
力量はものすごく、本当の世界とか事実をよりコントラスト
を強くして浮かび上がらしてくるような力があります。

もともと小説として底辺を暴くような本はいくつもあるものの
西村賢太のような汚い世界を描いても別にそれが広がりをみせる
わけでもなく所謂私小説という作家の体験したものにとどまる
という小説の限界を見るようで人々はほんの興味から手を
とってしまうけれど何かしら本という以上その人なりの世界観なり
本にする必然を求めたくなります。

桐野夏生はその点、こういうルポっぽいものを書かせると非常に
光る作家だと思います。

一冊の単行本で読むより、人の手でしわっとなった雑誌の
連載で読むようなそんな作家です。

私がこの本を手にしたきっかけはラジオで複数の人が
読むべき本として取り上げ紹介していたからです。

それを耳にして本屋で探しても見つからず、本の題名も
あいまいだったことから作家名から検索しても本がなかなか
出てこないという売れてない印象でした。

しかし、ネットで書評や感想文はあふれていて、知っている
人は知っているということなのでしょうか。

当時、事件の舞台は榛名山のどこかだと思っていたら私も
よくスキーに行く迦葉山という有名な地だったとは意外でした。

いまなぜ連合赤軍事件なのかというようなことから本の紹介が
されていますが、やはり超法規的措置で国外逃亡しいまだに
各地で活動している彼らは存在していて今でこそ日本でそんな
テロなど起きないだろうという安易な気持ちの人も多い中、
かつて日本で銃撃戦が起きて三人の死者も出ていまだに犯人は
逃亡中という現実を認識しないといけないと思います。

ロス疑惑の三浦和義がサイパンで今更逮捕されてロスに送られ
自殺してしまうという結末と大震災と永田洋子の死という流れ
で昭和とその結末をやはり記憶に整理しておくことが人々に
もとめられていてオリンピックを控えた大事な時期に日本人の
こころとか震災とか各自の整理を促した物語です。

この物語の主人公が歩み家族とも疎遠になりさらにひとりに
なっていく姿は、聖書の物語のようです。

活動家はやはり殉教者と同じなのか、本来の結末としては
三浦和義のように海外にわたって逮捕という結末にする
つもりだったのがこの結末にしたことにより、より複雑な
物語になった感じです。
コメント
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